第五十話 不老不死
すやすやと寝息をたてるリアノン。
彼女の肩にそっと手を添えて、エルーナは安堵の笑みをこぼした。
振り返れば、椅子に身体をあずけているマイコールの姿があった。
エルーナは向かい側の席に腰を下ろした。
静けさの中で、彼は紅茶に一口つけながら、思いを巡らせているようだった。
エルーナの家に運びこまれた赤毛の女性は、別の部屋で横になっている。
あれから目を覚ます様子はない。
気がついたらバルカンが教えると、見張りを請け負ってくれていた。
エルーナは待った。マイコールが口を開いてくれるのを。
「リアはな……」
手元にぼんやりと視線をおとしたまま、ぽつりと口にする。
「死ぬことができねえ……」
波紋一つない夜の泉に、ぽつりぽつりと雫がこぼれ落ちていく。
そんな感覚。
「見た目も出会った頃から、まったく変わらねーんだ……」
「不老……不死……」
かつてマイコールが言ったこと。
――不老不死なんて、そんなもんあるわけねえよな。
繋がった、と思った。
「どうにかしてリアを不老不死から解放してやりたい。……その方法を、オイラは探してるんだ」
各地を旅をしているとは、聞いていた。
今までのリアノンとマイコールの二人からは、色々なことに触れるためと、漠然とそんな風に思っていたのだけれど。
命にとって死とは平等におとずれる。
身近な誰かが失われた時に触れることはあれど、誰しもが死を体験することは一度のみ。
誰だって、未知のものに恐怖することは当然のこと。
不老不死。それは偽りの甘い果実。
傷を負っても関係ない。
死から解放される。
永遠の時を約束されることは、果たして祝福なのだろうか?
違う、と思う。
死ぬことができない。それは心を通わせた人たちを、見送り続ける呪いだ。
「解放ができないなら……」
マイコールが優しい視線を、リアノンへと送った。
「オイラが不老不死になる。それでもいい」
「マイコールさん、それは……」
止めようとする言葉を、しかしエルーナは飲み込んだ。
不老不死の意味を、彼が知らないはずがなかった。
「いいんだ……。リアを一人にするよりは……、ずっと、な」
マイコールは一度だけ深く息を吐いた。
それから、ゆっくりと口を開く。
「リアと出会ったのは、打ち捨てられた城みたいなとこだった。理由があって中に入ったんだ。そしたら……血の匂いがした。奥に行くほど、……むせ返るように濃かった」
マイコールが天井を仰ぐ。
「鉄格子で仕切られた、牢屋みたいなところがあって……。死んでたんだ。……何人もの子供がさ。餓死とか……、身体の一部がないとか……。たぶん、なんかの実験に、使われてたんだろうなあ」
マイコールは淡々と話す。
怒りも、悲しみも混じってなくて、事実だけを並べているだけだった。
「そんで奥の広間に、変な部屋があった。その真ん中に床にはよくわからねえ、円と文字の羅列。一人の女の子がいて、その前で黒いローブの男がわめいてた。『完成』とか『試す』とか、な。そんでもって、手に持ってた剣を振り上げた」
エルーナの指先が、わずかに強ばる。
「オイラ、飛び込んだんだ。たくさん死んでるのをみてたから……、せめて女の子だけでも助けなきゃって。男に向かって、思いっきり爪を振るった。だけど……、間に合わなかった……」
沈黙が落ちる。
「その子は、死んでた」
マイコールは視線を伏せたまま、言葉を続ける。
「でもな、それからしばらくして……、目の前で息を吹き返した。わけが……、わからなかった。それでも一つだけ……」
マイコールの視線は、眠っているリアノンへと向けられる。
「置いてはいけない。そう思ったんだ」
それきりマイコールは何も言わなかった。
静かに時間だけが進んでいった。
ふとテーブルへと視線を落とせば、湯気はもう立っていない紅茶があった。
その奥で、リアノンの寝息だけが静かに続いていた。
◇
まぶたが、わずかに動いた。
ベッドに乗って、リアノンの顔のそばに寄り添っているマイコール。彼の尻尾がぴくりと反応する。
エルーナもまた、椅子から腰を浮かせた。
リアノンが、ゆっくりと目を開く。
焦点の合わない瞳が、天井をなぞって、やがてエルーナとマイコールを巡っていく。
「……マイコー」
見つめ合う二人。
マイコールが、ほわりと表情を緩めた。
そしていつもと変わらない温かい声で言う。
「おはよう」
マイコールの言葉にリアノンが深い瞬きを二度繰り返し、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「……おはよう」
たったそれだけの、短いやりとり。
だけど、これまで過ごして時間があるからこそ、伝わる何かがある。そんな二人の姿をエルーナは見守り続けた。
「ここは……、ベッド?」
「そーだな。エルーナの家だ。……リアのおかげで、あの赤毛の女も無事だったぞ」
「なら、良かった」
リアノンは小さく胸をなで下ろしていた。
「秘密のこと。エルーナに話したぞ」
「……うん」
しばらくして、リアノンがエルーナへと向き直る。
口を開きかけて、また閉じてしまう。
思いが上手く言葉に出来ないもどかしさを感じているようだった。
エルーナも同じような気持ちでいた。
なにを話せばいいか、迷っていた。
「……ルナ、ごめんなさい。……驚かせた」
先に言葉を形にできたのはリアノンの方だった。
謝るのは自分の方だ。
リアノンが謝ることなんて、どこにもないのに。
けれどそんな言葉は、リアノンを妨げてはいけないと、喉の奥で押しとどめた。
「わたし、マナの扱いが下手なの。魔術を使うと、全部出し切っちゃう」
マナの枯渇という言葉が浮かんだ。
「それで、……あんな風になる」
「だから、なのね」
エルーナがマイコールへ視線を向けると、一度だけうなずいてくれた。
魔術を使用するのを止めてくれ。
マイコールのそんな言葉の意味が、今になってようやく形になる。
「二人とも……、迷惑かけて、ごめんなさい」
「リア」
彼女の名前を呼ぶマイコール。
その瞳は、真剣そのものだった。
「迷惑じゃねーよ。それだけは先に言っとくぞ。そのうえで、だ」
マイコールは一息おいてから言葉を続ける。
「本当にどうしてもって時なら……、リアが魔術を使うのは仕方ねえって思う。誰よりもその苦しみがわかるリアが、目の前にそんな相手がいて、放っておけるわけがないからな。だけどな――」
エルーナは、二人の言葉に耳を傾け続ける。
「世の中には、リアの不思議な力をどうにかしようって奴もいる。そのことは覚えておいてくれ」
「わかった」
「もしも、どうしても魔術を使うときは……、オイラか、心の底から信頼できる相手が、そばにいる時だけだ。……忘れてねえよな?」
「うん……。ちゃんと、覚えてる」
「それならいいぞ。この話はおしまいだ」
マイコールの瞳が、いつものように優しくなった。
「まあ、リアをどうこうしようって奴がいたら、オイラがプニっと一発叩き込んでやるけどなっ」
「いつだって頼りにしてる」
マイコールがリアノンの頬に肉球を触れさせた。
その手を大事そうに抱えながら、リアノンは頬ずりをしていた。
そんな二人を前にして、エルーナはふと考える。
こんな大切なことを、自分が知る権利はあったのだろうか?
「ねえ、二人共……。本当に私が聞いても良かったのかしら?」
思いをそのまま形にすると、マイコールたちは顔を見合わせていた。わずかな間をあけて、
「ルナだから、話した」
「そうだなあ」
リアノンの言葉にマイコールはこくりと首を振る。
「むしろ、こんな話を急にされて、辛くなかったかあ?」
「それは大変。ごめんなさいってしないと」
今度はマイコールの言葉にリアノンが続く。
二人の流れるような話し方には、緊張感の欠片もなかった。
思わずエルーナは、くすっと笑みをこぼしてしまった。
どうだった? とでも言いたげに、ふたりが仲良くこちらを見ていた。
「教えてくれて、ありがとう」
自分の内にある素直な気持ちを言葉にする。
にゃふうと、肩の力を抜くマイコール。
「こんな話を誰かにしたの、初めてだからなあ。ちょっと緊張したぞ~」
「初めて、だったの?」
「ああ」
すっかりふにゃふにゃに溶けて、リアノンに身体をあずけるマイコールが、さらっと言ってのける。
「三人だけの秘密、だね」
リアノンが表情をふわっとさせて、唇の前に指を添えた。
エルーナは、そっとうなずいた。




