第8章・後編『ギャル、初めて“本物の壁”に落ち込む(後編)』
カフェ・ルミエールからの帰り道。
アリスはずっと俯いたまま歩いていた。
ミナとユズが横で心配そうに声をかける。
「アリス、大丈夫?」
「なんか元気ないで」
アリスは小さく首を振った。
「ごめん。今日はちょっと…うち、ショックやったき」
それ以上、二人は何も言えなかった。
店に戻ると、壮真が仕込みをしていた。
アリスの顔を見るなり、壮真は眉をひそめた。
「お前、その顔どうした。カフェ行ったんやろ?」
アリスはカウンターに座り、ぽつりとつぶやいた。
「すごかった。あの子の料理、めっちゃ美味しかった。盛り付けも綺麗で…全部負けちゅう気がした」
壮真は手を止めた。
「負けた、ねぇ」
アリスは唇を噛む。
「うち、まだまだやって分かった。同い年やのに、あの子はすごかった。うちは…情けない」
壮真はしばらく黙っていたが、やがて静かに言った。
「アリス。お前があの子に負けるんは当たり前や」
アリスは顔を上げた。
「え…?」
「お前、料理始めてまだ数週間やろ。あの子は、たぶん何年も前から料理しゆう。積み重ねが違うき」
アリスは言葉を失った。
壮真は続ける。
「悔しい気持ちは分かる。でもな、料理は“時間”が味を作るんや。昨日今日で追いつける世界ちゃう」
アリスは拳を握った。
「でも…うち、もっとできると思っちょった」
「それも当たり前や。初めて褒められて、嬉しゅうなって、自分の実力をちょっと高く見積もる。誰でもそうなる」
壮真はアリスの目をまっすぐ見た。
「大事なんは、そこで落ち込むか、“もっとやる”って思えるかや」
アリスの胸が少し熱くなった。
壮真は黙って冷蔵庫を開け、一匹のカレイを取り出した。
アリスが目を丸くする。
「それ…?」
「おばあちゃんに教わった“こはるの味”や。カレイの煮つけ。お前に食わせたろうと思ってな」
壮真は無駄な動きひとつなく、魚をさばき始めた。
包丁の音が一定のリズムで響く。
迷いがない。
手元が美しい。
火加減も、調味料を入れるタイミングも、すべてが“慣れ”と“経験”でできている。
アリスは息を呑んだ。
(壮真…こんな真剣な顔するんや…)
鍋からふわっと甘い香りが立ち上る。
醤油、みりん、酒、砂糖。黄金比の香り。
壮真は火を弱め、静かに言った。
「アリス。料理はな、“本気で向き合った時間”が全部味に出るんや」
アリスの胸がぎゅっとなった。
(うち…まだまだやった。もっと真剣にならんと…この人みたいにはなれん)
壮真が皿を差し出した。
「食え」
アリスは一口食べた。
ほろっ甘辛いタレが染みた身がほどける。
「…美味しい。めっちゃ美味しい」
壮真は腕を組んだ。
「これが“こはる”の味や。お前が継ぐ店の味や」
アリスは涙をこぼした。
「うち…もっと頑張る。もっと真剣になる。負けたくない。あの子にも…自分にも」
壮真は小さく笑った。
「ほんなら、明日からまた練習やな」
アリスは力強く頷いた。
「うん。うち、もっと上手になるき」
◆こはる流・カレイの煮つけ■材料(2人分)
カレイ(切り身)……2切れ
生姜……薄切り3〜4枚
水……150ml
醤油……大さじ2
みりん……大さじ2
酒……大さじ2
砂糖……大さじ1
■作り方
鍋に水・醤油・みりん・酒・砂糖・生姜を入れて火にかける。
煮立ったらカレイを入れる。
皮目を上にすると形が崩れにくい。
落とし蓋をして弱めの中火で10〜12分煮る。
煮汁をスプーンでかけながら照りを出す。
煮汁が少しとろっとしたら完成。




