第六十六撃
「ぜんっぜんわからん!」
美術館から出るなり、友麻は悲鳴に似た声をあげた。
「わたしはわかったよ!」
隣でスージーは大きな胸をそらしている。
試合のダメージもまだ癒えきっていないが、それでも日常生活にはさして支障がないほどに回復したころ、スージーに誘われ再び美術館におもむいたのである。
こんどは邪魔も入らずゆっくりと美術鑑賞をしたのだが、あいにくとこの〈サミュエラ〉で独自発展した内容ばかりで理解が遠く及ばない作品ばかりだった。
しかし〈サミュエラ〉に生まれたころから住んでいるとはいえいくらなんでもスージーが理解しているとはにわかには信じがたい。
そう思ったが、
「たとえば、あの鉄くずの隙間から水がしたたるのあったでしょ?
あれって、文明の世界で発生する涙っていうか苦しみを表現したんだよ」
「あん? それはそうだが、同時に生命力もあらわしてるんじゃねえの? そうした苦しみのなかでも力強く生きる生命を水というかたちでみせているんだろ」
「わかんないって言っといてわたしより深く読み取らないでよ!」
スージーに肩を掴まれて揺さぶられる。かすかに痛みを感じたが気を遣われるので我慢した。
美術館の場所は先日訪れようとしたリリー・コロニーにあるものである。『あざやかなるサミュエラ新派展』という展示タイトルだったのだが、サミュエラであることからなじみがなく、かつ新しい流派であるとのことからさらに理解が及ばない。
「あたしはな、印象派とか、エコール・ド・パリとか、そういうのが好きなんだ。
こういうのはちょっとわからねえ」
「いんしょーは? え、えこーるなに?」
スージーがきょとんとするので軽く説明してやると、
「そんなのこの〈サミュエラ〉にあるわけないじゃん!」
と笑われてしまった。ショックだった。
美術館の庭は静かで自分たちの足音が聞こえてわずかに気になる。
「やけに嬉しそうだな?」
暴れていたわけではないもののスージーのはしゃぎぶりは少し目立った。
「ユーマと一緒にいられるからさ!」
そう言ってにこにこしていたが、不意にスージーは真っ赤になって顔をそらし、しゃがみこんだ。
「どうした」
「なんでもないなんでもないなんでもない!
ちょっとの間、放っておいて!」
「あいよ」
スージーの奇行はいまにはじまったことではない。しばらくのあいだ美術館に出入りする人々を眺めていると、ゆっくりとスージーはたちあがり、
「たちなおった」
と言い、しかしながらこちらを向いて再び顔を真っ赤にして、
「やっぱだめ!」
と再びしゃがみこんだ。
そのようなことを何度か繰り返したあと、ようやく立ち直ったのか、それでも頬をわずかに赤くしながらスージーは、
「それじゃ、帰ろっか」
と言った。
さびしそうな笑顔に、なにか隠し事をしていやしないか不安になった。
だが自分に隠し事をしてはならないという関係がスージーとの間に結ばれているわけでもない。そのような結びつきを拒否していた自分が口にできる言葉ではない。
だからといってスージーが抱えているかもしれない苦しみを放置できない気持ちもある。
そもそもこうして一緒に遊んでいるとはいえ、スージーとは友達ではないと思っていたし、ただの知り合いという位置づけで納得していた。
だから、そこまで踏み込むのは自分の役割出ないような気がしていたが、もどかしさは拭えない。
そう考えるのはずるいのでは、という気がしないでもない。
結局のところ友麻は自分が友達を作りたくないという気持ちを優先したいがためにスージーを見捨てているのではないかということである。
そういう自分を許せるのか。
「あのさ」
思い切って少しだけ踏み込むことにした。
「なあに?」
スージーはこっちをちらちらと見てにやにやしている。すこし不気味だと思ってしまった。
「あの、さ」
踏み込みを決めたとはいえなかなかそこから口にできない。
決意はしていても裏づけとなる覚悟がないからである。いくらこうするのだと決めていても結果を受けいれる覚悟がなければその気持ちはあっさりと折れ曲がってしまう。
しかし「やっぱりなんでもねえよ」とは言えなかった。
ちょっと笑いを見せてごまかしつつ、
「また前みたいな目に遭ったら、あたしに言えよな」
するとスージーはきょとんとした表情を見せた。何を言われたのかわかっていないのだろうかと心配になる。
そうなると自分の言葉が猛烈に恥ずかしくなってきて、発言を取り消したくなってきたころ、スージーはようやくわかったらしく、
「あれからね、いろいろあったんだ」
友麻の紹介した弁護士に相談して学校側と交渉し、いじめていた連中を遠ざけたらしい。例の三人だけではなくかなりの人数がいたので大きなもめごとが発生したが、なんとか問題は片づいたという。
「ユーマがいるから、耐えられたんだ」
「あれから、あたしは何もしていないし、しようとしなかった」
「いてくれて、助けてくれたということだけで闘っていけた。ありがとう」
「そっか……」
「だから、ありがとう!」
スージーがいきなり抱きついてきた。
「な、なんだよ。
離れろよ。
痛いだろ」
「ユーマやさしいから、だから耐えられたんだ。
ありがとう。ほんとうにありがとう……っ」
「そういうの、やめてくれ」
「やめない。
ユーマ、やさしいから」
「やめてくれって言ってんだろ!」
突き飛ばした。
スージーはよろけた。倒れこそしなかったものの、泣きそうな顔をしてこちらを呆然と見ている。
「ごめんユーマ……っ。
わたしうっとうしかったよね。
ごめんなさいごめんなさい」
「こっちこそ悪り……。
ちょっと照れくさくて、怒鳴っちまった。
ありがとう、やさしいっていってくれて。
帰ろうか」
「うん……」
ちからないほほえみをうかべたスージーは小さくうなずいた。
だが友麻は、
(あたしには『やさしい』なんて言われる資格はねえよ。
罪深いんだ。
だから……)
だからどうするというのだろう。スージーと離れようというのだろうか。そうなればスージーは傷つくだろう。傷つけてでも離れなければならないのか。
わからない。何をどうすればうまくいくのか想像もつかない。
帰り道は互いに無言で、スージーが別れ際に、
「じゃ、ね」
と言って小さく手を振った。
もうすぐ夜時間が来る。




