風邪をバカにしちゃいけないよって素敵やん
ヤスミーナさんの質問に取り付く島もなく事務的で誠意のない対応をし続けた風紀委員長バスティンだったが、俺はその固く冷たい所にどこか無理をしていると言うのか、弱さを感じたのだった。
「そりゃあよござんした。私に地元じゃ風邪は万病のもとなんて申しましてね、たかが風邪だと軽く見てると重い病気を引き起こす要因になる事もあるってなもんでしてねえ」
「まあ、そうした事もあるでしょうねえ」
俺の言っている事の意図が読み取れず困惑しているのか、言葉から冷たさが消えつつある。
「風邪のような些細な病も放っておくと様々な病気に転ずる事がある。これって、人も組織も同じ事だとは思いませんか?ねえ?」
「どういう事ですの?」
「私の地元にこんな昔話がありましてね。あるところに大きなギャング団がありましてね、三代続く名門ギャングだったんですけど、最近になってライバルが現れたんですよ。そのライバルは名門ギャングがやっていなかった非合法薬の売買をやりその資金力で急速に力をつけてきたんですよ。名門ギャングは脅威を感じましてね、どうしたと思います?」
「どうしたと言われても、ギャングの事なんて見当もつきませんけど……」
バスティンは聡明な人なんだろう、そう言いながらも薄っすらと自分が置かれている状況、自分が関わっている組織とオーバーラップさせているんだろう。そして、この話の落ちも薄々見当がついているんだろう。
「名門ギャングも違法薬物の売買に手を染め始めたんですよ。結局、その街は薬物が蔓延し治安の悪い街になり外部から人が近寄らず観光産業は壊滅的ダメージを受けました。そうした店からのあがりも収入源だったギャング団にとってもそれは少なくないダメージだった」
俺はそこで言葉を切ってバスティンを見た。
「しかも街の治安が悪くなることを国が憂慮し本格的な介入を始めたんですよ。国が本腰を入れて厳しい取り締まりをし始めた事でギャング団は仕事ができる場所が限られてきてしまう。少ない猟場を巡って両ギャング団による激しい抗争が始まり、両ギャング団は多数の逮捕者、死傷者を出し組織力は著しく低下。ライバルギャングはその土地から撤収し名門ギャングは結局跡取りが殺されてしまい団員も次々離脱し自然消滅してしまいましたとさ。めでたしめでたし」
「めでたいもんですかっ!なぜ?なぜなんですか?それでは誰も得しないじゃあないですか!あんまりです!」
バスティンは強い口調でそう言った。おっと、やっぱり名門ギャングに感情移入したな。
「いや、得をした人もいますよ」
「誰なんです?」
「名門ギャングに消えて欲しかった人達、例えば地元の衛兵隊の中でギャングのわいろを受け取ってなかった人達、ギャングに酷い目に遭わされてきた人達なんかにとっては良かったと言えるでしょう」
「でも、街が酷い事になってしまったではありませんか。それは誰も望まなかった事だと思いますけど」
「そうです。結局こうした事の一番の被害者は弱者なんですよ。経済的に弱い立場の人や社会的に弱い立場の人は大きなダメージを受けた事でしょうね。多分、名門ギャング自身も薬物売買に手を出した時、ここまでの事になるとは思っていなかったでしょうねえ。些細な事だと思っていたはずですよ、それこそ風邪をひいたくらいに思ってたんじゃないですかねえ」
「……」
バスティンは奥歯を噛み締めるように口をしっかり結び、下からねめつけるようにして俺を見た。キレイな顔だけに怖さが半端ないよ。でも、ここで引くわけにゃあいかないからね。
「名門ギャングもこんな結果望んでなかったんじゃないでしょうか。彼らだって最初は外敵から街を守る気持ちの方が強かったんじゃないかと思いますよ。でも、いつしか手段が目的になり本来の目的を見失ってしまう。これもまた些細な事を放置した結果なのかも知れませんねえ」
「風紀委員が名門ギャング、執行部がライバルギャングだと……そう言いたいんですか?」
「いいえ、そんな事は言ってませんよ。ただ、どんな組織であれそんな事にはならなければいいな、とは思いますよ」
俺が言うとバスティンは何かに耐えるように静かに目を閉じた。
「しかしですね、どんな組織もそうした状態に陥りがちであるという事もこの話は示唆してるんですね。どんな組織も動かしているのは人です。人ってのはそんなに強くない生き物です。俺の地元のある偉人はこんな事を言ってます。人は生まれてから死ぬまで自分が嫌う性格を捨てる事ができず、同じ事を繰り返す人生に幻滅する事になる、と」
「……それじゃあ、あまりにも…あまりにも救いがないではないですか」
バスティンは目を開き泣きだしそうになるのを堪えるかのように声を細く震わせながら言った。
「この人は絶望するしかない、とは言ってないんですね。人間の性格なんてのはそう簡単に修正できる物ではない、それを認めて尚どうするのか?それが大切だと言ってるんですよ」
「でも、でも、そんなのはどうしようもないのではないんですか?強大な権力や暴力には抗えないように……」
「それは違う。人間は確かに弱い、でも前に進む事ができる。完璧な自分を思い描いてその乖離に打ちひしがれるのではなく、自分の弱さも愛してやって上手く付き合ってやるんですよ」
「上手く、付き合う?」
「そうです。人の意見に流されやすいのなら即答は避け返事を待って貰う、怒りに流されやすいのであれば、これもまた即答は避け少し時間を置く。ひとりで考え込みすぎてネガティブな思考に振り回されやすいならひとりで考えこまず誰かに相談してみる、そうやって少しでいいから今までの自分のやり方から前に進んでみる。一歩でも半歩でもいいから前に進んでみる。それだけでいいんですよ。それだけで自分の性格は敵じゃあなくなるんです」
「………」
「少しずつ、少しずつでいいんです。人は決して強い生き物ではないですが、それでもなりたい自分にいつかはなれるんですよ。って偉そうなことを言っちゃいましたが自分自身まだまだ修行中ですからね。スイマセンでした。ではヤスミーナさん、お暇させて頂きましょうか」
「ええ、そうですね。失礼します」
ヤスミーナさんは目を伏せて肩を震わすバスティンを見て静かにそう言った。
「すいませんね、勝手に話を進めちゃって。結局、なんの成果も出せなかったですね」
風紀委員の待機所から出た俺はヤスミーナさんに謝った。
「いえいえ、良い話しを聞く事ができ有意義な時間を過ごす事ができました。なんていうかクルースさんという人の奥深くを垣間見た気がしましたよ」
「お恥ずかしい限りです」
俺は照れてそう答えるのが精一杯だった。なんていうか、バスティンを見ていて俺は胸が苦しくなってきたのだ。
それは彼女から、俺が前世で悩まされてきたカルト団体の二世信者のような雰囲気が見て取れたからだ。
真面目故にその団体の多岐にわたる禁止事項や要求基準を自分が満たせない事を強く感じ、常に自分を責めながらも他者に対してもすぐに糾弾してしまう。あのストレスに塗れながら絶望し、それでもそこしか居場所がなくその場所での評価を気にしてしまう。そうしたドロドロとしたものを他者を裁いたり権力者に告げ口をする事で埋めている。それが醜く歪んだ事だと認識しながら同時にその気持ちが薄れて行くのも感じている。そんな自分が好きになれず、自分を好きになれなければ人も好きになれずそんな状態が正しい物とも思えずまた自分を嫌いになる。
しかし団体からは自分の考えに従うなと再三におよび教え込まれる。
バスティンからもそんな空気が漂っていて俺はついついいらぬ世話を焼いてしまったのだ。
あのまま誰かの指示を受け続け自分の心を紙やすりで削るような生活を継続すれば、その先にあるのは細かな傷がつきすぎて透明度を失った心を抱え、その事を気にもかけなくなる自分なのだ。
それで幸せだと胸を張って答える人もいるだろうし、そうでもしないと辛すぎて生きていけない人もいるだろう。
そうした人にとっては確かにそれは救いになっているのだろう。
だが、バスティンはそうではないと俺は感じたのだ。
「恥ずかしがることはないです、あの場ではあれが最善手だったと私は思いますよ。正攻法で行っても彼女は絶対に認めないでしょうし、余計意固地になったことでしょう。今回の件については認めなかったとしても、きっと彼女の心には何かが残ったと思いますよ」
「そうあって欲しいですね」
「きっと大丈夫ですよ」
俺たちは互いを慰めるようにそう言い合いながらドギューズの元に向かったのだった。




