表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
50/64

第四十九話 いのち

 ――少し前、森の別の場所では。


 木の幹の陰に姿を隠す。

 走り続けて乱れきった息。口元に手を添えて、どうにか押し殺す。

 それでもシェリルの耳には、うるさいぐらいに自分の音が届く。


 さっさと見失って、どこかに消えなさいよ。

 内心では悪態をつくが、もちろん声に出せるわけもない。


 重い足音。

 その姿を確認なんかできるわけがない。

 枝が踏まれ折れる。でかい図体に似合わず、すんすんと周囲を嗅ぎ回る気配までが届いてくる。


 無理だ。ここにいては、いずれ見つかる。


 シェリルは弾かれるように、その場から駆け出した。


 枝に服が引っ掛かりわずかに千切れ、転倒しそうになるのを堪え、歯を食いしばって走った。


 後ろで、木が軋んでいた。

 爪で幹を破砕している。重い足音が、一定の間隔で迫ってくる。

 逃走劇の再開。

 虚をついたスタートはわずかな余裕すら生み出さない、みるみるうちに距離が潰される。


 獣の呼吸が近い。


 振り返れば終わる。大きな影が、すぐ背後にある。


 魔術を使わなければ、死ぬ。

 わかっている。

 しかし、肺が焼けるように痛い。とてもじゃないが、追っ手に効果的な威力まで、マナを練るなんて無理だ。


 生半可な一撃では、怒らせるだけだ。それはもうすでにやったからわかる。毛をわずかに焦がしただけだった。

 そして――

 二つの影が重なった。



 何かがおかしい。

 森への違和感。いつもより静かすぎる。


 エルーナは自然とリアノンの側へと向かう。

 彼女は低い枝の下へしゃがみ込み、落ちている木の実を指先で転がしていた。

 色を確かめ、傷を確かめ、そして小さく首を傾げた。


「これはダメ。これは……使える」


 布袋の口をあけて、選んだものだけを丁寧に入れていく。


「ルナ、もう少しあっちに――」

「静かに」


 エルーナは人差し指をリアノンの口元へ、そっと添え、周囲を見回した。

 そこでようやくリアノンも何かに気づいたようだった。

 遠くから音が聞こえてくる。


 草をかきわけ、枝を踏み抜き、誰かが森を荒らしている。

 それは徐々に、しかし確実に迫っており、次の瞬間。


 視界の隅。木々の隙間から、何かが飛んできた。

 咄嗟だった。リアノンを身体で覆い隠して、衝撃にそなえて歯を食いしばる。


 人の形をしているとわかったのは、一瞬遅れてのこと。

 エルーナのわずかに横を横切り、背後の木に叩きつけられていた。


 鈍い音。枝が揺れ、葉が舞った。

 わずかにおくれて、その身体がずるりと地面に滑り落ちる。


「……人。……すごいケガしてる」


 土が赤黒い血を吸って、少しずつ大きくなっていく。

 嫌な臭いが、ハッキリと漂った。


 森の中。倒れゆく人。流れ続ける血。

 エルーナは、あの時とは違うと自分に言い聞かせた。


「あの人、見たことある」


 動揺していたエルーナの手を、リアノンがするりと抜けていく。


 リアノンが女の側に膝をついた。

 血に怯えることもなく、傷を確かめているようだった。

 血濡れの女の小さな呻きは、すぐに聞こえなくなった。気絶をしたのか、それとも……。


 誰がみても明らかに助からない。

 血の量が全てを物語っていた。

 ふと、リアノンの手が止まる。

 助けるのは無理だと判断したのだろう。そう思った。


 しかし、それは違うとエルーナは即座に理解する。リアノンの瞳には強い輝きがある。


「ごめん、ルナ」


 唐突な言葉に、エルーナは息を詰まらせる。


「ど、どうして謝るの?」

「マイコーも、エルーナも悲しむと思って……」

「……私たちが?」


 エルーナにはリアノンの言葉の意味がよく分からない。

 リアノンは視線を女から外さなかった。


「……魔術を使う」

「そ、それはっ!」


 何が起きるのかをエルーナは知らない。

 だけどマイコールに、それだけは止めてやってくれと、言われている。


 エルーナは一歩を踏み出しかけて。

 リアノンの肩が、わずかに震えた。

 深く息を吸い込んで、静かに吐く。


 女へと手をかざしたリアノンは、戻れない線を踏み超えてしまっている。エルーナは、そう感じとってしまった。


「……死んじゃうのは、辛いから」


 あまりにも静かな声だった。


「待って、リアちゃん――」


 それでも止めなければならない。かつてみた背中が、そこに見えてしまうから。

 リアノンが瞳を閉じて、マナを生み出そうとしている。

 止めようと駆け出した瞬間。


 森を割って現れたのは招かれざる存在。

 暴力の塊。アウルベア。

 木々をなぎ倒し、土を踏み割った。

 ぐるりと首を一回転させ、獲物へと照準を定める。


 殺意をみなぎらせた巨体が、リアノンがいる方へ突っ込んできた。


「土の精霊っ! 壁をっ!」


 リアノンを守らねばならない。この命に変えてもっ!


 エルーナは前へ出て、両手を振り上げ地面に触れる。

 溢れんばかりに湧き出す土の精霊たち。

 土が盛り上がり、敵を阻む壁となる。


 リアノンを護るための一手。

 だが、時間が足りなかった。

 土壁は強固に見える。

 しかし、巨体の質量を前にして、あまりにも粗すぎた。


 土壁に走るひび割れは、即座に破砕へと繋がる。

 そして貫いた巨体がエルーナまでも弾き飛ばした。


 地面へと投げ出され、エルーナの息が詰まる。

 痛みがあるのに、視界が白く霞んで意識までも飛びそうになる。だけど、立たなければならない。


 身体を奮い立たせようとした直後。

 リアノンの身体から、膨大なマナが溢れた。

 光ではない。音でもない。だけど確かに感じられる。ほのかに温かい何かが、身体を貫いて走っていく。


「痛く……ない……」


 叩きつけられたはずの痛みが、ふっと消えていく。

 身体の中まで蹂躙した衝撃の痕は、もはや微塵も感じられない。

 アウルベアが動きを止めていた。

 何が起きたのかと、呆然と立ち尽くしているようだった。


 そして――。

 命の灯火が消えかけていた女。

 致命的だったはずの傷跡など、もはやどこにも見当たらない。


 それは癒しの魔術なのだろう。

 しかし、これほどまでに広範囲で、瞬きの間に修復する魔術の奔流など聞いたことがない。


 その中心となったリアノン。

 彼女の小さな身体が、わずかに傾いた。

 支えを失ったように膝が崩れ、地面に倒れ伏した。


 世界が再び動き出す。アウルベアが低く唸った。

 理解できない現象に一瞬だけ躊躇した本能が、殺意を取り戻していた。

 巨体が、再び動いた。リアノンがいる方へ。

 倒れたまま動かないリアノン。


「……っ、リアちゃん!」


 どうにか立ち上がって、リアノンの盾になろうとエルーナは駆け寄るが。

 アウルベアの爪が振り上げられる。間に合わない――。


「……わりいな」


 ぽつりと呟く声は短い。だが、間違いなく耳に届いた。


「そりゃ、許すわけにゃいかねえ」


 小さな突風が吹き抜けた。

 そして――終わる。


 巨体は悲鳴をあげる間もなく、崩れ落ちた。

 すでに生きてはいない。ただそれだけが、はっきりとわかった。


「……リア」


 マイコールがリアノンの側で立ち尽くしていた。

 耳を力なく垂れさせ、尻尾にも力がない。

 そんな彼の姿を見て、ハッとする。


 そうだ、リアちゃんはっ!?


 エルーナはリアノンへと駆け寄り、膝をついた。

 彼女の肩に触れ、そして気づいてしまう。


「……息を、……していない? ……リアちゃん?」


 名前を呼んでみても、反応はない。

 口元に手を添えてみる。手元の脈に触れてみる。胸元に耳を当ててみる。

 どれも動いてはいない。


 一拍、二拍……。いくら待ってみても、現実は変わらなかった。

 リアノンは……。

 死んでいる。


 マイコールは動かない。エルーナも動けない。


「……マイコールさん」


 エルーナがかろうじて絞り出した言葉。

 だけど、それ続くものをエルーナは持ち合わせていない。

 謝罪も、慰めも、今は何の意味もないのだから。

 リアノンへと視線を落とす。


 また……だ。また、守れなかった。

 それだけが、頭の中を巡っていた。


「リア……、エルーナなら……、いいよな?」


 エルーナを一瞥してから、マイコールがぽつりと言葉をこぼす。

 その言葉の意味は、よく分からない。


「エルーナ……、手、かりるぞ」


 マイコールはエルーナの手を取り、リアノンの胸元へ触れさせた。そしてマイコールが手を重ねてくる。


 なにを、と思った。

 少しずつ温もりが失われていく身体。胸の鼓動は響いてなくて。


「そろそろだ。くるぞ……」

「く……る……?」


 エルーナには、まだ分からない。

 マイコールが何を言っているのか。どうしてそんなに穏やかな声を、まだ掛けてもらえるのか。


「……え?」


 リアノンの胸が、小さく、かすかに上下をした――気がした。

 そしてそれは、繰り返すことで確信へと向かう。


 マイコールは何も語らなかった。


 リアノンはまだ目を覚まさない。

 だが、いのちの温もりは間違いなく、そこに戻っていた。


「リアが目を覚ますには時間が掛かる。悪いけど、家のベッドを貸してくれな」


 理解がまだ追いつかないエルーナ。

 こくりと頷くだけが精一杯だった。


「エルーナ……、リアを運んでやってくれ。オイラはこっちを運ぶ。……リアが命をかけた相手だ。色々あったけど……、目が覚めるまでは置いてやっていいか?」

「それは、構わないわ……」

「ありがとな……」


 エルーナの視線が、マイコールと交錯する。

 マイコールは静かに首を振った。


「良かったら、話させてくれ。オイラが旅をしている、その理由をさ……」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ