第四十二話 しょうかん
皿を一通り拭き終えたマイコール。
バルカンのハゲオヤジの話が終えてからも、エルーナたちは色々と話していた。
せっかく仲良くしているところを、邪魔してはいけない。
マイコールはそう考えて、エルーナとマリアを洗い場に残して、静かに洗い場を後にした。
「ふにゃ~あ……、眠くなってきたな」
マイコールが大きなあくびをする。
とことこ歩きながら、窓越しに外を覗いてみれば、かなり夜も深まってきたとわかる。
子供部屋で一緒に寝ているリアノンを抱えて、ひとまず借りた部屋に戻り、添い寝をして身体を休めてもいいだろう。
そうして子供部屋に部屋に向かっていると、
「おい、アニキ。ちょっと……、こっちだ」
孤児院の玄関前で、誰かに呼ばれた。
声のした方を見れば、大きな図体を柱の影に収めようとしているバルカンが、手招きをしていた。
「にゃんだあ? なんか用かあ?」
「静かに……。マリアとか、エルーナはいねえな……、よし……。ちょっと外行こうぜ」
バルカンがゆっくりと扉を開くと、ついて来いと合図をする。
「そろそろ寝ようと思ってんだけど……」
「まあ、いいじゃねえか。ほらっ、付き合えよ」
珍しく強引に話を進めるバルカンに、マイコールはむんずと掴まれ、肩に乗せられた。
マイコールは首を傾げながらも、そのまま揺られて移動する。
いくつかの宿屋が並ぶ道に出ると、さすがに人通りがほとんど見られなかった。
夜の街は、昼とは別の顔をしていた。 酒場からは笑い声が漏れ、灯りのついた窓がいくつも並んでいる。
「……どこ向かってんだ?」
「アニキ、勉強しに行くぞ」
「んにゃ? こんな時間に勉強?」
「こんな時間じゃなきゃできねえ、社会勉強だ」
バルカンが大真面目な顔をして言う。
熱でもあるのかと額を触ってみるが、どうにも元気そのものだった。
「バルカン……、オイラ、さすがにねみーよ。夜ふかしするとなあ、モフモフにもよくねーってさ。エルーナが教えてくれたんだ」
「まあまあ、そんな連れねーこと言うなよ。男の付き合いも、たまには大事だろ?」
ずんずん進んでいくバルカンに違和感を覚え、マイコールは肩から飛び降りる。
「おい、アニキ……」
「……にゃーんか変だぞ。どこに行くつもりだ?」
ジト目で見つめていると、バルカンが小さくため息をついた。
観念したかのように、ぽつりと言葉をこぼした。
「……娼館だ」
「しょうかん? なんかを呼び寄せるのか?」
「そりゃ召喚だ。まあ、名前なんざ、どーでもいいんだがよ。そうだな……、どこから話したもんか」
ツルッとした頭を自ら撫でながら、バルカンは首を捻って、言葉を懸命に探しているようだった。
「ぶっちゃけて言うとな、俺は心配してんだ。アニキが、その……、あることを知らないことで、いつかでけえ失敗をするんじゃねえかと」
「オイラが知らないこと? なんのことだ?」
マイコールは目をぱちくりさせながら問い返す。
「昼間、俺が聞いたことを覚えてるか。男と女って色々と違えだろ、ってやつ」
「あー、なんかそんな話をしたなあ」
「匂いとか毛のこととか、確かにそれも差ではあるだろうよ。だがな、もっともっと重要な身体の構造の違いが、実を言うとあるんだわ」
「そ、そうなのか?」
「ああ……。仮にそれを知らないまま、アニキが生きていたとしよう。
だが、ある時にその事に詳しい熟練の……、女戦士が現れたとする。
とびきりの厄介な相手だ。
すると、だ。
アニキに学びが足らねえせいで、女戦士の激しい攻めに耐えられない、かもしれない」
「オイラが負けちまう……。そういうことか?」
「ああ……。もちろん、可能性にすぎねえがな」
神妙な面持ちでうなずくバルカンに、マイコールは思わず唾を飲み込んだ。
「だ、だけどよっ、負けたとしても命さえあれば、また挑めるだろ?」
「問題は、そこなんだ。
何も知らずに挑んで敗北すれば、初めての快楽……、いや味わったことのない感覚に、アニキといえど我を失いかねん。
そして相手が悪いやつだったら、純粋なアニキにつけこんで、身も心も支配してくるかもしれねえ。
……そう思うんだ」
「心まで? つまり魅了みたいなもんか? その女戦士ってのは、サキュバスなのか?」
「ある意味では……、似たようなもんかもな。だからこそ、この知識は必要……。俺はそう思う」
「にゃるほど……」
何も知らないからこそ、やられてしまう。
それは、どんな戦士にとっても、危惧すべきことがらだ。
だが、それはつまり少しでも学んでいれば、対策を考えられる。ただやられる未来を変えられるかもしれない。
そういうものだと、マイコールも思っている。
「その、しょうかん、ってところが……。今のオイラに足りないことを教えてくれるんだな?」
「そ、そうなんだぜ! 手とり足とり、丁寧にやれって俺が頼めば、アニキは身を任せるだけでいいんだ! なんてったって、相手は一流のプロだかんな! 前向きに考えてくれる気になったか!」
表情を明るくしたバルカンが、前のめりに喜んでいる。
「おめえの気持ちは受け取った。うしっ、こうなったら教わりにいくぞ。……で、具体的にはどんな技なんだ?」
「そりゃあ……、マッサージ的な?」
頬をかきながら、バルカンが言った。
「にゃんと! マッサージなら、リアにも喜んでもらえるなあ!」
「え……」
バルカンが銅像のように固まってしまう。
しかし、マイコールはそんなバルカンにはお構いなし。
「オイラの癒しが強化されるってことだろ? いやあ、これはやる気が出てきたぞ!」
「いや……、アニキ……、そりゃあちょっと……。……やべえ、ミスったか?」
マイコールはリアノンが新しいマッサージを受けて、喜ぶ姿を思い浮かべていた。
「よーし、しょうかんへー、行くぞー!」
バルカンの消え入りそうな声でなんか言ってるが、マイコールには届かなかった。
◇
意気込んで向かうことにしたマイコールではあったが、「しょうかん」とやらが並んでる場所へ足を踏み入れた瞬間、すでに後悔しかなかった。
「うにゃあ……、鼻がもげそうだ……」
鼻をつまんでも、押さえきれない臭いが鼻をつついてくる。
様々な甘くて濃すぎる香り漬けにされ、もはや毛穴から身体に入ってきているのではないだろうか。
甘い匂いにも色々種類があって、それが重なり合うとこんなにもなるとは、想像もしていなかった。
くさい……。悪臭のそれとは違うが、あまりにもくさい……。
「お、おい、アニキ……。ふらついてんぞ。俺が時折世話になってる店は、あそこに……」
右に左へ足がおぼつかず、マイコールは酔っぱらいのように進んでいる。
「や、やっぱりやめようぜ! 俺の考え浅かった! すまねえっ!」
「そ、そうだな……。こりゃあもう、さすがに無理だぞ……」
「そうと決まれば、急いで――」
がしゃーん! きゃー! お客様、困りますー!
店の中から、ガラスが割れる音と女の悲鳴が飛び出してきた。
……バルカンがあそこだと示した店で、何やら事件が起きているようだった。
「おいおい、よりによって……。ちくしょう、酔っぱらった馬鹿が、暴れやがって!」
駆け出したバルカンの背中が遠ざかっていく。
相手が何人かわからない。
バルカンを心配して、マイコールも駆け出した。




