第六十一話 王都の罠
二人きりの世界。
カーテンの隙間から差し込む光すら曇天に妨げられている。
その部屋の中央に、輝かしい未来を共にする妻がいる。
エルーナ。愛しの君。
エルーナは装飾豊かな椅子に、力なく背を預けている。
部屋に入ったジェルダンは、背後ろから近づいて、彼女の両肩に手を添えた。
指先に伝わる温度は、思っていたよりも低い。
目の前におかれた鏡に、二人が並んでうつる。
ジェルダンと、その花嫁。
彼女の視線は鏡のどこにも定まらず、どこか虚ろだった。
思ったよりも心が折れるのは早いかもしれない。
ジェルダンはそう判断した。
これならば、結婚式で臣下の指輪をはめ、男女として初めての夜を迎えるだけで済みそうだ。
本来はあえて逃げられると思い込ませて、仮初の希望をそっと渡す。見つけ出し、指輪のことを教える。
心も居場所も、わかっていると。
全てが繋がってると分かった時の絶望も、また素敵な一幕なのだが。
まあ、そこから先の楽しみもある。ジェルダンのことだけを考え、愛し、生きるように仕立てあげる。
壊してから、作り上げる。
完成までの工程に、失敗という概念はない。
そうして出来上がったエルーナは、どんな輝きを見せてくれることか。
「結婚式が延びてしまって、すまないね。昨日、壊された留め金を、作り直すのに時間が掛かってしまった。しかし、安心して欲しい。全ての準備は終えたよ」
狐耳に吐息が触れる距離で、そっと囁く。
「結婚式は明日の昼過ぎに開かれる」
「明日……」
「返事が、聞こえないね?」
「わかり……、ました……」
狐耳をたれさせて、エルーナは膝元に両手を添えていた。
鏡越しに映る彼女を眺めながら、ジェルダンは満足そうに微笑む。
「いい子だ。理解が早いのは助かるよ」
肩に置いた手に、わずかに力を込める。
しかし、それだけでは少し物足りない。
彼女の一面に触れたい欲がチラつく。
エルーナの横顔を眺めながら、ジェルダンは唇を浅く舐めた。
ねっとりと、考える。どんな言葉が彼女の感情を一番引き出せるか。
「マイコール君」
エルーナの表情が、ほんの少しだけ強張った。
「心配しなくていい。彼にはちゃんと贈り物を用意してあると、話しただろう?」
エルーナは答えない。
膝に揃えた指先が、ほんのわずかに重なりあう。
「僕の妻になるのに、他人のことで心を揺らすなんて、いけない子だね」
彼女の顎に手を添えて、こちらへと顔を向けさせる。
「そんなに気になるなら、安心出来るように教えてあげよう。彼に、どんな贈り物をしたか」
頬が触れそうな距離まで近づき、そっと囁いた。
「まずは『場所』を贈った」
ジェルダンが指を一つだけ立てる。
「王都の城壁は高い。それだけじゃない。指を掛けられる突起ひとつ残さず、削りきってある。もちろん、門以外に出入りする方法など存在しない」
誇らしげでもなく、淡々と。
事実を述べるだけの口調だった。
「夕方を過ぎれば、城門は閉じられる。朝が来るまで、開くことはない。兵の数も、配置も、抜け目はない」
エルーナの喉が、かすかに鳴った。
「完全に閉じた環境だ。それが、最初の贈り物」
指が、二本になる。
「次は『人』」
わざと数え上げはしない。
「王都には、僕の知人である強い者もいる。賞金の匂いに敏感な者もいる。それから……僕の言葉を、断れない人間もね」
鏡の中で、ジェルダンの笑みがわずかに深まる。
「一匹の猫と、少女を追いかける理由には、困らない」
祭事のようだと思う。
ぜひとも自分も参加したいところだが、それは叶わないのが残念だ。
そして、三本目の指。
「最後は『時間』だね」
声が、少しだけ低くなる。
「馬車が王都に着くのは、今日の夕方。門は、その直後に閉まる」
説明は、そこで止まった。
王都から、ここまでの距離。
門が開くのは明日。
同じ日の昼に開かれる結婚式。
――計算するまでもない。
ジェルダンは、結論を口にしなかった。
言わなくても、わかると思ったからだ。
それでも、念を押すように続ける。
「それに……連れがいただろう?」
エルーナの肩が、わずかに揺れた。
「歩き方を見れば、十分だね。戦いとは縁のない身体だ」
静かに告げる。
「確認したギルドでの登録も、冒険者として初心者同然の階級。足を引っ張るには、申し分ないね」
そこまで言ってから、ようやく優しい声に戻る。
「だから安心していい」
狐耳に吐息が触れるほど近くで、囁く。
「誰も、明日には、間に合わない」
◇
賑わう王都の正門口。
王都内で馬車から降り、マイコールが最初に目を留めたのは、物珍しい色の城壁だった。
白の壁。
見上げても目は痛くならない。
けれど、妙に落ち着いた雰囲気が漂っている。よく見れば、壁はただ石を積み重ねたものではなかった。表面は削られ、均一に揃えられている。
しかも、マイコールをして高いなぁと素直に思わせる。
まるで要塞のようであり、上端は空に溶け込んでいる。
森では成長した木の高さを跳んだこともあるが……。目測では、そんな単純にはいかなそうだ。
一面が大きな一枚の城壁。
そんな印象を受けた。
城壁の前には、馬車がすれ違えるくらいの道が走っており、その通路を挟んだ内側に、王都内の建物が行儀よく並んでいた。
その時、重々しい音が響いた。振り向けば、王都の門が堅く口を閉ざしたところだった。
「マイコー。この壁、とってもすべすべ」
「どれどれ……、ホントだなあ。こりゃあ、手入れにも手間掛かってそうだな」
二人揃って壁を撫でていると、道行く人に不思議そうに見られてしまう。
「登れる?」
「なーんも取っ掛かりがないと、ちょっとなあ」
肉球を滑らせて確かめる。
突起がちょっとでもあれば、爪を引っ掛けることも出来るのだが。これは無理そうだ。
「じゃあ、爪でムリヤリとか」
「うーん、たぶんけど、なんかありそうだなあ」
「なんか?」
「目にはうつらないような、魔術的な仕掛けとかだな」
傷つけないように、爪でツンっと触ってみる。
素材自体もただの石より硬そうなうえ、壁自体に何かがありそうな気配がする。
石をこんなにスベスベにしたいのは、きっと侵入者避けのため。
だけど、それが目的なら、綺麗に削るだけじゃあ対処がぬるすぎる。
「人間の一番えらい奴が、住んでるとこだしなあ。こういうとこにも、気を使ってるんだろ。とにかく壁に傷をつけんのは、なしだな」
「わかった」
リアノンがこくりとうなずく。
「そこの君たち、何をしているんだ」
王都内の門近くにいた兵士の一人が、歩み寄ってくる。
わずかばかり、厳しい視線を向けてきた。
「にゃにゃ!? この白い壁が珍しくて触ってたんだ」
「……王都は初めてということか。まあ、その気持ちはわかる。しかし、怪しいことはやめておきたまえ。場合によっては、話を聞くために詰め所まで来てもらわねばならん」
兵士の背後にある詰め所。
姿勢はそのまま、親指であれを見なさいと、促してくる。
冒険都市と大きく違うのは、正門前の厳重さだろうか。
それは兵士にもいえるし、建物もそうだ。
そもそも城壁沿の建築物は、見た感じ一階建てしか見当たらない。しかし、詰め所は特別だ。
他の建物の並びにある正門前の詰め所は、堅牢そうで縦に長い。隣接する一階建ての店よりも、二回りは大きい。もっとも、それでも城壁の半分に満たない高さしかないが。
王都内の監視塔といったところか。
屋上にいる兵士の目も、小さな騒ぎを起こしたマイコールを、油断なく捉えていた。
「気をつけるよ。ごめんなあ」
「ふむ。悪気もなかったようだし、今回は行っても良しとしよう」
「兵士のおっちゃん、ありがとーな」
「おっちゃ……。こほん、まあいい。さっさと行きなさい」
兵士が右手で追い払う仕草をする。
マイコールはペコリと頭を下げ、リアノンの手を引いた。
「ばいばい」
彼女はとろんとした優しげな瞳のまま、半身だけを振り返らせ手を振っていた。緊張感の欠片もなかった。
人混みに紛れ、兵士からの視線が切れたところで、ようやく二人は立ち止まる。
「敵?」
「うんにゃ、あれはただ真面目に仕事してんだろうなあ。リアノンに手を振られて、ちょっと戸惑ってたし」
すんすんとマイコールは鼻を鳴らす。
人を隠すには人の中。
ここまでついてきた奴らの匂いが、わかりにくい。砂漠の中にある、一粒の砂のようなものだ。
そこには確かに一粒ある。けれど、周りが多すぎる。
「うーん、そりゃわからねえよなあ。こんだけいりゃあ」
王都の道行く人は、夕方というのに陰りが見えない。
「さて、どうすっかなあ」
マイコールが尻尾で軽く地面を、たんっと叩く。
「明日の話し合いの前に、王都に着いたぞってギルドに報告するか……、情報を集めるのに散策するか……」
「マイコー、マイコー。あれ」
「んにゃ? リア、どうした?」
マイコールの毛をツンツンとしてから、リアノンが指で示したのは、
「御飯の店かあ? なんだ、リア。腹減ったのか?」
「もちろん、それもある。でも、お腹減ってると、いざって時に力が入らない」
可愛らしく人差し指を立てたリアノン。
その言い分はもっともだ。
「名案だなあ。そしたら、メシを食べて、ギルドに顔をだすとするかあ」
マイコールはリアノンと手を繋いで、店の中へと入っていく。




