第三十二話 出掛ける前に
エルーナの家の中で、マイコールは居間がお気に入りだった。
部屋の中央にあるテーブルは、木の呼吸を感じながら丁寧に作られた雰囲気がある。
椅子に腰をかけ、テーブルに顎を乗せた。行儀が悪いことは自覚している。目を閉じてゆっくりと鼻から息を吸う。
「にゃふう……」
まぶたの裏に森が見える。
木の香りが鼻をくすぐって、身体がとろんとしてしまう。
木の匂いにも色々あるが、この匂いはとても好みだった。
リアノンと旅をするようになってから、こんなに一箇所で過ごしたのは初めてだった。
自分の家ではないけど、すでに愛着が湧いてしまった。
何かと世話になるテーブルを、暇があればピカピカに拭くのが日課となっていた。
地面に届かない足をぷらぷらさせ、部屋の様子を伺ってみた。
バルカンは瞑想をしており、ユキマルは絵本に向き合い、糸で上手にめくっていた。
テーブルの向かい側には、椅子に背をあずけたリアノンがいた。
自分のための本を選んで、その世界に深く入り込んでいるみたいだ。
柔らかさを帯びた瞳。
表情にこそ出さないが、その奥に楽しそうな色が宿っている。
白銀の髪のおかげもあって、とても絵になる光景になっていた。
いいものが見れたなあと、内心でにゃふふと笑ってしまう。
声は漏れていない。
それでも、リアノンと視線が交わった。
彼女は瞬きを二度繰り返し、ユキマル、バルカンへと視線を滑らせ、それからもう一度マイコールを見る。
「こういう時間も、良い」
柔らかな雰囲気を壊したくなくて、マイコールはわずかに口角をあげた。
わずかな時間を見つめ合い、リアノンは再び本の世界へ戻っていった。
のんびりする時間もいいもんだなあ。そんなことを思いながら、マイコールはうとうとし始める。
どれくらい、そうしていただろうか。
「そういや……、そろそろまた街に戻られねえとね。アニキ、いつにする?」
時間の流れを元に戻したのはバルカンだった。
マイコールのふわふわしていた意識が、浮上してくる。
「なにかあるの?」
リアノンが本を丁寧に閉じた。
「この前みたいに、たまには仲間のところに顔を出さねえと」
「それはバルバルの用事……、今度はマイコーを連れてっちゃダメ」
歩み寄ってきたリアノンに、マイコールはひょいと抱え込まれる。
「うんうん、そうだよなあ。オイラとリアは一緒にいないと、大変なことになるもんな」
「そう。わたしと離れると、マイコーは子猫になる」
「んにゃ!? そっちなのかっ! た、確かにこの前は、そんなこともあったけどよう……」
マイコールは顔を両手で押さえた。
言葉は徐々に小さくなっていき、リアノンにすら届かなくなる。
本当はリアノンに寂しいと感じて欲しい。そんな親心というか、猫心というか。
しかし子猫返りをした記憶を思い出すと、あんまり強く否定もできない。恥ずかしさで身体がじんわりと熱くなるばかりだ。
「バルバルは子供じゃない。一人で街へ戻れないの?」
「あー……。アニキに迷惑を掛けるのは悪いけど……。情けねえことに、アウルベアがいるかもしれねえ森を、単独で戻るのはちと厳しいぜ」
「アウルベア? それってモフモフ?」
リアノンが目を輝かせそうになるので、マイコールは慌てて口を挟んでおく。
「でっかくて、毛はゴワゴワで、友好的じゃないぞ。人の味を覚えてると、視界に入った瞬間に襲いかかってくる、ちょっとあぶねーヤツだな」
「そっか……、モフモフの同意はもらえないね……」
「好奇心が、ぶっ飛んでるんだよなあ……」
残念そうなリアノンに、バルカンはちょっと引いていた。
「この家、かなり森の奥深くにあるからな。バルカンだけだと簡単じゃねえなあ。下手すりゃ遭難するぞ」
かといってバルカンに「街へ行かずに我慢しろ」と間違っている。仲間を想う気持ちは、大事にしていって欲しいところだ。
マイコールは腕を組んで、柔らかな上体をわずかに横に傾けながら考え込んだ。
「どうすっかな?」
「答えは簡単」
リアノンが名案だと言わんばかりに、人差し指を立てる。
「わたしも一緒に行く」
「あー、まあ……、そーなるよなあ」
マイコールは耳の裏をぽりぽりとかいた。
ジェルダンの顔がふと過ぎる。
にこやかで、人受けがよく、S級冒険者らしい強さを持ち合わせている。少なくとも、表面上はそうだった。
けれど、マイコールは忘れていない。
バルカンらを狙った一撃のことを。
お互いが戦うという意識で対峙した結果、怪我をしたり、命を失うのは仕方がないことだ。
でも、あの時はそうではなかった。
周囲の人たちに悟られないように観客を巻き込む一撃。
マイコールが気づいて、対処してなければきっと……。
「マイコー、どうしたの?」
反応が悪い姿を見て、リアノンが気にかけてくる。
街にジェルダンがまだいるのだとしたら、リアノンには関わらせたくないというのが本音だ。
ただ、ジェルダンについて、リアノンには一切伝えてない。
というのも、感じ方というのは人それぞれだ。
マイコールが考えるジェルダン像の押しつけは、なにか違う気がした。
「わたしがいると、何か良くないことがあるの?」
「そうかもしれないし……、そうじゃないかもなあ……」
ジェルダンがまだ街にいるとも限らない。
それに、これからずーっと、街へ行かないわけにもいかない。
「あと、わたしも会いたい人がいる」
「そうなのかあ?」
「絵筆を作ってくれた人。ありがとうって伝えたい」
それは確かに大切なことではある。
リアノンの決意が最後のひと押しとなって、マイコールはうなずいた。
こうしてリアノンも一緒に、冒険都市へ一度戻ることが決定した。
「きゅいきゅい」
椅子の足元まできたユキマルが、何かを訴えるように鳴いている。
「ユキマルはお留守番。街はちょっと危ない」
そんな言葉に、ユキマルが小首を傾げている。
「うにゃあ……、伝わってなさそーだな。そこまでの言葉を理解ってのは……、さすがに厳しいかあ」
リアノンまで家を離れて、ユキマルがどう感じるか心配ではある。
嫌な記憶として、刻まれたりしないだろうか?
だけど、冒険者だらけの街へ、ユキマルを連れて行くのは危険すぎるだろう。
「ムリじゃない。ユキマルは賢い。たとえば……」
リアノンがユキマルを抱え上げて、テーブルへと乗せる。
「マイコー」
リアノンの涼しげな声に名前が乗せられる。
「きゅい」
ユキマルのまんまるな瞳が、マイコールを捉えた。
「リア」
「きゅい」
リアノンへと視線が移っていく。
「お、おお……。これは伝わってるっぽいな」
マイコールは感動のあまり、両手をぽむぽむ叩き合わせた。
たくさん話しかけているおかげか。
ユキマルのなかで、人物と名前が一致しているようだった。
「そうなの。ユキマルはこのぐらいなら、わかる。バルカン」
反応しないユキマル。
「あ、間違えた。バルバル」
「きゅい」
「バルカンじゃなくて、バルバルしか反応しねえのかよっ!」
バルカンから抗議の声が飛んでくる。
「すっげえなあ、ユキマル。えらいえらい」
マイコールにおとなしく撫でられるユキマルが、どことなく嬉しそうに見えた。
「こんな練習もしてる。ちょっと待ってて」
マイコールを椅子へと残して、リアノンが読書部屋へと向かった。
やがて何かを抱えて戻ってきた。
それは数枚の絵だ。
リアノンが描いたものだと、絵のタッチでわかる。
そのうちの一枚をユキマルの前に差し出す。
本棚があって、マイコールとわかる人物が本に手を伸ばしている絵であった。
じ~っと眺めたあと、ユキマルは移動し始める。読書部屋に近づいて糸を器用に扱って扉を開ける。
そんなことも出来るのかと、ちょっと感動するマイコール。
だが、驚きはそれだけに留まらない。
ユキマルが、新しい絵本を頭に担いで現れたのだ。
これはもう絵を介して、ユキマルに意味が通じたということだ。
積み重ねにより、ユキマルに何かが芽吹きそうになっている。
マイコールは思わずユキマルを抱きしめた。ちょっと身体をこわばらせるユキマル。
だが、構わずマイコールは小躍りし始める。
「ユキマル、すっごいなあ! がんばったなあっ! 今日はなんか美味いもん用意して、お祝いだなっ! もちろん、リアもめちゃくちゃすげえぞっ!」
「えっへん」
誇らしげに胸を張るリアノンが、いつもより少し大きく見えた。
わずかな希望が見えた。
これならマイコールたちが出掛けてくることも、ユキマルに理解してもらえるかもしれない。
ただ、そのための時間は必要だが。
「バルカン、ちょっと相談してもいいか?」
「ん、構わねえぞ」
内容を伝えずとも、バルカンがうなずいた。
「ホントか?」
「俺の方は急ぎじゃねえから、ちゃんと準備してから街に向かおうぜ」
「そう言ってもらえると、助かるぞ。ありがとなー」
*´꒳`ฅにゃはっ!
読んでくれてありがとな。
小さな一歩
毎日積み重ねると遠くまでいけるよなあ
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どうなるのかなあ
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次も一緒に旅してくれたら嬉しいぞ。
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