第五十九話 弱き者
「シェリル、随分としぶといネズミのようだね」
光輝く椅子に身体を預けたジェルダンは、足を組み直した。
「ジェルダン様の貴重なお時間をいただいてしまい、申し訳ありません」
シェリルが言葉を冷静に保とうとしている。
指輪越しに感じるのは、わずかな焦りの色。
気を悪くしていないかと、表情を取り繕う姿が可愛らしく映る。
「ああ、シェリル。君の働きを僕は評価しているよ。時間を掛けるほどに焦らされ、愛しの君への思いが深まるばかりさ」
ぎゅうっと抱きしめる素振りを試してみる。
愛しの君よ。
果たして君の抱き心地はどのくらいなのか。
嫌がるか、泣き出すか、睨みつけるか。
早鐘のように高まる胸の音はどのくらい可愛いらしくて尻尾はどんな素敵な香りが秘められてるのか。
一つずつ、丁寧に、君を知っていこうじゃないか。
そう思うだけで、どうにかなってしまいそうだ。
ジェルダンの口元が恍惚に歪められる。
しかし、それは一時のこと。
ジェルダンは感情の宿らない瞳を、彼女へと向けた。
「でもね……、焦らしも過ぎると、良くないかもしれないね……。わかるだろう、シェリル」
「も、もちろんわかっております、ジェルダン様」
シェリルの心が不安と恐怖の色へ、一気に塗り替わるのが伝わってくる。
「おそらくは、あと少しだと思いますわ。対象の動きが遅くなっているのを感じますので」
「ならいいんだよ。この丁度良い加減を狙っていたのなら、さすがと言っておこう」
ジェルダンが表情を優しげに崩すと、シェリルが唾を飲み込んだ。
その直後、森を揺るがす爆発音が響いた。
それも一度ではない。二度、三度……、それ以上に繰り返されていく。
これはシェリルが追っ手として放った、爆発を秘めた人形魔術のものだろう。
「対象が……、地上に戻りました。私の魔術の気配を削りながら、移動しております」
シェリルは瞳を閉じている。
追跡魔術と人形魔術の位置に、感覚を全て集中させているようだ。
ジェルダンは薄く微笑んだ。
ネズミなりの最後の足掻きも、これで終わりか。少しだけ寂しくもある。
「シェリル」
「はい。こちらです」
ジェルダンは光の椅子を消失させ、代わりに光の膜を薄っすらと衣服にまとわせた。
わずかな土も、埃も、一切寄せ付けることはない。
彼女の案内に従い、ジェルダンは森を進んでいく。
やがて森の中にしては、やや不自然な木々にたどり着く。
左右にある木は緩やかに曲がり、人を招くようなトンネルを作り上げていた。
「随分と手の入った場所のようだね」
「ここは狐女……、失礼しました。ジェルダン様が求めている愛しの君――彼女の住まいがある場所です」
「なるほど、なるほど」
「この先です」
シェリルの示した場所。
ここをくぐり抜けた先に、愛しの君がいるのか。
全てを諦め、せめて思い出の場所で、と考えたのだろうか。
すがりつきたいほど、怯えている?
あの気高くあろうとした彼女が?
そう思うだけで、身体が熱くなってくる。
出口が近くなるほどに、光が強くなり――。
「ようやくお出ましかよ、ジェルダン」
森にぽっかりと空いた広場。
一軒の建物、そして手入れされた畑があるその場所で。
頭を輝かせる大男が地面を踏みしめ、そこで待っていた。
左腕には投げるのに手頃な石を複数抱え、右手ではその石の一つを軽く宙に投げてもてあそんでいた。
ジェルダンは想像と違う光景に、感情を切り捨てた。
冷たい視線で相手を見つめる。
「……どうやら、炎人形は品切れみてえだな」
男はそれならば不要だと石を全て地面に落とした。
「ははっ、なんて面してんだよ。エルーナがいると思ったんだろ? 残念。ここには俺しかいねえぞ」
「むさい男には用はないのだがね。僕の愛しの君は、どこに隠れているんだい?」
「お前みたいな色ボケ金髪は、お断りだってよ。嫌われたもんだなあ、おい」
男の言葉は明らかな挑発であった。
「あの男っ! ジェルダン様、私があの男を――」
一歩前に出ようとするシェリルを、ジェルダンは手で制した。
「尻尾を巻いて逃げ続けていた方が、まだ可能性はあったのではないかな?」
「どこまでも追われるってんなら、意味ねえだろうが。お前の気分次第で、どうなるかもわかんねえ逃走を強いられるより、こっちの方が性に合ってるんでな」
男が重心を落として、拳を構えた。
ジェルダンは、髪をかき上げながら天を仰ぐ。
「随分とよく吠える獣だ。人の言葉を話せるから、まさか僕と同じ立場だと勘違いしているのかい?」
それはいけない。
しっかりと、現実を理解させてやらねばならない。
「獣の性とは、随分と美しくないものだね。勝てないとわかっているのに、挑むことが無駄だとわからないのだから」
「そんなもん、決まってねえ」
「勝負は時の運。そう言うつもりかい?」
ジェルダンは、やれやれとため息を漏らす。
「それは実力が近い者同士のことさ。圧倒的な力量があれば、運など入り込む余地もない。そして君と僕の格付けは、すでに終わっているじゃないか。忘れたのかい? たった一撃で、意識を失い、地面に這いつくばったじゃないか」
「ごちゃごちゃうっせえ! やってみなきゃっ、わかんねえだろうがぁぁぁ!」
男の咆哮は、確かに森を揺らした。
ジェルダンの耳にも、煩すぎるほどに届いた。
しかし、たったそれだけのこと。
気持ちだけで超えられる強さなど、たかがしれている。
ジェルダンは男の横を通り過ぎた。
すれ違いざま、軽く腕を振っただけだった。
その背後で――男は倒れていた。
「ジェルダン様、こちらをお使いください」
「まったく……、無駄な時間だったね」
シェリルが用意した綺麗な布で、ジェルダンが右手を拭う。
「せっかく愛しの君へ、お披露目するために着た衣装だというのに。汚そうとするとは……。まあ、君ごときでは、指一本すら届かないがね」
そう言いながらも、自身の服を見回して、ジェルダンは念のため確認をする。
それらは全て希少な魔物である一角獣の素材から生まれたものだ。
一角獣は本来白い肌をしているが、特殊な方法で光を吸うほどの黒に染め上げてから、服へと加工していった。
部位が少ない角はさらに稀少で、選び抜いた装飾の一部に使用している。
ジェルダンが身に纏う服。それは唯一無二の花婿衣装だった。
ズボンの裾、漆黒のマント、その留め具。どれも汚れ一つない。ジェルダンが生み出した光膜で覆っているのだから、当然ではある。
「しかし、この男、まだ生きているようですが、いかがいたしますか? ジェルダン様に逆らう輩……、殺しますか?」
「ははっ、殺そうなんて無理をするなシェリル。心が怯えてるじゃないか」
「は……、いえ……、その……」
「自身の手で誰かを殺す。そういうことに君を慣れさせるのも、楽しみの一つではあるけどね」
ジェルダンはシェリルの顎をそっと撫でた。
「でも、このエサはそんな使い方はもったいないね」
「エサ……ですか?」
「あれほどの叫び声だよ? それを悲鳴に代えさせたら、面白いとは思わないかい?」
ジェルダンは倒れた男に、もう一度だけ視線を向けた。
「楽しいことを始める前には、しっかりとした準備が必要だね。木に縛り付けよう」
シェリルが小さく頷いた。
彼女が生み出した一体の精巧な人形魔術。身じろぎ一つできない男を、淡々と引きずっていく。
「ふむ、この木にしよう。丈夫で、この辺りで無駄に一番大きい。君と同じといっても過言じゃないね」
「あ……」
ジェルダンが選んだ木を前にして、シェリルがぽつりと呟いた。
「シェリル、どうかしたのかい?」
「いえ……、この木は見覚えがありまして……、特に意味はありません」
「そうかい?」
シェリルの心が困惑の色をしていたが、まあいいだろう。
ジェルダンが指を鳴らす。
それだけで生み出された光が形を変え、鎖のように伸びていく。気を付けの立位姿勢のまま、胴体周りに光の鎖を巻いていく。
男の身体は、皮膚に喰い込むように縛り上げられた。
「いいね。これなら、逃げられない」
◇
エルーナは森を進んでいる。
土や木の精霊に頼ることも忘れ、妨げる草木を静かにかきわけながら、ゆっくりと、ゆっくりと。
爆発音が聞こえた方へと、歩んでいた。
足取りは酷く重い。
自分がしていることは、バルカンの思いを裏切っている。
そう、わかっている。
理屈では、逃げなきゃいけない。
このまま向かってもジェルダンの裏をかいて、どうにかできる思いつきなんて、ない。
それでも足は、向かってしまうのだった。
記憶に縛られている。
危機的な状況で、また会おうと誓った相手が、もう一度必ず話せるわけではないと知っているゆえに。
「このあたりは……」
左手に抱えたユキマルがわずかに動いた感触で、ふと周囲の景色に気づくことが出来た。
少しだけ遠くに、精霊が形を変えてくれた木のアーチが見える。そこはエルーナの家の裏手近くだった。
直後、悲痛な獣の叫びが空気を揺らした。
枝で羽を休めていた鳥たちが、我先にと空へ飛び立っていく音が聞こえる。
喉元がひゅっと締め付けられた気がした。
カイとミナに話しかける時に向き合う小さい石碑。
その横を通り抜け、一歩ずつ、音を立てないように、進んでいく。
木の陰から覗ける光景。そこにあったのは。
光に縛られた巨体と、その前に立つ男だった。
「おやおや、身体に似合わず健気なことをするものだね。ふっ!」
小さな気合から繰り出される刺突。
ジェルダンが光槍で、バルカンの肩を貫いた。わざと刺したまま、槍をわずかに捻る。
「ぐっ! うううっ!」
遠目でもわかるほどに、バルカンが苦悶の表情で言葉を押し殺していた。
エルーナは自身の息がわずかに乱れていることに気付いた。
浅い呼吸がうるさいほどに耳を打つ。
音が届いてしまう気がして、右手で口元を押さえる。
「先程のような大声をあげたまえよ。その無駄にデカい身体は、この瞬間、そのぐらいの価値しかないのだから」
「ふーっ! ふーっ!」
睨めつけるバルカンの息は荒々しかった。
「ぐっ、ぐぎぎぎぎっ!」
光の鎖を抜け出そうと、バルカンは全身に力を込めている。
しかし、無情にもその大木はわずかも軋まない。
「足りない頭にもわかるように教えてあげよう。その鎖はドラゴン種ですら、千切ることが出来ないものなのさ。君がドラゴン種より強ければ、もちろん可能性はあるよ」
バルカンの必死な顔を、ジェルダンが下からのぞき込む。
この場に不釣り合いな微笑み。
バルカンが右足を振り抜いた。しかし、ジェルダンはすでに一歩引き終わっている。
「マナーがなってない足には、相応の罰が必要だよ」
「うぐうっ!?」
「足の甲、太ももと二刺しして……。順当なら腹部か。ああ、心配しなくていい。まだ、脇腹で済ませてあげよう。僕はね、とても慈悲深く、忍耐強い男だからね」
短く呻く声が、小さく響く。
刺され、
殴られ、
蹴られ、
しかしバルカンはそのどれにも屈しない。
だけど相手も諦めない。
むしろ楽しんですらいる。流れ出る血には、赤毛の女性が回復魔術を使用して、また殴る蹴るを繰り返す。
殺さない、でも決して逃さない。心に生まれるだろうひび割れを、広げようとする。
どうしてそんな酷いことが、できるのだろう。
エルーナには、わからなかった。
唯一理解出来るのは、このままだと、バルカンが壊されてしまうということ。
エルーナはゆっくりと膝をついて、ユキマルをそっと地面に放した。ユキマルの丸い瞳が不安そうに揺れている。
この子を巻き込んではいけない。
押しつぶされそうな心で、なけなしの微笑みを向ける。
何も怖くない、大丈夫だから。そんな気持ちをこめて、森を指で示した。
「森へ、お帰り」
離れたくはなかった。これからも仲良くなって、リアノンみたいに少しでも何かが伝えたい。そんな関係を夢見ていた。
捨てられたと傷つかないだろうか?
魔物に虐められないだろうか?
一人でも生きていけるだろうか?
それを見届ける時間は残されてない。
最後に一度だけ。
ユキマルをそっと左手で撫でた。
ユキマルは、じっとエルーナを見ていた。
エルーナは右手をギュッと握り、欲しかった未来の一つを切り捨て、立ち上がった。
もう一度振り返りたいという思いを振り切って、庭へと一歩踏み出す。
「私を……、探しているのでしょう」
身体の前で組み合った両手に、ギュッと力が入ってしまう。
間近で見るバルカンの傷は、本当に酷いものだった。
回復魔術で治された部位と、腫れや流血が不自然に共存し、いびつに成り果てていた。
バルカンと目線が合うと、彼はうなだれてしまった。
エルーナも、すぐに視線を逸らした。
ごめんなさい、と内心でエルーナは呟く。
こんなに傷ついてまで庇ってくれたのに、それを無為にしてしまって、ごめんなさい。
投げかけられた言葉にジェルダンは、洗練された身のこなしで、ゆっくりと振り向いた。
そして嗤った。絡みつくように、ねっとりと。
「愛しの君。僕らは三度邂逅した。そして四度目は君から会いに来てくれた。嬉しい限りじゃないか」
ジェルダンは大仰に両手を広げ、エルーナへと一歩……、また一歩と、詰めてくる。
「いつか言ったよね?
この出会いは偶然ではなく、
必然だと、ね」
ジェルダンの腕がエルーナを囲い込む。
そして、ぎゅっと優しく抱きしめた。
「これが君の香り……、想像以上だよ」
鎧でもないのに、触れる服は酷く冷たい。
やわらかく息を吸う音は静かなはずなのに、どうしようもなく心をざわつかせる。
「さあ、今度こそ僕に教えておくれ。愛しの君の――名前を」
深い闇がぬるりと迫り、
「……エルーナ」
エルーナは飲み込まれた。




