第二十五話 賢狼族の兄妹
天狐族の村は、樹齢千年を超えた霊樹を中心に築かれていた。
一本の巨木から伸びる枝はどれも太く、家を支える強度がある。天狐族は枝同士を橋で繋ぎ、住居を点在させていた。
霊樹の幹に沿って、緩やかな坂道が螺旋状に続き、一番高い位置にある祠まで繋がっている。
祠の手前には一軒だけ住居がある。
エルーナが天の巫女見習いとなった時から世話になっている建物だ。
しばらくぶりに戻ってきた住処を前にして、ようやく肩の荷が下りた気分になった。
エルーナにとって、自分の時間をもてる場所は少ない。
村から一歩外に出れば食べ物には必ず毒見が入り、エルーナの口に入るときには冷めてしまっている。
夜の休息ですら、身の安全のために天狐族の誰かしらが、護衛として付き添ってくる。
各地を救済する旅では、エルーナの自由など一切存在せず、天の巫女として振る舞い続ける日々だけが続くのだ。
天の巫女としての責務だとわかってはいる。
それでも疲れはするし、息を抜きたいと思う。天の巫女もただの人なのだ。
傾斜を登りきると、巫女の家が見えてきた。
窓から柔らかい明かりが漏れており、人の居る気配が漂っている。
巫女の家は簡素だったが、必要なものは揃っていた。
薬草を乾かした束、包帯をまとめた小箱、料理に必要な食べ物、生活に困らないだけの服。
家を空けることが多いエルーナでは、とても管理できないそれらを丁寧に整えてくれる同居人がいる。
扉を開けると、はたはたと小さな足音が競うように近づいてきた。
「ルナ! おかえりっ!」
小さな体で元気いっぱいに飛びついてきた少女――ミナを受け止めた。エルーナの腰元に、ぎゅうっとしがみついてきた。
賢狼族らしいふさふさの尻尾が、ぶんぶんと揺れている。
「おかえりなさい、エルーナ様」
数歩離れたところから、こちらを眺めているのは兄のカイだ。こちらの尻尾はゆらゆらと控えめだった。
「ふたりとも、ただいま」
エルーナは両膝をついて、カイにも左手を差し伸べた。躊躇いがちに、近づいてくる。
エルーナは両腕で兄妹を包み込む。
妹はえへへと笑みを隠さず、兄は照れたように笑った。
この賢狼族の兄妹は、天狐族の村において唯一の部外者である。親を失い、帰る場所をなくした二人をエルーナが引き取った。
最初こそ天狐族の皆は口を揃えて反対した。
「外の者を村に入れるなど前例がない」「巫女様の御立場が――」と。それでもエルーナは退かなかった。
二人を見捨てることはできない。その一心を胸に秘め、想いを伝えると、皆は言葉を飲み込んだ。村で一番長生きの長老ですら、苦言を伝えてくることはなくなった。
天の巫女という立場が、皆を納得させたのだろうか?
それも否定できない。だけど、それとは別に、精霊にお願いする時のような、妙な素直さも感じた。
こちらの言葉が、まっすぐ通ってしまう。そんな感覚。
いずれにせよ、二人を迎えたことへの後悔はない。
「ルナ、おなかへったでしょ? わたしもそうなの。いっしょにごはんたべよ」
「ご飯も良いと思いますが……」
少し考えこんだカイが口を挟んだ。
「先にお風呂へ入ってはどうですか?」
「えーっ!?」
ミナが不満をこめて、カイへと振り返る。
ミナとカイの視線が交錯する。お互いが「何を言ってるんだ?」という気持ちをぶつけ合っていた。
「ぜったいごはんがいいよ! たくさんがんばって、ルナはおなかペコペコのはずだもんっ!」
「身体をきれいにしてから食べるご飯の方が、きっと美味しいと思います」
ミナは胸を張って答えた。
「う~、そうかもしれないけど……。きょうは、ごはんがさきだもんっ!」
「いえ、お風呂が先です。そうですよね? エルーナ様」
お互いがエルーナへと視線を向けた。
そんな二人を前にして、戻ってきたのだなあとエルーナは実感する。思わず小さな笑みをこぼしてしまった。
「ふふ……、どちらの気持ちも嬉しく思うわ」
ただ、正直なところ、長旅の埃や疲れを流したいという思いがある。
エルーナはゆるりと腰を落として、目線をミナの高さにあわせた。やんわりと言葉を紡ぐ。
「私はミナとお風呂に入りたいのだけれど……。ほら、カイもご飯を温める時間が必要でしょう?」
エルーナの思いに、ミナがすぐに頷くことはない。
小さな手を、身体の前でぎゅっと握りしめていた。
唇を強く噛んでおり、泣き出したいのに必死に堪えている。
それでも少しずつ、涙の決壊が近づいている。
「……ごはんが、……さきだもん」
その声は小さいけれど、必死さが込められていた。
「だから、お風呂が先だと――」
否定する言葉を投げかけようとしたカイが、途中で言葉を飲み込んだ。彼の目にもミナの様子が映ったのだ。
ご飯を先にしたい。でも、兄の言葉を前に上手く言い返せない。そんな悔しさが涙となって溢れそうになる。
カイがエルーナに視線を向けて、声を出さずに唇だけを動かした。
――ごはんがさきでもいいですか?
妹の思いを優先して、静かに譲る兄がいる。
エルーナは優しく目を細めて、うなずいた。
「……わかりました。今日はご飯を先にしましょう。それでよろしいですね、エルーナ様」
「ふふっ、今日はそうしましょう」
その言葉にミナの顔がぱっと明るくなった。
「やったー! ごはんだ!」
無邪気な声が部屋いっぱいに響き渡る。
「そのあとで、おふろもいっしょにはいろーね! ミナたちがルナのかみをあらってあげる!」
「ミナたちがって……、それは――」
違和感のある言葉をとらえたカイが、エルーナへと視線を向けてきた。
「あら、二人で洗ってくれるの? それは嬉しいお誘いね」
冗談めかした声音でそう言って、エルーナは柔らかく微笑む。
「え、エルーナ様っ!?」
カイは目を瞬かせていた。
「ほら、小さい頃はカイも一緒に入ってくれたでしょう? 最近はすっかり断られてしまって、少し寂しかったのよ」
エルーナの素直な気持ちだった。
「カイは丁寧だから、髪を洗ってもらうと、とっても綺麗になるのよ。長旅で疲れてしまった私を助けると思って、ね?」
カイの口がパクパクと動くも、言葉が出てこない。視線が泳いでいる。
「と、とりあえず……」
息を一回吸ってから、カイが勢いよく言った。
「やっぱり、ダメですっ!」
「お兄ちゃん……、そんなにおっきい声でダメなんて……、ルナのこと、嫌いなの?」
「違うっ! そうじゃないっ! 嫌いじゃなくて好きだけどっ! って、ああもうっ、何を言ってるんだ僕はっ!?」
言葉が迷子となっている。
わたわたするカイを、ミナがじーっと見つめて、
「あははっ! お兄ちゃん、へんなのっ。かお、まっかだよ!」
「なっ……!」
ミナの容赦ない言葉に、カイは顔を両手で覆うのだった。
子供の歓声と笑い声が、家の中に響き渡る。
その夜、巫女の家の灯りは、いつまでも消えなかった。
*´꒳`ฅにゃはっ!
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