第三十八話 7人目の妻
冒険者ギルドへと向かっている最中のこと。
エルーナはフードを外したまま、過ごしていた。風の精霊のおかげで、不要な視線を向けられることもない。
右隣に並んでくれるリアノンを、エルーナは横目で覗き見る。
リアノンの表情はいつもと変わらない。
だけど普段通りの優しい目尻と、ほのかに包み込んでくれるような柔らかな口調。
それだけで、彼女の思いが伝わってくる。
家を出た最初こそ、リアノンに手を引かれるままという感じだったけれど、今は少しだけ足取りが軽い気がする。
「他はどこに行ってみるかなー」
「そうだな。……やっぱり冒険都市らしく、ダンジョンとかいいんじゃねえか?」
少し後ろを歩くマイコールは、後頭部に両手を当て何か考えてる様子だった。
その隣でバルカンが、明らかに膨れ上がったお腹をポンポン叩いているのが目に入る。
ダンジョンという単語に、どんなところかしら、と心が動かされた。そんなことを考えている自分に、エルーナは小さく驚いていた。
「この前、バルカンに連れてもらったところだよな。確かにありかもなあ」
「だろ?」
「四人でもぐるか? それともバルカンの仲間も一緒か?」
「あー、悪い! ギルドに行ったあと、ちょっと寄るところがあんだよ」
「そーいえば、この前もそんなことあったな。行くのは仲間のところだっけか?」
「お……、おおっ! そんな感じだな!」
そんなやり取りをしながら、四人は目的地にたどり着く。
ギルドの建物に入ると、様々な装備に身を包んだ冒険者たちで賑わっていた。
壁に張られた紙を手に取り、今日はこれにしようと話す声。アイテム購入の段取りで、相談をしている人たち。
鍛えられた身体や、使い込んだ武器や装備を、これほどまでに近くで観察するのは初めてのことだった。
そんな冒険者たちを眺めたエルーナの感想は、強そうという一言につきた。
「そしたら、オイラはリアノンと行ってくっから。エルーナはここでバルカンと待っててくれ」
壁際まで案内され、マイコールに言われる。
「さっさか用事をすませてくるからな」
そう言って、先頭をきって進むマイコールの背中を、エルーナは目で追った。
こんな荒々しい人たちを前にして、小さい身体の彼は無事でいられるのだろうか?
体格だけではない。周りの人たちと比べても、マイコールは明らかに異質だ。
柔らかそうな毛。
身につけてるのはズボンとシャツという軽装。
壁に立てかけられた剣で斬られたら、あっという間にやられてしまいそうだ。
「すまねえなあ、ちょっと通るぞ~」
受付に続く列はないが、雑談している人たちがいて、マイコールは気安く声を掛ける。
冒険者は低い位置にいるマイコールに気づく。
軽く会釈をして、半歩だけ身を引いてくれた。
その一人だけではない。
受付までの道にいた者たちは、流れるように自然と道を譲ってくれた。
「おっ、ありがとな。助かるぞー」
いつもの調子で、マイコールが礼を言っている。
返事はない。
だが、誰一人として不快そうな顔はしていなかった。
怖れているわけでもなく、軽んじているわけでもない。
冒険者同士は誰も口にはしないけれど、譲るのには共通の理由がある。
エルーナにはそう感じられた。
テーブルの高さに少し足りないマイコール。
リアノンにお腹を抱えてもらい、ぐっと持ち上げてもらっていた。
受付嬢と話し始めた。
やがて受付嬢がすまなそうに何度も頭を下げ始めた。
なにかあったのだろうか?
やがてリアノンだけがエルーナの元へと戻ってきて、
「マイコーが別室に呼ばれた」
「アニキが?」
「そう。……バルバル、なんか知ってる?」
「思い当たるのは……あれかねえ……。まあ話、聞かれるだけだろ。アニキに悪いことなんか、なんもねーはずだ」
「……まあいい。ちょっと行ってくる」
それだけを言い残して、マイコールと共にリアノンはギルドの奥へと姿を消した。
マイコールたちが戻ってくるのを、エルーナとバルカンは静かに壁際で待っていた。
一度だけエルーナがバルカンへ視線を送ると、それに気付いた彼がニカッと笑みだけを浮かべてくれる。
ギルドの喧騒を、ぼんやりと眺める。そんな時間を過ごしていると――。
扉が開かれ、一人の男が通り抜けた。
それ自体は不思議なことではない。ギルドの入口を通る冒険者は、これまでも数え切れないほどいた。
漂う違和感。
男の背後に、女性たちが続く。
それも六人ほど。
建物に入るや、男の言葉を待つことなく、彼女らは席を探して散っていく。
周囲の冒険者たちの意識が、自然と男へ吸い寄せられている。
みえない圧でもあるのか、人の流れが男だけを避けていた。
男はそんな冒険者たちを見回し、どこか満足そうですらある。
そうして男の視線がふと止まる。
壁際にいる、エルーナを捉えたかのように。
「……ほう」
果たして男の言葉は、何への気づきなのか。
エルーナの目にしか映らないが、たくさんの風の精霊が楽しそうに舞っている。
認識阻害は続いている、はずだった。
「なるほど。……悪くない」
距離はあるのに、男の口元がそう告げたと理解した。
男の視線はエルーナを射抜き、迷うことなく歩み寄ってくる。
エルーナは思わず下がろうとして、しかし壁に阻まれてしまう。
「その美しさ……、漂う気品……。
君ならば、ふさわしいと言えよう」
そして静かに告げる。
「七人目の妻は、君に決めた」
整った顔立ちの男はわずかに口角を上げていた。瞳に宿る輝きは、真剣そのもの。
眼前の男は、本気でそう言っている。
かつて似たようなことを言った男の影が脳裏を過ぎる。紐づいた記憶が、呼び覚まされる。
心が凍えていく。
そんな感覚が、静かに落ちてきた。
男は容赦なく、距離を一歩詰めようとして、
「――近づくんじゃねえ」
低く唸るように言って、バルカンが男の腕を掴んだ。
「手を、離してくれないか?」
穏やかな声で、男は言った。
「こ、のっ!」
バルカンは相当の力を込めているのだろう。
こめかみの血管が怒張するほどなのに、それでも男は微動だにしない。
「間違いなく、忠告はしたよ?」
次の瞬間。
バルカンの身体が弾け飛んだ。
宙を舞い、天井に身体を打ちつけてから、床へと転がっていく。
そうして動かなくなった。
誰かの息を呑む音が聞こえた。
その世界で動くことを許されたのは、ただ一人。
今度こそ、男が距離を詰めてきた。
そしてエルーナへと、迷いなく手を差し伸べてくる。
「僕と共に歩く栄誉を、君に与えよう。さあ、手を取るんだ」
エルーナは動けない。
身体が冷え切っていた。指先の感覚が薄れ、立っていることすら曖昧になる。
「ははっ、呆然とさせてしまったか。お嬢さんには、刺激が強すぎたようだ。仕方ない――」
男の指が伸びてくる。触られてしまう。そう思った刹那、
「オイラの連れに、なんか用かあ?」
陽だまりのような声が、割り込んできた。
冷えた身体に、ほんのりと熱が戻ってきたおかげで、上手に呼吸ができるようになる。
マイコールはリアノンを連れて進んでくる。
冒険者たちは左右に分かれ、道を作り上げた。
小さい身体なのに、この場にいる誰よりも堂々とした足取りだった。
「リア」
たった一言。
「うん」
短い返答をして、リアノンがバルカンへと向かう。
傍に座り込んで、顔を覗き込んでいた。
男の指先は寸前のところで、エルーナへと届いてはいなかった。
「バルカンのことだけどよう。ちょっと、やりすぎじゃねーか?」
マイコールは二人の合間に入り込みながら、淡々と言った。
「これは失礼したね」
半歩さがりながら、男は肩をすくめる。
「手加減したつもりだったんだが……。ここまで力の差があるとは思わなかったものでね」
「どうあれ、結果はこうなっちまったんだ。ちゃんと、ごめんなさいした方がいいと思うぞ」
「君の言うことは最もだ。強者である以上、不必要に怪我を負わせてしまったことには、責任をとろう。――シェリル」
男と一緒に入ってきた六人の女性。
そのうちの一人が短く返事をすると、バルカンの側へと膝をつく。彼女の手が小さく輝いた。
おそらく回復魔術だ。
リアノンがバルカンの身体を優しく揺すると、意識がようやく戻り、彼は荒々しい呼吸を繰り返した。
「これをもって、謝罪とさせてもらいたい」
「にゃんか、ややこしーこと言ってるなあ。まあ、ごめんなさい、ってことだよな」
マイコールの言葉に、男は笑顔で応じる。
「それよりも、マイコール君。そちらの美しいお嬢さんは、君の連れということだが、……妻というわけではないね?」
「そりゃあ、ちげーけど?」
「ならば、僕が彼女とお近づきになるのに、障害はまったくないわけだ」
男の視線がエルーナへと絡みつく。
「紹介してもらっても、構わないかな?」
エルーナは思う。男の誘導は巧妙だ。マイコールが断りにくい雰囲気が、生み出されている。
なんと返すのか、誰もが固唾を飲んだ。
「ヤダ」
たった二文字の拒絶。エルーナですら耳を疑ったほどだ。
「なんだって?」
「にゃ? だから、ヤダけど?」
「ほう……、理由を聞いてもいいかな?」
男は静かに尋ねてくる。
「これから遊びに行くんだぞ。楽しい時間は、少しも減らしたくねーからな」
にっこりしたマイコールが、エルーナを見上げてくる。
そして、エルーナの手に肉球を重ねてきた。
男の目が、ほんの一瞬だけ細くなった。
しかし、すぐに穏やかな笑みに戻る。
「これは手厳しい。それでは機会を待つとしよう。ただ、これだけは覚えていて欲しい」
男は右手を胸の前に添えて、言った。
「僕の名前はジェルダン。また会おう。美しいお嬢さん……」
エルーナはマイコールに手を引かれ、男の横を通り過ぎる。
「ちっ……派手にやりやがって」
バルカンはそう吐き捨てて、乱暴に床から立ち上がった。
そんな彼のふとももを、マイコールがぽんぽんと叩いていた。




