第五十五撃
考えてばかりいても気持ちがよどむばかりだと思い河川敷にランニングに出た。
川から立ち上る水分を含んだ風が心地良く、自分以外にも走ったりストレッチをしたりなどの運動をする者が何人かいた。ひょっとしたら同業者もいるのかもしれないが、知り合いだとかよほどのことがあるだとかいったことがない限りは声をかけないのがマナーとなっている。
息を吐きながら川に沿って道を走る。リズムに乗った足音が心に楽しい。
やはり身体を動かしていたほうが自分の好みに合っている。あれこれ考えていたところで物事が勝手に好転してくれるなどということはありえず、こうして鍛えていたほうがよほど建設的ではないだろうか。
そう思う一方で、考えることから逃げようとしているという不安もないではない。
(疲れが足りていないんだ。
もっと疲れないと。身体をくたくたにしないと……!)
エマは努力と勇気だと言った。
確かに努力はいくらしても不足している感じがあった。
疑いこそしたものの、試合に向けての練習量はまだまだだというのは間違いのないことである。
薄っぺらなこと、簡単なこと、そう感想を抱きはしたとはいえ、単純なぶん難しいことではあった。
リズム良く吐く息がだんだんと深みを増してゆく。ほど良い疲労が身体を満たしていく。その割に考えごとをしてしまう。
努力をするごとにかえって不安が増してしまう感覚も確かにあった。
間違った努力をしているという考えがどこかにあり、小さかったはずのそれはいつしか気づかぬうちに心の奥底に居座って落ち着かない気持ちを染み出させていた。
こんなことをしていて良いのだろうか。もっとほかにましな練習方法があるのではないかという思いを捨てきれない。
今すぐジムに引き返して、エマに向かって、あんたのやりかたは間違っている、こんなやりかたでは負けてしまう、と叫んでしまいたい。
そんなことを口にしたところでエマとの関係が気まずくなってかえって不安が増してしまうだけの結果に終わるだろうし、それでエマが作戦を変えてくれるとは思えない。エマにはエマなりの根拠があってやっていることだろうからである。
それに、エマの作戦が間違っているというのも勝手な思い込みに過ぎず、実はものすごく理にかなったやりかたなのかもしれない。すべてはエマがキムに劣るという序列の意識がそうさせている。
重ねて考えるにエマは勇気の重要性を口にしたが、果たして自分に勇気などという立派なものがあっただろうか。あったとして、自分の中からしぼり出せるだろうか。
自分の臆病さは誰よりも自分がよく知っている。勇気があるとしたなら今になってもこんな風に悩み続けるということはないはずである。
確かに〈ZGA〉の選手になるにあたっては勇気を出したかもしれない。
だがそれにしたところでどちらかといえば熱に浮かされて行動したにすぎず、勇気を出したという感覚は自分の中にはない。
それに、敢えていえば後悔もあった。
その行動の結果で迷惑をかけてしまったということがどうしても忘れられないし、未だに両親を裏切っているという感覚も捨てきれない。
(いけない……。
まだ考えすぎている!)
走ることに集中し、速度を上げた。
その途端、前を走っていた人とぶつかり、こちらは後ろに倒れてしまう。
「いてて……」
さいわい足をひねるといった感じはしなかったので大丈夫だとは思う。素人判断は危険なのであとでドクターに診てもらうにせよ、ダメージを受けた感覚はとりあえずない。
問題は、ぶつかった相手である。
怪我をさせてしまいやしなかっただろうかとおそれあやぶみ、見やると、さいわいのところその人物は立っていて何かしら痛みを訴えているようすはない。
ないのだが、その人物に問題があった。
(スターストーム!)
それは現ローズ・チャンピオンの名だった。
「すすすすすすすすすみませんっ!
ぼうっとしていて気づかなかったんですごめんなさい許してくださいいくら払えば良いんでしょうかっ」
地面に這いつくばって許しを請いながらも、自分はどうしてこうなのだろうかという嫌悪感を覚える。
「そこまで謝らなくっても……」
スターストームは困ったような微笑みを浮かべ、こちらに手を差し出してきた。
「そんなっ一方的にぶつかった身で甘えるわけにはいきませんごめんなさい許してください頭を丸刈りにすれば良いんでしょうかっ」
「それくらいで丸刈りにされたらかえって怖いよ。
良いから、ほら」
差し出された手をおずおずと握り、引っ張って立ち上げてもらった。
「エルシー・アンダースン。
あなたは?」
スターストームの言葉にきょとんとしてしまう。
「本名は言わない主義ってわけなの?」
「あ……っ。
すみません、気づきませんでした。
ベス・ホワイトです」
名前を訊かれているのだとようやく悟り、顔を熱くした。




