第五十三撃
ベス=クラーケンは化粧をばっちりと決めた。
「濃いな。
後でちゃんと落とすんだぞ」
化粧道具をしまおうとすると、ロッカールームに来たエマが注意してきた。
これからオメガスクリームⅡ世がコリンスンジムを挨拶のために訪れてくる。
不安で化粧が濃くなってしまっているのは自覚があったことだった。自分の弱さを覆い隠してくれているような気がするからだが、だからといって実際のところはさほど不安は紛れない。
気休めなのはわかってはいるが、そうでもしないと自分をごまかせないでいたのである。
さらにいえば、自分をごまかそうとしていることに勝手に負い目を感じてかえって弱味を感じる気持ちが大きくなってさえいるのではないかと危惧さえしている。
「うむ。
かたいな」
腕を組んだエマがスツールに腰かけるこちらを見おろした。
「別に今日が試合なわけでもないのに、なぜそんなに緊張しているんだ」
やれやれとでも言いたげなニュアンスが伝わってきて、かえってそのためにおそれは増してしまう。
その問いに答えられないでいると、
「緊張することは今まででもあったが、そこまでなのは、どうしてそんなに不安なのかわたしにはわからないな。まるでデビュー戦のようじゃないか」
エマが言うが、そのエマの作戦がその不安の原因になっているとは口には出せなかった。
「まあいい、記者たちが来ているから、そろそろ応接室に来いよ」
言われ、びくりと震えた。
ということは、もうすぐ所定の時間になるということでもある。
「しっかりしろ」
エマに肩を叩かれる。
応接室で記者たちに軽く挨拶をした後ややあってからオメガスクリームⅡ世とその付き添いのサンドラ・アーチャーがやって来た。
(自信に満ちている……。
まるで負けるなんて思ってもいない感じの顔してる……。
良いなあ……)
オメガスクリームⅡ世の顔をぼうっと見つめてしまう。
「何か?」
不気味そうにオメガスクリームⅡ世が声を出した。身を守るしぐささえしている。本能的な恐怖を抱かせるようなろくでもない目つきをしてしまったらしい。
「いえ、失礼……」
慌てて目を逸らした。
それはそれとして、今回はキム・ベイカーは付き添いに来ていないようで、そこは不安とは別にがっかりする気持ちがあった。ほんものをぜひ見たいと思っていたのだが、その願いは今は果たされなかった。
「それでは、その……、お互い、頑張りましょう」
クラーケンは握手を求めた。
その行為に周囲はぽかんとしている。
エマが、
「早い早い!」
と腕を掴んで引っ込めさせた。
「あ……っ」
通例では最後に握手をするのである。それに気づいて間抜けな声を上げてしまった。
その声に周囲はどっと笑いを上げた。場がほぐれるのを感じたが、依然としてクラーケン一人がこわばっている。
「同じタイプ同士の闘いになったけど、まあ、勝つのはあたしだろ」
親指を自分に向けてオメガスクリームⅡ世は言い放った。
対抗してこちらも指を三本立てた手を前に突き出して、
「勝つのはわたし。
2ラウンドで勝つ」
と宣言すると、オメガスクリームⅡ世やそのほかの皆がその指を見つめた。
「ええっ?
どっちだよ!」
オメガスクリームⅡ世の言葉に、
「どっちって……、あっ!」
気づき、慌てて立てた指を一本引っ込めた。
沸き起こる笑い声の中でクラーケンは疎外感を感じる。
雰囲気から見てこれ以上の言い合いに発展することはないだろうと感じたか、記者たちは、
「先ほど同じタイプ同士の闘いというキーワードが出ましたが、それぞれの作戦はやはりパワーを活かしたかたちになるんでしょうか」
「そんなの答えられねえよ」
オメガスクリームⅡ世は笑って応じたが、
「パワー同士、パワー同士……」
クラーケンは口の中でもごもごするばかりでうまく答えられなかった。記者たちも困ったようすである。
「今回もしオメガスクリームⅡ世サイドが勝利となれば、ローズ・チャンピオンへの挑戦権がオメガスクリームⅡ世に移ることになってしまいますが」
記者の問いにオメガスクリームⅡ世は余裕を見せて、
「とるよ、今回で」
腰に手を当てている。
「クラーケンのほうは……?」
マイクを向けられ、しかしながらやはり、
「挑戦権、挑戦権……」
ともごもごしてしまう。
ここまでくるとオメガスクリームⅡ世も記者たちもぽかんとしてしまっている。
デビュー戦でもチャンピオンシップでもないのにここまで緊張を見せるのはどういうことなのかと訝っている雰囲気が伝わってしまう。
(せっかくマイクを向けてもらったのに、うまく答えられなくてごめんなさい……!
きっと仕事だからしかたなく向けてくれたんだろうけど……!)
何か言わなければ、この場を引っくり返し、自分が主役に立つような決定的な一言を決めなければと気負ってしまい、つい、
「絶対、渡さない……っ!」
と叫んでしまった。
叫んでからはっとして、場にそぐわない大声を出してしまったかと恥じた。きょろきょろと周囲を見回してしまう。
「ああ、こっちこそ」
オメガスクリームⅡ世がニイと笑みを浮かべた。
どうやら気合いのあらわれとして見てくれたようである。
ぎこちなさがありながらも通常の展開に入ったことを喜んだか、オメガスクリームⅡ世が手を差し出してきた。
「お互い、頑張ろうな」
「ええ……」
クラーケンは、しかしながらその手を握りつぶさんばかりに力を込めてしまった。
「痛ってえ!」
オメガスクリームⅡ世は手を振り回してほどこうとするが、
(負けない、絶対!
作戦への不安が何だ!
負けて作戦のせいにするような卑怯な人間じゃない、わたしは!
勝つために、わたしはこれまでやってきたんじゃないか……!)
気持ちが入り込んでしまって気づかずにいたが、
「あ、ごめんなさい!」
と慌てて手をはなした。
どうして自分はこうなのだろう。




