第三十四話 ちいさな手
洗濯し終えてから、エルーナはこほんと咳払いをひとつ。
「それで? 私のことを探していたのよね? どうしたのかしら?」
エルーナは背筋をしゅっと伸ばす。
わざわざ心配して見にきてくれた二人へ、向き直った。
シャツの件では色々とあったけれど、ようやく心が落ち着いたから、いつも通りに戻れるはずだ。
「この前みたいによう、街へ行こうって話になってな」
「そうしたらリアちゃんと私で、何をして過ごすか考えましょうか」
すでに色々と考えながら、エルーナはリアノンへと話を振った。
「わたしも一緒に行く」
「あら……、そうすることにしたの?」
「うん。わたしと離れると、マイコー、泣いちゃう」
マイコールが小さく「にゃ!?」と呟いていた。
「そう……、なの……」
マイコールとリアノン。どちらも出掛けてしまう。
その意味を心の中で噛み締めた。
ふとエルーナが住んでいる家を見つめた。
――にゃははっ!
マイコールの笑い声。
――ふわふわ、すごい。
抱きついてくるリアノンの温もり。
灰色だったエルーナの世界を、彼らの存在が鮮やかに彩ってくれた。
だけど、マイコールたちが居なくなってしまえば。
色は失われてしまう。そんな気がした。
想像するだけで、不安が胸を締め付けた。
前回はリアノンが家に残ってくれた。
だからこそ、マイコールが帰ってくると疑いようもなかった。
けれど、街から絶対に帰ってきてくれる保証はどこにもない。
街から街へ流れる冒険者なのだから、ふとしたきっかけで、旅立ってしまうかもしれない。
そう思った瞬間、胸の奥がひやりとした。
二度と手にすることはないと、それでいいと諦めていた温もり。だけど、再び口に入れてしまった甘い果実のようなそれは、無くしたくないと強く感じてしまう。
離れたくないならば、ついていくのはどうか。
けれど、ユキマルはどうする?
エルーナまで家から離れれば、孤独になってしまう。
それに街へ行くのは、少しだけ怖い。
あの街そのものに、何かがあるわけではない。
だけど街へ向かえばたくさんの人がいる。
関わりが増えてしまう。そこにあるのは善意ばかりではない。
必ずどこかに悪意は潜んでいる。
しばらく他人との関わりが少なかったから、考え方が歪んでいる気がした。
それでも……。
カイとミナ。それを奪った国。もしも、またあんなことがあったら……
エルーナは左手で右肘をぎゅうっと握った。
「旅は慣れているのでしょうね。でも、森は油断できないから、しっかりと準備をしてね」
喋りながらも、どうすればいいのか迷子になる。
「それで、……いつ頃、出発するのかしら?」
波打つ心のまま、どうにか絞り出した言葉だった。
「そーだなあ。色々と準備あるから、ハッキリとは言えねえけど――」
「待って、マイコー」
リアノンの制止の声にマイコールが言葉を飲み込む。
「……ルナは、どうしたいの?」
「んにゃ? エルーナは家にいるんじゃねえのか?」
「勝手に、そう思ってた」
「……あ、ああっ!」
思い当たることがあると、マイコールがぽふんと手を叩き合わせる。
「ルナも一緒に行く?」
「……だけど、ユキマルが残されてしまうわ」
エルーナの口からすっと出てきた、それらしい言葉。
「それなら、考えていることがある」
そう言ったリアノンが、先程の出来事を話してくれる。
ユキマルとの意思疎通が少しずつ出来てること。
街の出発前に、留守番について教えてみようと相談したこと。
「それは、すごいわね」
素直な感想がエルーナの口から漏れ出た。
「けれど、それが出来なかったら? あと、誰もいないと食事の問題があると思うの」
「食事も、ためしてみる。虫を糸で捕まえたのを見た。ユキマルは、やれば出来る子」
「そんなこともやれんのかあ。まあ、工夫の仕方は、皆であれこれ考えりゃいいさ」
「まだ難しそうなら、誰かが家に残る」
エルーナの疑問に、それぞれが答えていく。
「とてもよく考えてくれているのね」
エルーナは二人の頭に手を添えて、優しく言った。
前向きに物事に取り組もうとするマイコールたち。
それに比べて自分は……。
街に行けない理由をどこかで探している。
一緒に居たいという思い。
一方で他の人たちへの恐れ。
そんな天秤がエルーナの中で揺れ動いていた。
「……ルナ。……迷ってる?」
どきり。
エルーナの鼓動が強く跳ねた。
「ユキマルのことで、まだ気になることがあんのか? あるなら、教えてくれ。オイラたちも一緒に考えるぞ」
「いえ、あなたたちのおかげで、ユキマルのことは大丈夫なのかもって、思えてきたわ」
そこで一度言葉を切り上げる。
マイコールたちも、続きを急かしてはこない。
エルーナは小さく息を吐いた。
「ここに住むようになってから、一度も街へ行ったことがないの」
「……どのくらい、行ってないの?」
リアノンの素直な問い掛け。
「……三十年、くらいかしら」
マイコールの尻尾が、驚きでぴーんと伸びた。
「うにゃあっ、三十年!?」
「その間、家にたどり着いた人たちもいたけれど、ほとんどお話もせずに、お帰りになってもらったわ。バルカンさんにしたようにね」
エルーナは自嘲交じりの小さな笑みを浮かべた。
「あなたたちが来るまで、こうやって楽しい会話をする機会もなかったの」
マイコールとは偶然とはいえ、出会い方が良かった。カイたちを思わせるところもあったのが大きかった。
「三十年……」
リアノンがぽつりと呟く。
「そりゃあ、街へ行くのも迷うよなあ」
それが街へ行くことを迷う、一番の理由ではない。
けれど、カイとミナに関わる内容を伝えることは躊躇われた。
ここまでがエルーナにとって話せる全てだった。
やはり自分はここに残った方が良い。
そんな想いに傾きかけていると、
「わたしも、街は得意じゃない」
リアノンの言葉に、自然とエルーナの耳が引き寄せられる。
「人がたくさんいると、ちょっと疲れる」
わずかに目を伏せるリアノン。
「けど、嫌いじゃない。食べたり、見たりが楽しい。過ごし方は、人それぞれ」
「……リアちゃん」
一生懸命に言葉を考えている様子が、リアノンから伝わってくる。
「それに、一人じゃない」
「だよなあ」
「わたしたちと、一緒」
リアノンが近づいてきた。エルーナの手を、彼女の両手が包み込んでくれる。
「それなら、どうかな?」
リアノンの小さな手。
今までも何度か繋いだことがある。
普段は可愛らしくて守ってあげたくなるはずの手は、どこかに連れて行ってくれそうな頼もしさが感じられた。
さっきまでは、家に残る理由を探してばかりいたのに。
この子たちとなら……。
「私も街へ……、行ってみたいわ」
そう口にした瞬間、胸の奥の重たいものが、少しだけ軽くなった気がした。




