第十六話 魔物の影
「ふぁあ……、マイコー、バルバル。行ってらっしゃい」
「さっと行って、さっと帰ってくるからな~」
「気をつけてね。お土産、期待してる」
「おう、任せとけっ」
まだ薄暗い時間帯。
お日様よりも早く目覚めて準備を整えたマイコールは、バルカンと一緒に冒険都市サヴァランへ向かうことになった。
白猫を模した寝巻きのリアノンが、目尻をこする。
いつもなら寝ている時間なのに、わざわざ見送るために起きてくれた。今も眠気への抵抗をしている。
そんなリアノンの背後に、エルーナが立っている。
リアノンの肩に両手を添えて、支えてくれていた。
バルカンが仲間に一度顔を見せておきたい、と言ったのが事の発端だ。
入れずの森に来てから、かなりの時間が経過している。
行き先は告げて出発したが、あまりにも帰りが遅いと、ギルドに頼んで捜索隊を組む事態に発展するかもしれない。
とりあえず急いでサヴァランへ戻って、各所へ顔を出そうということになった次第である。
「ちゃーんとエルーナの言うことを聞いて、良い子で待ってるんだぞ」
「……心配いらない。ふぁ……、ルナとわたし……仲良し……すぅ……すぅ……」
言い切る前に、リアノンの身体から力が抜けた。
エルーナに抱きついたまま、すとんと眠りへ落ちる。
白猫を模した寝巻きの耳が、ふにゃりと垂れた。
「にゃ……」
マイコールは思わず苦笑する。
完全に寝たな、あれは。
エルーナは慣れた様子で、リアノンの体重を受け止めている。
肩に添えた手に力を込め、ゆっくりと抱き直す。
「仲良しになれて、良かったなあ」
ルナって呼ぶようになったり、ご飯の準備を手伝うようになったり……。
随分と仲良くなった二人の姿を見ると、思わず口元が緩んでしまう。
エルーナなら、リアノンを任せることが出来る。
ただ、懸念はある。
マイコールはエルーナの耳元で囁いた。
「昨日も伝えたが……、夜に苦しんでたら絶対に起こすのはムリだ……。寄り添うだけしてやってくれな。あと、理由は詳しく話せないんだが――」
「リアノンちゃんがリフレを使おうとしたら止めて欲しい、だったわよね」
リフレ。それはリアノン唯一使用できる魔術。
回復魔術の初歩だ。
マイコールはこくりとうなずく。
「頼んだぞ」
いつもならリアノンを連れて行くのだが。
リアノンも一緒にサヴァランへ戻るとしたら、太陽が三度は顔を出すところを拝むだろう。
だけどバルカンと二人なら、強化術を使って半日で行けそうだ。
なによりせっかく仲良くなったエルーナとネイチュラとの時間を、大事にして欲しいと考えた。
「そんじゃ、いってくるな」
バルカンに肩車をしてもらい、マイコールは手を振る。
ふと思い返せばリアノンと出会ってから、一日も離れるのは初めてだった。
尻尾を後ろに引っ張られる気持ちに蓋をして、バルカンとサヴァランを目指す。
◇
魔核から大量のマナを産出。全身の耐久性を向上させ、なおかつ速度を強化する。
硬さと速さを手に入れたバルカンは、枝葉を折りながら転がっていく岩石のようなものだった。
森林大好きエルフがいたら、怒り狂う所業である。
むやみに森の中を爆進してたら、やがて力尽きて魔物の餌になるところを、正確にサヴァランへと向かわせるのがマイコールの役目だ。
「もうちょっと右……、わずかな溝に気をつけろ。そこを跳んで……、あの大木についたら左へ曲がって……」
「アニキっ、道をっ、覚えてんのかっ? すげえなっ!」
「こんなん行きの道を、逆に突き進んでるだけだぞ」
「俺にはっ、全然っ、わかんねえしっ、すげえ速さで進んでんのにっ、それよりも早くっ、指示を出してんじゃねえかっ」
「走りながら喋ると舌かむぞ~」
森を強引にねじ伏せながら進んでいたが、さすがに疲労は溜まるので休憩を入れる。
木に背をあずけて、バルカンは肩で息をしていた。
「強化術をこんだけ使うと、さすがにきついだろ~。でも、いい修行にだな」
「……ぜぇ……そう、だな……ぜぇ……。吐きそうだぜ……うっぷ……」
「ほら、魔水石だぞ。水分とっとけ」
水色の魔石にわずかにマナを流し込むと、水が滴り始める。
バルカンは天を仰ぎ、水を補給し始めた。
「こっからはオイラが担ぐか? 疲れたろ?」
「……いや、休憩したらまたやるぜ。アニキに迷惑かけたくねえし、なにより俺がやりてえって思うからよ」
水が喉を潤し、わずかばかり活力が戻ってきたようだ。
瞳の奥にある強い光が、非常に頼もしい。
「そんじゃあ、休憩を手伝ってやろーか?」
「手伝う? どうやってだ?」
両手の肉球をバルカンに見せつけて、
「ほら、前に話しただろ? オイラの肉球マッサージ受けると回復が早く――」
「いやっ! それは勘弁っ、じゃなかった。遠慮しとくわ!」
バルカンが大げさに手を横に振る。
「そうか? ほんとにいいのか?」
「じ、自分のペースで回復するってのも、だ、大事だろ?」
確かに何かに頼らず回復を繰り返すことで、回復速度は早まる傾向にある。
リアノンと違ってバルカンは生粋の冒険者である。
ならば、肉球パワーに頼らない回復も、必要なのかもしれない。
「にゃるほど。良い根性だな! だけど、やっぱりマッサージが必要なら言ってくれよな。手で揉んでもいいし、足でフミフミもできるからなっ」
「あ、ああ。助かるよ、アニキ」
バルカンが胸に手を当てて、ふぅとため息をついていた。
「そしたら、しばらくゆっくりしとくんだぞ。その間に、オイラはちょっと探し物しとくからよ~」
「こんな森の中でか?」
気楽に告げると、バルカンが眉根を寄せて尋ねてくる。
「リアに頼まれた木の実が、いくつかあったんだよ。ここに来るまで、あちこち見かけたからなあ」
「あの速度で……、指示も出して……、探し物までしてたってのか? よく見つけられんなっ!?」
「にゃはは、ちょっとばかり眼がいいのが自慢だぞ」
「ちょっとなんて……そんな生易しい次元かよ……」
苦笑する元気が戻ってきたバルカンを残して、ここまで辿ってきた道を少しだけ戻ってみる。
フルーの実、ホワロの実……、グリンの実まで見つけることができた。一つ一つを丁寧に拾って袋へ入れていく。
どれも潰して水と混ぜると、鮮やかな色合いになるのだ。
少しだけ通ってきた道を外れる。鼻をひくつかせながら、草むらをかき分け地面を観察してみる。
あった……、こっちにも……、あそこにも!
リアノンも満足する光景がまぶたの裏に浮かぶ。
「さすが、マイコー」と撫でてくれる姿を想像し、尻尾がピクピクと動いてしまうのは仕方ないだろう。
次々と木の実を袋へ詰め込み、ずっしりと重くなっていく。
だが、そこで不意に違和感のある臭いが混じった。
「少し遠いな。それに最近のものでも……ないか……」
鼻先にちらつく臭いをたどり、行き着いた先には。
「……こりゃ、アウルベアだな」
そびえ立つ大木には深々と刻まれた爪痕があった。
グレイウルフが生存できる生態系としては、いるはずのない魔物である。
大木に傷跡を残すのは、縄張りを主張するためだ。自身が強者である証ともいえるだろう。
ただし、その爪痕はやや古くなっている。定期的に爪痕を更新するのだが、その様子もない。
そもそも臭いがすれば、すぐにわかるはずだ。
大森林は広い。住処を移したと考えるのが普通だろう。
周囲の地面を観察すると、エルーナの家がある方向とは別に進んだような形跡がある。これならば一応大丈夫だろうが……。
油断は禁物と自分に言い聞かせておく。




