第五十一話 死の記憶
暗闇の中に漂っていた意識が、少しずつ浮上してくる感覚。
だが、どうしてか異様にまぶたが重い。シェリルは思い通りにならないことに、もがき続けていた。
「――い」
何が聞こえた気がして、意識をそちらへ向けてみる。
だが、闇に塗りつぶされた世界では、どこを向いているかすらわからない。
自分の身体すら溶け込んでしまい、果たして繋がっているのだろうか。
「お――」
誰かいるの?
いるなら、どうにかしなさいよ!
そんな憤りが覚醒の後押しをする。
「おいっ!」
浴びせられた優雅さの欠片もない声。
眩しすぎるくらいの白い視界。
身体が揺さぶられていると、ようやくわかった。
「きゃあ、化け物!?」
自分の声かと疑うほどの、甲高い叫び。
獣のような風貌の顔面が目に飛び込んできた。
かろうじて人だとわかったのは、獣にはありえないツルッとした頭のおかげだった。
「なんだてめえ? 苦しそうにしてっから、起こしてやったのに。随分と失礼な口を開くじゃねえか」
「ば、バカじゃないの? 誰も頼んでないでしょ? そもそも鏡みたことあるの? どう見たって化け物よりの顔じゃない!」
「かぁ~、どうしてこの面の良さが、女子供には伝わんねえのかね」
「あんたみたいなハゲたオヤジ……、魔物だって逃げ出すわよっ」
そこでふと思った。ハゲ……、ツルピカ……。どこかで見た顔。
「ああっ!」
ぼんやりとしていたシェリルの頭に、ようやく意識が追いついてきた。
「その変な顔と頭っ! あんたっ、駄猫の連れじゃないっ!」
「けっ、ほんと口のわりい女だなっ」
「ひっ!?」
凄みを効かせて前のめりになった男。
シェリルは掛けられた毛布をギュッと掴んで、身体へと引き寄せた。
ベッド側で腰を掛け、睨みつけてくるこの男から、少しでも距離をとりたかった。
少しでも引いたら襲われる。
そんな風に思って口撃を繰り返していたが、やりすぎたかもしれない。
「まあ、そんだけ文句言えりゃあ、問題なさそうだな」
わずかに浮かせていた腰を、椅子に落ち着かせた男は、腕を組みながら言った。
「問題? なにが問題だっていうのよ」
「覚えてねえのか? お前、死にかけたんだろ?」
「私が? そんな――」
ことはない。そう言いかけて、鮮明に頭を走り抜ける光景があった。魔物に追いかけられ、爪を振り抜かれたあの時の感覚。
恐る恐る、背中を触れてみる。
本来なら焼けるような痛みがあるはずだった。
だけど、ぬるりとした血も、皮膚を突き破られた痕も、指先には伝わってこない。
「……はあっ……はあっ」
「……おい、どうした」
ハゲ男の声が遠く感じる。息が荒くなる。
シェリルは自分の身体を、毛布ごと強く抱きしめた。
間違いなく命を刈り取る一撃をもらっていた。死を意識すると、冷たいものが這い上がってくる感覚に襲われる。
「なあ……、やばいなら……」
眉根を寄せたハゲ男の手が、控えめだが伸びてくる。
「うる……さい……。触らない、で……」
ハゲ男へ向かって、どうにか絞り出した抵抗が、皮肉にも現実に引き戻してくれる。
「……ふう」
「おい……」
「何でもないわよ。こっち見ないで」
弱いところを見られるのが嫌で、強い口調を押し付ける。
「まあ……、好きにしろよ。だけど、アニキには感謝しとけ。助けてくれたんだからよ」
「アニキ? それって……」
いつもヘラヘラしている猫が思い浮かんだ。
「あの駄猫に? 冗談じゃないわよっ!」
「お前はいちいち騒がねえと話せねえのか?」
太い指を片耳に突っ込んで、男は迷惑そうな顔をしている。
駄猫に助けられたなんて、屈辱的なこと聞きたくはなかった。
そんな風に考え、ふと思う。
「ちょっと待ちなさいよ。駄猫が助けたって、どうやってよ」
「そんなもん、アニキに掛かればアウルベアなんて一発だろ」
馬鹿にしたような男の視線に腹が立つ。
しかし、今は横に置いておくとして。
「そっちじゃないわ。私の傷のほうよ。どうやって治せるのかって聞いてるのよ。あの駄猫、回復魔術なんて使えそうもない、能天気な顔してるじゃない」
「顔は魔術と関係ねえだろうが……」
「じゃあ駄猫は回復魔術が使えるのね?」
「それは……見たことねえけど……」
「ほら言った通りじゃない。そんな駄猫が、どうやって私の傷を治したのよ?」
シェリルの言葉に、男が品の無い頭をぽりぽりとかいている。
「いや、俺も見たわけじゃねえから、聞いた話になるけどよ。持ち合わせの回復薬をぶっかけまくったって話だぜ」
疑いの眼差しを向けるシェリル。
回復薬で直せる傷なんて、たかがしれてるだろうに。
余程の高級品を使用したのだろうか?
それでも、納得しきれないが。
確かに傷の深さを、自分だって見たわけではない。
あるいは想像よりも傷は浅かったのかもしれない。
いずれにせよ、駄猫が助けたのは勝手にやったことだ。
感謝を伝えるいわれはない。
そんな時、廊下の方から複数の足音が聞こえた。
扉をノックしてから、室内の男が短く応じる。
最初にひょこっと覗き込んだのが駄猫。
それに続くように狐女とチビッコが、次々と部屋へ押し寄せてくる。
「ななな、なんなのよあんたたちっ!」
「いやあ、バルカンとねえちゃんのやりとりが、聞こえてきたからさ。様子を見に来たんだよ。元気になって良かったなあ」
駄猫が上から目線で言ってくる。
「全然良くないわよっ! 人の部屋にぞろぞろと現れて、失礼じゃないっ!」
「人の家で寝かせてもらってんのに、そこまで言うお前も大概だぜ?」
「うるさいわねっ! 誰も貸してなんて頼んでないじゃないっ!」
男のつぶやきに、シェリルは噛み付く。
「ふーん」
そんなシェリルに向けて、どういうわけか、駄猫がじっくりと見つめてくる。
「な、なによ」
観察しているような視線が、少しだけ不気味だ。
「前も思ったけど、ねえちゃんは怒ったり、誰かと言い合いしてる時が、一番自然だなあ」
にゃはっと笑をこぼしながら、さらっと言ってのける駄猫。
「はぁぁぁ? どういう意味よ、それっ! 喧嘩売ってるの? それなら買ってやるわよっ!」
「そーいうのは元気になってからなあ」
叩きつけるような言葉は、駄猫にふわっと流されてしまう。
「エルーナ。頼めるか?」
「ええ、わかったわ」
狐女がしとやかに頷くと、静かに前へと歩み出た。
シェリルの瞳をそっとのぞき込んでくる。
なんのつもりと口にしようとして、狐女の妙な雰囲気に気圧されてしまう。
「……右手を挙げて?」
「はあ? 嫌に決まってるでしょ」
反射で拒否するシェリル。
狐女は、ふぅと息を小さく吐いて、駄猫に向かって首を横に振った。
「……これはちょっと無理そうね。警戒心と敵意が強すぎるわ」
何の話だ。そう問い返す前に、駄猫が口を挟む。
「そーなると、都市には戻せねえなあ」
「少なくとも今は……ね。様子をみて、気持ちが落ち着いてくれば、あるいは可能になるかもしれないわ」
「また一人増えちまうなあ」
「いいのよ。仕方のないことだもの」
勝手に話が進んでいくが、どうにも要領が掴めない。
口を挟めず戸惑ってるシェリルに、マイコールが向き直った。
「良かったなあ。エルーナが、この家に泊まってもいいってさ」
「は……、はぁぁぁ!? ちょっと待ちなさいよっ! なんで私がっ!」
ベッドから出て駄猫に掴み掛かろうとする。
しかし、膝から力が抜けて崩れ落ちそうになる。
「ぐっ……」
「落ち着けって。大きな怪我は治したけど、血もたくさん流したし万全じゃねーんだ」
「だけど、私はっ!」
「アウルベア……」
駄猫の呟いた魔物の名前。襲ってきたやつのことだと思い、身体がビクリとしてしまう。
「一匹とは限らねーだろ?」
そう言われてしまえば、確かにその通りだ。
「あれこれするにも、元気にならにゃームリだからな。とりあえず身体を休めるといいぞ」
それだけ言うと、マイコールは背を向けて部屋から出ていこうとする。チビッコも狐女も、一緒について行く。
「バルカン、後で交代するからもう少し頼むな」
「おう。任せとけよ、アニキ」
「ちょ、ちょっと!」
シェリルの呼び止める声は、誰にも拾われなかった。
扉が閉まる音だけが、やけに大きく響いた。




