第99話 本物か【軍団長ガライアス視点】 閑話
「しばし、待て」
ペンの音だけがしばらく続く。
ガライアスは、宰相の机の端ではなく、
その向こうの窓の外を見ていた。
やがて、一枚を書き終えたのか、宰相がようやく顔を上げる。
「——まず、よくやった」
淡々とした声。
「王都駐屯軍の威厳は保たれた。
陛下もご満足そうだった」
「はあ」
「貴族どもも、軍は必要だ、と。
学園側も、軍と渡り合える学生を、と息巻いている」
「つまり——」
ペンを置く音が、大きく響く。
「今回の御前試合は、非常に有意義な結果になった」
「軍の予算を拡張する。
演習場の増設、新装備の試験導入——」
「はあ」
「……聞いているのか?」
ガライアスは、視線を一度だけ宰相に向けた。
視界の端で、あの瞬間が蘇る。
◇
——まだ、間合いだ。
横目が、少年をかすめる。
間髪入れず、また跳んだ。
ぬかるみの中、崩れていない一点へと。
——あいつ、選んでやがる。
「それで……どこまで持つ」
ぬかるみを抜けきる。
だが、踏み込みが、重くなる。
呼吸が揺れ——
膝の力が抜けかけて——
アレンの足が、一瞬だけもつれかける。
いつもの踏み込み前の癖と、違う。
「——おい」
思わず声が出る。
スタンドのどこかでも、同じ瞬間に低い声。
「するな」
そんな声が確かに聞こえた気がした。
誰かが息を飲む気配。
それでも、少年は前に出る。
——行くのかよ、そこで。
一歩、強く踏み出す。
まだ間に合う、止める側として。
右足に火をつけた、最後の一歩。
全部をそこへ乗せる。
——やめろ。
胸の内で声が出る。
あのバカが。
膝の軌道。
足首のねじれ。
受け止めきれない荷重。
クソ、間に合わ——
骨の内側で鳴るような、一瞬きしむ音。
少年のガクンと、折れた。
膝から、腰から、肩から。
——止まった、か。
その瞬間、目につく右足首。
まだ、火は消えていない。
意識は落ちているのに、
そこだけが、前へ行こうとしている。
——クソ。
遅れて、体を横から滑り込ませる。
旗ごと抱き込みながら、
右足首に流れ続ける線ごと、叩き切るつもりで肩をぶつけた。
勢いが、つきすぎた……。
倒れかけた身体が後方に飛んだ。
遅れて、観客席が爆ぜる。
「団長だ!」
「止めた、今の見たか!」
耳障りな歓声。
喉の奥がひりつく。
副団長が駆けてくる。
「団長、ナイスタックルです!」
「黙れ」
——先に、壊れただけだ。
「……本物、だったんですか?」
妙に静かな顔。
不自然にねじれた右足。
かすかにこもる熱。
ガライアスは、少年の姿を見ていた。
——まだ、行こうとしてやがる。
「……団長?」
副団長が小声になる。
「やっぱり、兵に欲しくなりました?」
「いらねえよ」
即答する。
視線は、担架の行き先をいつまでも追っていた。
◇
「——ガライアス」
宰相の声が、意識を断ち切る。
「どこか気に入らんか」
「いえ、なにも」
宰相はすでに次の書類へ視線を落としている。
「ならばいい。それで、あの少年は——」
「……失礼します」
これ以上、話す気はなれなかった。
扉を押し開ける。
息を一つ吐く。
——相変わらず、きれいすぎる。
ガライアスは、
何事もなかったかのような顔で歩き出した。




