第二十九話 生命の灯火
城を出て天狐族の村跡へ向かう。
そう決断するのに時間はかからなかった。
ただ、ミナのことをそのまま残すわけにはいかない。苦渋だったが、許可を得て埋葬をするしかなかった。
――後で迎えにくるから。
ミナを土へ還すとき、エルーナは最後までその場を離れなかった。
その夜、誰にも告げず、闇を味方につけて、エルーナは出立した。
衛兵に匂いで勘付かれないよう風の精霊の力を借りる、足音を抑えるのに土の精霊にお願いする。
森に入ってからは火の精霊に小さな明かりを灯してもらい、喉が渇けば水の精霊に集めてもらった水分で喉を潤す。
夜鳥の声も、獣の気配もなく、
土を踏みしめる度に小さく鳴る音だけが耳につく。
夜道ではあるが風の精霊に尋ねながら、一際突き抜けた霊樹がある方向へと導いてもらう。
城から村までは歩きで二日ほどを要するだろうか。
昼間になればエルーナの姿が見えないことで、城は大騒ぎになるかもしれない。
だが、霊樹へ向かっていることを容易に想像はできないだろう。
後々で捕まってしまっても構わない。
誰にも邪魔をされず、天狐族の村を見て回りたかった。
わずかな希望でもいいから、見つける時間さえあれば良かった。
……希望。
本当にそんなものはあるのだろうか?
現実から目を背けたくて、都合のいいように考えているだけではないのか。
一度生まれたわずかな光が、ただの幻であったとしたら。
何度も繰り返し、悩む。
陽が昇ってから、沈むまで。
頭の中ではあらゆる想像が、留まることなく回り続けた。
足全体に痛みや熱が帯びながらも歩き続け、見覚えのある池……、そしてあぜ道へとたどり着く。
天狐族の村は近い。
覚悟を決めなければならない。
現実が、もうそこまで迫っている。
わずかばかり遅くなった足取り。
しかし、答えまで一歩ずつ近づいていく。
そうして天狐族の村としてそびえ立つ霊樹が、視界に入った。
その瞬間、胸が締め付けられた。
たかが火では揺るがない霊樹。その巨大な幹が、そびえ立っていた。
……だけれども。
頂上につながる螺旋状の坂道を進むにつれて、黒くて重い何かが積もっていく気がした。
霊樹に寄り添って建てられた家々は焼け焦げ、どれも無残に崩れていた。生活の気配は微塵も感じられない。
飛び散った血痕の跡、家屋に突き刺さった矢。
何よりひどいのは打ち捨てられた死体の数々。
国のためにと尽くしていた人々に対して、このような仕打ち。
エルーナ様と慕ってくれてた人たちの顔を、見間違えるはずもなかった。
巫女の家へと向かう足取りが、ますます重くなっていく。
それでもどうにか巫女の家へとたどり着いた。
エルーナは扉に手をかけ、一度だけ深呼吸をする。
ゆっくりと、扉を開き、中へと足を踏み入れる。
荒らされた室内、ひっくり返された棚、そして皆で食事をとっていた部屋で……。
「あ……、ああ……」
エルーナは見つけてしまった。
壁にもたれるように座り込み、天の巫女の外套を羽織った人物。胸には深い傷があり、顔にも血の跡があった。それらはすべて乾ききっている。
カイがいた。
全部、終わってしまった。
村も、ミナも、……そしてカイも。
足元が崩れるような感覚に襲われ、エルーナは膝をついた。現実が確定してしまった。視界が揺れ、溢れ出した感情が涙となって瞳からこぼれ落ちていく。
――ルナ、かなしいの? だいじょうぶ?
――エルーナ様、何があったのですか? 僕でよければ話してみてください。
浮かび上がった二人の姿。手を伸ばしてみるが、空を切った。
世界は再び灰色の現実を突きつけてきた。
カイの身体にすがりつくようにして泣いた。死んでから日が経っているので、身体は固くなっていた。
……どうしようもなく、冷たかった。
……抱きしめ返しては、くれなかった。
もう無理だった。
大切なものは全て奪われた。
そんな世界に、どうして居続けなければならないのか?
霊樹の端から一歩を踏み出せば、苦しまずに終われるだろう。そんな考えがよぎる。
涙も枯れ果てて、カイの身体から離れる。ぼんやりとする頭。ゆっくりと立ち上がり、その場を後にしようとする。ふらふらと、一歩、二歩と進んで――。
どさり。背後から何かが倒れる音が聞こえた。
カイの身体だった。硬直したままの姿勢で横に倒れていた。
自分がすがりついたせいで、崩れてしまったのか。
最後まで迷惑をかけてしまった。せめて壁に寄りかかった姿に戻してあげたくて、カイに触れる。
そこで違和感を覚える。
カイの右手。何かがある。
「これは……」
血に染まった薬草だった。
握り潰されたまま、カイの手の中に残っている。
ささいな気づき。
しかし、エルーナの頭を少しだけ引き戻してくれる。
周囲には床に散らばった薬草。
そして床には引きずられたかのような、血の線がある。
誰かに連れてこられた?
いや、赤い手型も所々にある。
これはどちらかといえば、這った痕跡のような。
血の跡を追っていく。
たどりついたのはエルーナの寝室。中には広がった血だまりが乾いたものがあった。
きっと刺されたのは、この部屋だったのだろう。
それなのに這って、薬草がある部屋まで移動している。
もう一度、血の跡を追って、カイの亡骸の前に立つ。
おそらくだが……。
敵が去ったあと、ほとんど動けない身体で……。
血を流しながらも、薬草のある部屋まで来た。
寝室のおびただしい血液跡は、致命傷であるように思えた。
それでも、必死に生にしがみついたのは……。
脳裏に、あの言葉が蘇り、全てが繋がった。
――僕は必ず、生きて会いに行きますから。
約束だった。
カイは守ろうと、最後まであがいてくれた。
エルーナに会うために。約束を守るために。
エルーナは片膝をついて、カイに手を添えた。彼の表情を見つめる。
敵に襲われた絶望など微塵もない、穏やかな死に顔だった。
ただ、顔に付着した血の中に、何か別の細い筋が残っていた。
目尻から伝った涙の跡――そう思えてしまった。
「カイ……、ミナ……」
ミナが、誰のために命を投げ出したのか。
カイが、誰のために生きようとしたのか。
もしも、ここで自分が死ねば、それらの想いはどうなってしまうだろう。
全てが無になってしまう。
そんなことだけは、してはいけない。
胸の奥で、揺らめく何かが灯った。
「……生きるわ」
いつか死が訪れるものだとしても、それまで生き抜いてみせる。
◇
カイの亡骸を抱えて村の入口まで戻ると、複数の気配が近づいて来た。
誰かから逃げるわけでもなく、草をかき分けて何かを探しているようだ。
森を荒らす獣や、略奪者のそれではない。
「エルーナ様」
そう言って現れたのは、ライオネル獣王国の紋章をつけた兵士たちだった。
エルーナをみつけるや安堵の空気が広がった。ただ純粋に捜索していたのだろう。
「何も言わずに城を抜け出されたことを、陛下はひどく心配されております。どうか一緒に城へとお戻りください」
兵士たちに敵意はないが、ようやく発見できた相手を逃がしてはならないと、包囲を狭めてくる。
カイを見つけるという目的を果たしたエルーナに、逃亡の意思はない。
その場に立ち続けるエルーナ。その腕の中へ、兵士の視線が向けられる。
兵士が小さくため息をつく。亡骸を探すために抜け出し、自分たちに迷惑をかけたのか。
そう咎めるような色が瞳に浮かんでいる。そんな気がした。
「……その遺体は、こちらで運搬いたします。我らにお預けください。そして一刻も早く城へ戻りましょう」
兵士は事務的な言葉を掛けてくる。
運搬。
すでに命の輝きを失ったカイに対して、間違ってない言い方なのかもしれない。
すぐにでも帰路に着こうと告げる兵士も、合理的であるとは思う。
あなたにとって……、国にとって……、なんてことのない賢狼族の一人。
だけれど、エルーナにとっては、かけがえのない人。
国の歯車となり淡々と仕事をこなす兵士を前にして、心が冷え切っていく。
ミナとカイの命を奪ったのは、誰になるのだろう。
村を襲撃した者たち?
間に合わなかった兵士?
自分の我を通そうとした王?
この計画を描いた誰か?
エルーナの心の内で、暗闇に浮かぶ明かり程度だったものが、徐々に大きく膨れ上がっていくのを感じる。
兵士が近づいてきて、カイへと手を伸ばしてきた。
「……触らないで」
冷えた声で、エルーナは告げる。
命令をしたつもりはなかった。ただの拒絶でしかなかった。
「……はい」
兵の足が止まり、どこか虚ろな様子で短く返事を返した。
眼前に迫った兵士は、そのまま微動だにせず、周囲に配置されていた兵士がざわめく。
異様な空気があたりに広がっていた。
さわさわと風が通り抜け、周囲の木々を揺らす。エルーナがふと見上げ、思わず目を見開いた。
精霊たちが集まってきている。
いつもはお願いをしようと声をかければ、一人か二人の精霊が、そばに来てくれる気配があった。
だが、その比ではない精霊たち。
それはもはや気配だけの存在ではなかった。
火、水、土、風。
それ以外も、今まで応じてくれなかった精霊たちまで、それぞれの色を帯びさせて、ふわりふわりと浮かんでいた。
無数の精霊たちが、うっすらと輝く光景はどこか幻想的ですらある。
誰もが役に立ちたいと、声が掛かるのを待っている。エルーナには、そんな風に思えた。
エルーナを逃すまいと囲っていた兵士たちは、得体の知れない何かを感じているようだった。
しかし、それでも退かず、任務のためにエルーナの確保に動く。
「……近づかないで」
一陣の風が吹き抜けて、エルーナの静かな声を運んでいく。
風の精霊たちが楽しそうに踊っていた。
「……はい」
兵士の誰かが返事をしたかと思えば、全ての兵士が一歩、また一歩と下がっていく。
一体、何が起きているのか。
まさか、と思った。
エルーナはわずかに震えながら、声を掛ける。
「……跪きなさい」
風に運ばれていく言葉。
その場にいた全ての兵士は、エルーナの言葉に忠実だった。
エルーナは理解した。
――届いてしまったのだ、と。
この拒絶の言葉が。
精霊だけではなく、意思のある人たちまで。
どれだけ時間が経過しても、兵たちは誰ひとりとして立ち上がろうとしない。この異様な光景が、エルーナの考えを肯定していた。
全てを理解できたわけではない。
だけど、あまりにも強すぎる力には違いない。一歩間違えれば、あらゆるものを破壊できてしまうだろう。
エルーナは瞳を閉じた。
瞼の裏に浮かぶのはミナ、そしてカイとの思い出ばかり。
その二人を奪った者たちを許すことは出来ない。だけど、短絡的に獣王国の全てを巻き込むことはしたくない。
「……カイ」
視線を落とせば、そこにはカイがいる。
壊すべきものが見えた。
国のためと都合よく解釈し、民を歯車として扱い、子供は理由もなく犠牲となる。
それを「仕方ない」と切り捨てる場所が、国の中枢にある。
それを終わらせなければならない。
兵士や精霊にひと声かけてから、カイを抱えたエルーナは、ゆっくりと進む。兵士は一言も喋らず後をついてくる。
背後で音がする。ぱち、と小さく乾いた音。
振り返らずとも、何が起こっているかわかる。
村に残された者たちを、せめて精霊の炎で送ろうとした。
たかが火では揺るがないはずの幹に、炎が這い上がっていく。
周囲の木々には一切広がることがなく、空にも届きそうな霊樹だけが燃えていた。
*´꒳`ฅ読んでくれてありがとな。
この先のエルーナが気になるよなあ。
良かったらまた明日も読みに来てくれよな。




