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第二十四話 天の巫女

ここからエルーナの過去編です(全8話)


彼女がなぜ今の選択をするのか、その原点になります。

 それは、マイコールたちと出会うより、ずっと昔の話。



 砂漠に住む獣人たちが空を見上げながら、喜びの声をあげる。


 雨雲から降り注ぐ水滴は、ぽつりぽつりと弱いものから徐々に勢いを増していく。

 それでも雨宿りをしようと、逃げる人はいない。

 身体が濡れることをむしろ喜び、尻尾を振りながら周囲の仲間たちと抱き合っている。


 そんな砂漠の民たちを横目で見つめたあと、エルーナは精霊たちにお願いする。

 火の精霊たちには『太陽が昇る五回に一回は、力を緩めて欲しい』ということ。

 そして水の精霊たちには、『その時に砂漠へ雨を降らせるよう、集まって欲しい』ということ。


 仲の悪い二つの精霊だが、エルーナの側にいてくれる気配がある。姿こそはっきりと見えないが、承諾してくれた気がした。


 そうしてエルーナの想いを汲むと、精霊の気配が薄まっていく。


「天の巫女様……。皆に御言葉をお願いします」


 付き添いの天狐族の一人に、声を掛けられる。ふと横目で後ろの様子を伺えば、砂漠の民たちが羨望の眼差しを向けていた。


 天の巫女――エルーナは瞳を閉じて、誰にもわからない程の息を小さく吐いた。


 しかし次の瞬間には、ふんわりと上品な微笑みを浮かべたエルーナが振り返る。

 薄緑色の裾が多層になったスカートが軽やかに揺れ、銀の小冠が陽を反射した。

 草木のない砂漠であっても、エルーナの周囲だけは森の息吹が漂っているかのようだった。


 静まり返った場に、エルーナの涼やかな声がよく通った。


「火と水の精霊様たちは、私たちのお願いを受け入れてくださいました。これでしばらくは、砂漠にも恵みの雨が降ることでしょう」


 一瞬の間を空けてから、歓声が湧き上がった。

 老いた天狐族がそっとつぶやく。


「……やはりエルーナ様は特別だ。火と水……、相反する精霊を、圧倒的に火の精霊が優位の場で、これほど容易く従えるとは……」

「もはや精霊の方からエルーナ様を求めているかのようだ」

「さすがエルーナ様……、素晴らしい」


 天狐族たちから向けられる視線が、熱を帯びたものになる。


「いいえ、私の力ではありません。すべては精霊様がこの地を憐れんでくれたゆえのことでしょう」


 エルーナは微笑みを保ったまま、やんわりと皆をたしなめる。


 ライオネル獣王国において天狐族というのは、精霊と対話できる巫女を輩出できる希少な種族だった。

 獣王国の民の生活を守るために、精霊の力を借りる。

 それが「天の巫女」としての使命だ。


 エルーナは改めて砂漠の獣人らを眺めた。

 いつにも増して水不足が続き、砂漠で生活をする人から死者すら出始めていた。

 しかし、これからはその心配も減るだろう。

 皆の喜ぶ姿を眺めれば、自分が役に立っていると実感できる。


 しかし……。


 誰しもが好意的な感情を向けてくることに、わずかな不安を芽生えさせた。


 人として居る場所がどこにもない気がした。

 祝福の輪の中心にいながら、自分だけがその外側に立っているようだった。

 天狐族も、砂漠の民も……崇めるような眼差しでエルーナを見つめてくる。

 そんな感情が少しだけ重く感じられて。


 少しだけでいいから、この喜びの輪から離れたい。


 そんな風にエルーナは思った。


「それで……、この後の予定はどのようになっていますか?」


 気持ちを切り替え、天狐族の一人に尋ねる。


 国から依頼された各地を巡り、天の巫女として出来うる限りをしてきた。

 二つの季節を跨ぐぐらいは、旅を続けていたように思う。


「すぐに向かうべき場所はないと、早馬で指示を頂いております」


 天狐族の青年が柔らかな声で告げた。

 それを聞いた皆がにわかに喜びの色を浮かべた。


「わかりました。それでは私たちの村へと戻りましょう。皆も今日までよく頑張ってくれました。身体を休め、英気を養いましょう」


 その言葉で皆が歓声を上げようとして、しかし、青年が躊躇いがちに呟いた。


「ただ……、国王陛下より、天の巫女エルーナ様が直接ご報告へくるようにと……」


 思わず漏れ出そうになる溜息を、エルーナはどうにか飲み込んだ。

 気まずい言葉を伝えることになった青年が、眼を伏せている。


「報告のお役目、御苦労様……」


 安心させるように微笑みかけた。


「最低限の同行者を連れて、陛下のもとへ参ります。他の者たちは、先に村へと戻り、休むように」


 そう告げたあと、エルーナは付き添いの者から、預けていた外套を受け取った。

 肩に掛けると、深いフードが自然と顔に影を落として、銀の小冠もその奥へと隠れる。


 村の外へ出るときだけに身に付ける、天の巫女の装いだった。


 エルーナは視線を王都がある方へと向けた。

 砂漠に風が吹き、薄緑のスカートが風に揺れる。

 風が運んでくるのは砂埃と熱気ばかり。エルーナは少しだけ森の香りが恋しくなった。



 衛兵が厳かな扉を開けると、豪勢な絨毯が玉座まで続いていた。

 エルーナは背筋を凛とさせ、しずしずと歩みを進める。


 壁には様々な魔獣の毛皮が飾られていた。

 その中でも一際目立つものが玉座の背後にあった。

 陛下が自ら討伐したとされるタイラントベアの毛皮だ。


 エルーナの視線の先。

 玉座からわずかに距離を空けて、左右に五人の女性たちが立っていた。

 誰もが華美な衣装を纏い、指を宝石で彩っている。


 たてがみが豊かな獣王ライオネル三世が、玉座にもたれかかっている。

 拳をこめかみに当て、力を抜いた姿勢でありながら、王としての風格を漂わせていた。


 そんな彼の膝上には、金糸を散らした荘厳な衣を纏う王妃がいる。ライオネル三世に撫でられるがまま、身を寄せていた。


「天の巫女エルーナ。ただいま馳せ参じました」


 玉座まで続くわずかな階段。その手前で足を止め、エルーナはスカートの裾をつまみ、ゆるやかに一礼した。


「そんな堅苦しい挨拶は不要だ、エルーナ。おぬしの国に対する奇跡の数々は、すでに耳にしている。感謝しておるぞ!」

「奇跡とは恐れ多いことです。精霊様の御助力、同行してくれた皆様の協力、そしてなにより陛下の判断があってこそ、民の救済はなされたのです」

「ほう、我のおかげでもあると申すのか? 我はその場にはいなかったぞ?」

「各地の状況から、次に向かう場所を的確に判断し、陛下が許可を出されております」


 エルーナは胸元に手を当てて、頭を深く垂れる。


「その謙虚な姿勢相変わらずだなっ! 裏切りや策謀の蔓延る国の中枢で、おぬしのような巫女が心から尽くしてくれることを、我は誇りに思うぞ」


 ライオネル三世は豪快に手を叩いた。


 それまで撫でられていた王妃ピュナが、わずかにエルーナへと視線を滑らせた。

 しかし、それも一瞬のこと。ピュナはライオネル三世の手を取り、自らの頬へと導いた。


「裏切りに溢れているからと、心を傷めないでくださいませ。わたくしたちが居るではありませんか。この身も心も全て、陛下に捧げておりますのよ?」


 声音は甘いものだった。五人の側妃たちも次々に頷いていく。


「もちろんわかっている。お前たちの献身で、我は十分に癒されておるからな」


 ライオネル三世は満足げに頷きながら、ピュナの頭を再び撫で始める。


 ライオネル三世とピュナのやり取りがいつものように始まったので、エルーナは少しぼんやりとしていた。

 陛下と王妃の仲睦まじい関係を眺めるのは、これが初めてではない。報告で玉座に訪れる度に、幾度となくみた光景だった。


 一国の王と正妃の関係が良好であること。

 そして側妃に取り立てられた順に序列が成されていることは、国が安定するためには良い事だとは思う。


 しかし、目の前にある光景でありながら、どこか遠いものに感じてしまう。


 誰かを愛し、そして愛されるとはどういうことだろう?


 天狐族や領民たちがエルーナ様と慕ってくれることはある。

 そんな皆を大事に想う気持ちはあるが、それとはまた別のような気もする。

 家族との記憶を呼び覚まそうとしても、そこに温もりは少ない。


 幼い頃より精霊の気配を色濃く感じ取る才能があった。

 家族にすら『天の巫女様』として扱われ、人としての温もりを知る時間はあまりなかった。


 ――ルナ、いってらっしゃいっ!

 ――エルーナ様が戻られたら、腕によりをかけてご飯を作りますからね。


 旅の出発前に、兄妹から掛けられた言葉が脳裏をよぎる。


 家族を失って行き場のなかった賢狼族の兄妹を引き取り、今では同じ家で過ごしている。

 二人は今ごろ、家で何をしているだろうか?


「おい、エルーナ。なにか考え事か?」

「あ、いえ……。申し訳ありません」


 ハッとして我に返ると、ライオネル三世が苦笑していた。


「陛下の言葉を聞き逃すとは無礼な……」

「そう責めるな。各地を回った足で、報告に来ているのだ。疲れもあるだろう」


 側妃の一人からの苦言を、ライオネル三世は手を軽く上げて制した。


「それにいつも凛としたエルーナが隙をさらすなど、非常に愛いではないか。役得よ」


 ライオネル三世の言葉はやわらかい。

 だが、ピリっとした空気が肌を刺すのを感じた。側妃からの視線がわずかに鋭い気がした。


「エルーナよ。階段を登ってこい」


 ピュナを膝から下ろし、ライオネル三世は静かに命じる。


 玉座へと続く階段は十段ほど。しかし、獣王国の重鎮ですら登壇を許されることはない。


 断るという選択肢は、初めからなかった。

 王妃とわずかに距離を置いたライオネル三世に、冗談の色は微塵もない。


 喉の奥でかすかな音が鳴る。唾を飲み込んだ音が、うるさいほどだった。


 エルーナは一歩を踏み出す。

 玉座へ続く階段を、エルーナが上る足音だけが響く。


「……ふむ、やはり美しいな」


 最後の一段を登り、立ち尽くすエルーナを前にして、ライオネル三世が言葉を紡ぐ。


「我が妻は皆、美しい。だが、それとはまた別の……、広大な森に似た美が、お前にはある」


 ライオネル三世の重厚な声が、玉座の間に響く。


「単刀直入に言おう。我はお前を、七人目の妻として迎えたい」


 空気が凍りついた。六人の妃が一斉に息を飲んだ。


 他国で七人目の妻と聞けば、随分と下の扱いだろう。だが獣王国では意味が違う。

 王が妻に迎えられるのは七人まで。そして第七妃だけは政略で決めることが禁じられていた。

 王が心の底から「この者と生きたい」と至った時にのみ行使される、王の権利だ。


 六人の妻の前で堂々と口にするのは、王としての威厳を示すためだったのか。それとも一人の男としての言葉だったのか。


 しかし、エルーナは静かに首を振った。


「……恐れながら、私はお受けできません」


 王妃と側妃に驚きが広がっていく。


「陛下」


 エルーナの声はやわらかく、しかし確かな信念を宿して言葉を紡いだ。


「私は天の巫女としての務めを捨てることはできません。天狐族の村で巫女として育てられ、民と精霊をつなぐ架け橋として生きてまいりました」


 ライオネル三世の顔色を伺う側妃たち。彼自身が発言をしないということは、つまりエルーナの言い分に耳を傾けている。

 その意味を理解できない者が、妃になれるはずもなく。


「……もしも仮に、第七妃の座をお受けしたとして。私はどのような生活をするのでしょうか」

「王宮で不自由のない暮らしをすることになるだろう」

「巫女としての活動はどうなりましょうか?」

「それは……、難しいだろうな」


 ライオネル三世が許したとしても、重臣や妃たちが受け入れるわけがない。

 王族に名をつらねながら、民と気安く交流するなど威を損なう行為だ。


「つまり、そこにいるのは、私であって、私ではありません……」


 エルーナは静かに目を伏せる。


「陛下は『自然の美がある』と私のことを評してくださいました。しかし、それは天の巫女として生きているからこそ、そう映ったのではありませんか?」

「……天の巫女でなくなったエルーナは、我が望むエルーナではない。そういうことだな」

「……はい」


 エルーナは静かに頷いた。

 ライオネル三世はこめかみに手を当て、玉座に背を預けた。

 その眼差しには怒りや失望はなく、何かを噛みしめる静けさだけがあった。


「……なるほど。それが、お前の答えか。なかなかに口がたつ」


 王は立ち上がり、エルーナを見下ろした。


「へ、陛下の言葉を無下にするなど、許されることではありません」

「やめよ、ピュナ。今はその時ではない、それだけのことだ」


 重く低い声が、広間に響く。


「……だが、忘れるな、エルーナ」


 ライオネル三世が笑みを浮かべる。王としての威厳と、男としての執念がにじみ出ていた。


「我は諦めの悪い男だ。欲しいものは、これまで全てこの手で掴んできた。その心も、いつの日か我に向けさせてみせよう」


 ライオネル三世の眼光が光る。


 世界には「奪う者」と「奪われる者」がいる。

 ライオネル三世は明らかに前者。捕食者としての矜持を宿していた。


 エルーナは背筋に冷たいものを感じたが、それでも顔を上げ、柔らかく微笑んでみせた。


*´꒳`ฅにゃはっ!

   読んでくれてありがとな。


   エルーナの昔⋯⋯

   少し、重たい話になるかもしれねえな。


   気に入ってくれたら、

   次も一緒に旅してくれたら嬉しいぞ。


   ブックマークしてもらえたら、もっと嬉しいな。

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