第五十八話 逃亡
「くそっ、わらわら追いかけて来やがって!」
バルカンから少し遅れる形で走りながら、エルーナは背後を横目で確認した。
そこにいるのは人の形を模した炎。
見た目は人間とは似つかない、ゆらゆらと揺れる火の塊だ。
動きは決して速くはない。
エルーナの足でも少しずつ距離を稼げるぐらいだ。
しかし、少しでも足を止めればあっという間に追いついてくる。
疲れ知らずの炎人形は、足を止めることもない。
こちらは分岐ごとに考えながら動いている。
その時間の浪費が、相手に優位性を傾けていた。
数はハッキリわからないが、徐々に背後で見かける数が増えていた。
多数の分かれ道が絡み合う地下通路だ。
それでも後続まで含めて迷いがない。
こちらを真っすぐに追ってきている?
知性があるようには見えない。
相手に視界があるかはわからないが、双方が相手を確認出来るだろう距離でも、炎人形は同じ速度で、しかし確実に前に進むだけだった。
「もう一回、ぶん殴ってやろうかっ!」
バルカンが拳を強く握る。
「それはいけないわ。さっき同じことをしたら消滅する前に爆発したでしょう?」
「でも、うまくやりゃあ通路を潰して、追ってこれねえようにできるかもしれねえぞ」
バルカンの提案に、エルーナは一瞬考えた。
地下通路の構造。さきほど爆発した時の衝撃の度合い。
「それなりに強度はあるはずだけれど、どのくらいの衝撃で崩れるか保証はできないわ。敵が迫ってくる通路だけが塞がればいいけれど……。衝撃が思い通りにいかなくて、真上や逃げ道が崩れたら、かなり辛いわね。でも、少し試してみようかしら」
エルーナは土の精霊へと訴えかける。
「閉じてっ!」
精霊の反応は早い。
エルーナの言葉と共に土壁が盛り上がるが、厚くするには時間がわずかに掛かる。
直後に炎人形が触れた土壁が爆発。
地面が揺れて、天井からパラパラと土がこぼれる。
炎人形の突撃で土壁は壊れ、また次々と炎人形が押し寄せてくる。
「てめえらっ、仲間同士は爆発の影響がねえのは反則だろっ!」
「バルカンさんっ!」
「くそったれ!」
すでに逃走に頭を切り替えていたエルーナが、バルカンの横を通り過ぎながら彼の手をとる。
バルカンもすぐさま撤退を開始した。
エルーナの左手に、抱えているユキマルの震えが伝わってくる。何か恐ろしいことが迫っていると、わかっているようだった。
少しでも安心させようと、わずかに力を込める。
やはり障害物を置いたり、攻撃で爆発させるのは危険だ。
繰り返せば崩落へと進み続け、いつかは必ずそこに至る。
かといって地下通路で逃げ切ろうにも限界がある。
まだ通路の長さには余力があるが、無限ではない。
土の精霊による新しい通路を作るには、相手が早すぎて時間がない。
では、地上に飛び出すか?
いや、それが一番危ない気がする。
それはジェルダンという男が、もっとも自由になる選択だ。
どうする? どうしたらいい?
あの炎人形がこの切迫した状況を作り出しているには違いない。そこに突破口はないだろうか?
「なんつーかよぉ! 魔術とか精霊術とかってこんなに便利すぎるもんだったか? いくらなんでも、こんなたくさんを自在に操るなんて、俺なら頭がいかれちまうぜっ!」
息を荒げながらも、苛立たしげな言葉が出るあたり、バルカンにはまだ余裕がありそうだ。
火に関わる何かがこの力の軸には違いない。
やったことはないが、精霊術だと火の精霊を頼れば、似たような炎の形を生み出せそうだ。
いたずら好きな精霊なら、喜んで追いかけ回すかもしれない。
だけどこれは精霊ではない。
エルーナだからこそ断言できる。
ならば、魔術だろうか。
でも魔術は使い手のマナから生まれる以上、魔術師から見えもしないのに自由に動き回るなど不可能なはず。
あくまでも、使い手の思考で動かされるか、何か単純な条件が加えられただけか。
炎人形。それがどのような仕組みになっているのか。
わかっていることは、多くはない。
対象に触れるか衝撃を与えると爆発する。
バルカン曰く触れても熱くはないが、身体を強化せずにいたらもっと痛かっただろうとのこと。
知性はなさそうなのに、追いかけてくる。
「追いかけてこれるのは、なぜかしら」
ふと過ぎった疑問を、ぽつりと言葉でこぼす。
瞬間、つい先ほど記憶に焼き付けられた場面が、エルーナの頭の中を走りぬけた。
「最初の一撃……」
光の槍。地上からは見えなかったはず。
なのにどうしてあんな正確に、バルカンを狙えたの?
次によぎったのは、大森林の奥にある家へ届いた赤毛の女。
そうして一つの答えにたどり着く。
何らかの方法でバルカンの位置が把握されている。
それは、今、この瞬間にも。
ふいに、バルカンの足音が一歩だけ遅れた。
「なあ、エルーナ。もしかして……だけどよ。俺……か?」
その途切れる言葉の意味を察してしまい、エルーナはハッとして、バルカンを見た。
目が合ってしまう。
「ああ、くそ……。敵をエルーナの家に呼んじまったのも、こうやって逃げ切れねえのも、全部俺のせいかよ」
わずかに表情を沈ませながら、バルカンは言った。
ほとんど同じタイミングで、彼もまた、その結論に至ってしまった。
なんということだろう。
せっかくたどり着いた答えは、底なしの沼に足を入れてしまったことを、ようやく気づかせるだけのものだった。
逃げ切れない。
どうあがいたとしても、追跡は終わらない。それがわかってしまった。
「おい、エルーナ」
バルカンの固い声。
彼の瞳には力強い輝きがあった。それは覚悟を決めた者の眼だ。
その揺るがない意志が次に放つ言葉を、エルーナは知っている。
「それはいけないわ。一緒に、どうすればいいか考えましょう!」
エルーナは懇願する。
必死だった。彼をどうにか引き留めたかった。
「あれこれ言ってる暇はねえ」
「バルカンさんっ!」
「俺が次の通路で引きつける。お前は別の道に行け。精霊に穴でも作ってもらって、隠れてろ。こんだけ広い森のなかだ。あのクソ金髪に見つかるはずもねえ。そうやってりゃ、アニキは必ずお前を迎えにくる」
「ダメ……、それだけは……、あなたを犠牲にして逃げ延びるなんて……」
過去が再び追ってくる。
陽だまりの優しさを覆い潰すような、暗いものがやってくる。
苦しい。行かないで。
大切な人たちを、もう二度と失いたくないのに。
エルーナは思わず泣きそうになってしまう。
バルカンが目を瞬かせる。
「アニキとリア嬢ちゃん以外でもよ、そういう隙だらけなとこ、たまには見せてくれんだなあ」
そう言ってから、バルカンがニカッと笑みを見せた。
「心配すんなっ! めちゃくちゃに逃げ回って時間稼ぎ終わったら、俺もトンズラすっからよ」




