アイデンティティと愛国心って素敵やん
「効くね~。大将、同じのもうひとつ」
「あいよ」
大将は短く答える。
「大将、これなんて酒?」
緑の液体が入ったグラスをトンと置いた大将に俺は尋ねる。
「アブサンだよ」
「ゴッホゴッホゴッホ!え?アブサン?マジで」
大将の答えを聞いて俺は咳き込んでしまう。
「何をそんなに慌てているのよ?」
「だってアブサンってニガヨモギが入ってる奴だろ?やばくないのか?」
「バッカねえ、今どきそんなもの入ってないわ。安心して飲みなさいよ、まったく小心ねえ。まあ、小心なのはこの業界では良い資質だけどね」
「どの業界だよ、もう」
俺は改めてアブサンをひとなめする。う~む、ニガヨモギは入っていないと言われてもこの舌を刺激する感じ。アブサンと聞いた後では妙に怖いんですけど。
でも、怖いんだけどハーブの清涼感が効いてて美味いんだよな~。
「しかし、あんたっていったい本当はどこに所属してるのよ?」
「それを言うならあなただってどこに所属してるのよ?レインザー王国?う~ん、愛着はありそうだけど、それは愛国心と言えるほどではなさそうよねえ」
スプレーンは挑戦的な目で俺を見る。
「なんでそう思うんだよ?こう見えても俺って結構、愛国者よ」
俺はアブサンをクイッと一口やって言う。
「そこまで祖国に対して強い忠誠心を持った人間だったら国の重鎮たちがここまで仲良くしないでしょう?あなた自身、レインザーの国益優先で動いているようにはとても見えないし」
「そりゃああんた、祖国愛と国民主義をごっちゃにしてるからそう感じるんだろ?俺は祖国愛はあるよ」
レインザーに愛着は持ってるもんね。
「国民主義?初めて聞く言葉ね?どういう意味なのよ?」
「国粋主義、国家主義、民族主義って言葉を聞いた事は?」
「それなら聞いた事があるけど、それってどれも正確には違う意味でしょ?」
「まあ、そうだね。でもそれらを広い意味でとらえたのが国民主義だと思って貰っていいよ。細かい概念の話とかは俺もそこまで詳しくないけども、ザックリ言えば俺は自分の国は好きだし親しみもあるけど、自国の利益のみを考え他国を排除しようとは考えないって事だよ」
「へ~、ふうん。なるほどねえ~」
スプレーンはそう言うと自分のグラスを飲み干すと同じものを注文した。
「あなたの考え方って個人的には嫌いじゃないけどね、でもね」
スプレーンは真剣な目をして置かれたお代わりのグラスを軽く飲んで俺を見る。
「そんな考えが広まるとこちらとしては困るのよね」
怖い目をするスプレーン。
「だったら、どうする?」
俺は真正面からスプレーンの目を見据えてそう返した。
どうすんだよ?
よろしい、それなら戦争だ、か?
「別に。何もしないわよ」
スプレーンの目から険がとれる。
「は?なんだよそりゃ?」
「そのまんまの意味よ。別に何もするつもりはないわ。だって、そうでしょ?そんな考え方、そうそう広まるとは思えないもの。あなたの言ってる事ってさ、自分の国を愛してるけど、自分の国の歴史が、文化が、その他色々な事に対して他国より優れているとは思わないってことでしょ?そんなの無理に決まってるもの」
「別に自国の文化や歴史に誇りと愛着を持たないって事じゃあないぜ」
「その辺んがあなたの不思議な所なのよ。普通はね、それはセットなのよ。誇りと愛着を持てばそれは他とは違う特徴であり独自のものであると思うものなの。そうすれば当然、その対象は未来永劫変わりない価値を持っていて欲しいと思う。それがその人のその人である理由になるのよ。あなたがあなたである理由、それがどうにも見えない。とても薄いのよね」
スプレーンは目を細める。
ううむ、それってなんだかとても思い当たるフシがあるのだ。
痛い所を突かれたって訳じゃあない。
つまりスプレーンの言ってる事って俺のアイデンティティが希薄だって事なんだろう。
それは前世でも良く言われていた事なのだ。
社会の多様化による人間関係の変化、SNSなどの情報過多などなど色々な理由により多くの人のアイデンティティが希薄になっていると言われて久しかった。
更にその上俺は幼少期から思春期を通しておかしな価値観を植え込まれるという経験をしている。
そんな事もあり、俺は自分が何者でありどう生きるかを結局、確立できずに今の今まで生きてきてしまった。
そしてそれを俺自身、特に不便とも悲しい事とも誇れる事とも恥ずべき事とも思っていないのだ。
いや、生きてきてしまった、なんて咄嗟に出たのはやはりどこかでこれが良くない事だと認識してるのかも知れないな。
いずれにしても、これはそう簡単にどうこうできる問題じゃあないと思う。
きっと、自然と変化するもなのだろう。
こっちの世界に来て、俺自身随分変化したと思ってる。
だから、そうした事も自然と変わっていくんじゃないだろうか。
「……ちょっと!聞いてるの?だから、あなたのような人が必要なのよ。今すぐ答えをくれとは言わない。考えてみて。なんなら、好きな時に参加して意見を聞かせてくれるだけでも構わないから。あなたの自由は私が保障するから」
「あ?ああ、ありがとさん。そこまで評価して貰えるのは嬉しいけども、学生との両立は難しそうだし遠慮させて貰うわ」
俺が思わず物思いにふけってしまってた間、スプレーンはしゃべり続けていたようだ。それも、なぜか俺をスカウトする流れになっていたようだ。
なぜそうなったのかさっぱりわからないが、とりあえずお断りさせて頂く。
「だから、すぐに返事してくれなくていいって言ったでしょ?待ってるから」
「勝手に待たれても困るんだけど」
「あ!もうそろそろパーティーの時間よ!早く行かなきゃ!会計お願い!」
スプレーンは慌てた様子でそう言って会計を済ませている。
パーティー行かなあかんねんって、お前はそのまま歌ネタはいるんか?ものボケするんか?
ちゃっちゃと会計を済ませたスプレーンに手を引っ張られて俺は店を出る。
なんだか、良くわからん飲みだったなあ。




