第二十一話 子猫返り
「ぜえぇ……、ほらっ、アニキ! 念願の場所に、ようやく着いたぞ」
「バルカンっ! よく頑張ってくれたなっ!」
虫たちの演奏会に満ちる森を抜け、庭へたどり着いた。
中央にぽつんと佇む家。
黒い布を張ったかのような暗闇が支配する空間で、窓から漏れ出るやわらかな光がなぜか心に染み渡る。
「ぜぇっぜぇっ……、マジで死ぬかと思ったぜ……。リア嬢ちゃんのことになると……、マジで容赦のねえのな……」
息も絶え絶えなバルカンは、身体を大地に投げ出し、荒れた息遣いで呼吸を繰り返していた。
もう一歩も進めないと全身が抗議しているようだ。
単独で先に戻ることも考えたが、それではバルカンが家にたどり着けない。
マイコールがバルカンを担いで駆ければ、枝葉を気にかけなければならない。バルカンに気張ってもらうしか、手がなかった。
「オイラは先に行くぞっ。あとで水を持ってきてやるからなっ」
「俺はここで休んでいくからよ……。あ~、夜風が気持ちいいぜ……」
バルカンの言葉に甘え、小さな足で家の扉へと駆け寄った。勢いよく扉を押し開け、
「リアっ! オイラが帰ってきたぞっ!」
室内に飛び込むと同時に、ジャジャーン、と効果音が聞こえそうな格好でマイコールは腕を広げる。
きっとリアノンが目を輝かせて、胸元に飛び込んでくるに違いない。そして一日ぶりのモフモフを堪能する彼女を、仕方ねえなあと撫でてやるのだ。
しかし、反応がない。
留守なんてことはありえない。二人がいることは、入る前から匂いで確認済みだ。
二人の背中がある。
食卓テーブルの側で仲良く並んでいた。
覗き見えるリアノンの横顔は真剣そのもので、脇目も振らずテーブルへ視線を注いでいる。
テーブルの上に何があるのかは、マイコールの位置からだとよく見えない。
匂いからするに、なにか甘いものを作っているようなのだが。
「お~い、リア~。オイラ、帰ってきたんだけど……」
「知ってる。おかえり、マイコー」
「マイコールさん、おかえりなさい」
目を合わせてもくれないリアノンに対して、柔和な笑みを浮かべてエルーナは迎えてくれた。
「な、なあ、リアっ! ほらあ、一日ぶりのモフモフができるんだぞ? 今なら触りたい放題だっ! ほらほら~」
マイコールは全身の毛並みを、ふわりと見せつけるようにアピールするが、
「ごめん。ちょっと手が離せない」
リアノンはズバッと言ってのけた。マイコールは予想外の一言に、頭の中が真っ白になってしまう。
どうして……、そんな……。
たった一日会わなかっただけで、モフモフを卒業してしまったのだろうか。「マイコーのモフモフがないと眠れない」と耳元で囁いてくれた彼女に、もう二度と会えないのだろうか。
「ふぅ~、どうにか動けるようになったぜ……、うおっ!? アニキ……、そんなとこで固まって……、なにしてんだ?」
遅れてやってきたバルカンの声で我に帰ったマイコールは、次の瞬間、リアノンの足元へ飛びついた。
「リアぁぁぁ、お願いだからオイラを見てくれ~」
頭をすりすりさせてアピールするが、
「ムリ。わたしに余裕はない。お願いだから、静かに待ってて」
にゃあにゃあ騒ぐマイコールなど眼中にない様子で、リアノンは手元へ集中し続ける。
「やだやだやだっ。オイラの毛がモフモフされたがってるんだっ!」
あまりにも必死なマイコールの姿に、バルカンは頭を掻きながら呟いた。
「……あ、アニキが子供返り、いや、子猫返りしてやがる」
「相手してくれよう。オイラをモフってくれよう」
「アニキ……、リア嬢ちゃんは手が離せねえみたいだぜ。……俺でもよけりゃあモフモフしてやろうか?」
「やだっ! リアがいいっ!」
「さっきまで『寂しがってたリア嬢ちゃんを癒してやる』って意気込んでたはずなんだが……、寂しがってるのはアニキだよなあ」
「リアぁぁぁ! オイラを見てくれよー!」
ついにマイコールは足元から一気に這い上がり、リアノンの背中にぎゅぎゅっと張り付いた。
さあ、モフモフを思い出して、いつものリアノンに戻ってくれっ!
「……」
リアノンが手を止めてから、わずかな沈黙が続く。
「マイコー、邪魔」
リアノンの無情な声に切り捨てられる。衝撃的な言葉が脳裏で反芻される。
じゃま、ジャマ、邪魔、じゃマ、ジャ魔、邪ま……。
その一撃はあまりにも重い。
絶望に貫かれたマイコールが、リアノンの背中からぽろりと剥がれ落ちた。
そのまま床に転がるかと思いきや、エルーナがマイコールをそっと支えてくれた。
「ほら、マイコールさん、テーブルの上をよく見て」
「うにゃ?」
エルーナの穏やかな声に導かれた先には、リアノンの小さな手が生地を丁寧に揃えている姿があった。
白い粉が指先に薄く付いている。伸ばされた生地が切り分けられたものを、編み物のように交互に並べていた。
それはパイの表面を形作る作業だった。
ぎこちないけれど真剣に取り組むリアノンの姿に、思わず目が離せなくなる。
「あなたが出掛けた後、コリンの実を使ってパイを作ることになったの。森にある実を探すところから初めて、ようやくここまで来たのよ」
「エルーナが手伝ってくれたんだろうけど……、それでもリアがお菓子作りまでやるなんて、すげえなあ」
その言葉にエルーナが、ふんわりと微笑んだ。
「マイコールさんに食べさせてあげたいって、ずっと頑張っていたわ」
「お、オイラのために? ……そ、そっかあ。それじゃあモフモフしてくれって邪魔しちゃいけねえなあ。……静かに待ってるよ」
マイコールの尻尾がぶんぶんと振れた。
感情の高ぶりに反応してしまい、一生懸命とめようと念じるが、意思に反して揺れ続ける。
自分の尻尾を制御できないなんて!
恥ずかしくなってマイコールは尻尾を抱きしめた。
それでも尻尾の先端だけがぴょこぴょこ動き続ける。
その様子を見ていたエルーナは、目尻に優しいものを宿していた。
「あらあら、尻尾は我慢できないようね?」
「うにゃあ……」
両手で顔を覆うマイコールを見て、エルーナが口元に手を添えながら、ふふっと笑みをこぼす。
「そうね……。そうしたらバルカンさんとお風呂へ入ってきてはどうかしら?」
「お風呂? でもなあ……」
横目でリアノンをちらりと見る。まだモフモフしてもらってない。そんな気分になれないのだが。
「少し触るわね」
エルーナの手が、マイコールの毛先を摘む。
「洗尾剤だと、ちょっと弱いかしら……。でも、身体を洗うのだと強すぎる……。洗髪剤ね」
エルーナがぽつりとこぼす。
「私の使っている洗髪剤で身体を洗えば、汚れも取れて、毛並みも柔らかくなるわよ? 大切な人に抱きしめてもらうことを想像してみて」
すらりと指を立て、エルーナが一つずつ丁寧に説明をしてくれる。
戦ったあとで服もボロボロ、埃まみれで汚い自分。
身体を洗ってモフモフかつスッキリ、さらにフワッとした自分。
尻尾が電気を走らせたかのようにピーンと立った。
「バルカン……、風呂だ……。風呂に行くぞっ」
「あ、え? 俺も一緒に風呂へ入んのかっ?」
「全身洗うのって、結構大変なんだよ。だから手伝ってくれよな」
「なるほどなあ。いいぜ。俺もさすがに汚れは落としてえからよ」
バルカンと並んで浴室へと移動し始める。
「マイコー」
背後からそっと届く、優しさで包み込むような声。リアノンはパイと向き合いながらも、短い言葉を口にする。
「もう少しだから。待ってて」
それ以上の言葉はなく、リアノンの意識は再びパイ作りの元へ。
マイコールは笑顔で「おうっ」とだけ返事をして、浴室へと向かった。
*´꒳`ฅにゃはっ!
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