第94話 届く形
講義棟の一室。
長机を囲むように、四つの寮の顔が並ぶ。
浅く腰掛けるもの。深いもの。姿勢を正すもの。
椅子が、選ばれたものを受け止める。
「ルールは旗戦と同じ」
ローガンの低い声が落ちる。
「ただ、王都第一軍団の演習場。それが、お前らの霧台だ」
椅子が、迷うようにかすかに揺れる。
「学園が見られる。恥は晒すな」
それだけ言うと、ローガンは踵を返す。
「細けえことはいい。今決めるのは——」
扉の前で振り向く。
「——どうやって勝つか、だ」
◇
しばらく、誰も口を開かなかった。
椅子のきしむ音だけが、やけに大きい。
「——簡単じゃない」
沈黙を割ったのは、ライラだった。
「来たやつ全部、ぶっ飛ばせばいいのよ」
「真正面、ねえ」
低く笑ったのは、バルケのガルドンだった。
腕を組んだまま、椅子にもたれている。
「嫌いじゃねえ」
その隣で、ロウガが短く言う。
「……俺も自信がある」
ライラの顔が輝いた。
「ほら!」
ばしん、とロウガの背を何度も叩く。
「分かってるじゃない! そういうのでいいのよ!」
「痛っ……」
その声を無視して、
レイクが深くため息をつく。
「その正面ならってやつで、どうなったっけ?」
ライラの動きが止まる。
「……何よ」
「姉さん、その前に横から崩されてたよね」
「う」
「バルケも。足元やられてた」
ガルドンが鼻を鳴らす。
「……言うな」
レイクは肩をすくめた。
「軍がさ、はい、どうぞって言わないよ」
ライラは唇を尖らせ、椅子へ座り直した。
「……小賢しいのよ、あんたは」
◇
「そもそも」
静かな声が、場に落ちる。
ルザア寮のカイ・レイヴァルト。
「こちらの手は、すでに見られている」
全員の視線が向く。
「あの一歩も、な」
部屋の空気が、わずかに固まる。
端の席に座るアレンは、黙ったまま視線を落としている。
ライラが肘をついた。
「じゃあ何。私たち丸裸ってこと?」
「そうなるだろう」
「あんたの、そのスカした頭ン中も?」
「そのとおりだ」
その冷たい顔には棘が刺さらない。
ライラが身を乗り出す。
「姉さん、噛みつかない」
レイクが慌てて袖を引いた。
◇
「軍は……強い」
今度はロイだった。
短い一言が突き刺さる。
「でかいし、重い」
ガルドンも大きくうなずく。
言葉がより重なる。
「そもそも、学生がこなせる訓練してねえ」
ロウガも短く続けた。
ライラの額がどんどん机に向かう。
ゴン、と音がした。
「なんなの、ここの男ども……」
顔だけ上げる。
「やる前から弱気すぎるでしょ」
「現実見てるだけだよ、姉さん」
レイクが即答する。
「じゃあ、五倍!」
「なにが?」
「努力よ!でなきゃ、十倍!」
「雑すぎるんだよ、発想が!」
誰かの容赦ないツッコミ。
笑えない否定だった。
窓の外。兵の号令が遠く響いていく。
◇
「騒ぐのはそこまでにしろ」
トラル寮のエース。
ルークの一言で場が静まる。
「普通にやれば……分が悪い」
「だったらどうしろっていうのよ!」
ライラの椅子が後ろへ跳ねた。
ルークを睨みつける。
「私は、勝つ話をしに来たの」
吐き捨てる。
「『言い訳会』なら、付き合わない!」
乱暴に扉が開く。
そのまま、叩きつけるように閉めた。
廊下の向こうで、荒れる音が響く。
カイが細く息を吐いた。
「……言いたいことはわかる」
重い沈黙が落ちる。
ルークが机を指先で二度叩いた。
「今日はその頭、一旦持ち帰れ」
全員を見る。
「——なんでもいい、軍に届く形、だ」
視線が、部屋の端をかすめる。
顔を伏せたままの影。
すぐにルークは、正面に向き直る。
「また、集まるぞ」
椅子が一斉に引かれる音。
小さな影は、少し揺れた。
◇
その日の夕方。ルザア寮サロン。
パタンと本を閉じる音。
視線を向けると、カイが窓際を見つめていた。
「……兄さま?」
カイの顔が、窓に映る。
その口がわずかにしぼむのを見た。
「決め手がない」
短い返事だった。
クラリスが目を瞬く。
「御前試合の?」
「トラルの地形、バルケの壁、サンラの突破、ルザアの隊列」
そこで一度、言葉を切る。
「その先が、いる」
「兄さまでも、難しいのですの?」
カイが、少しだけ笑う。
「小細工など通用しない相手だ」
カイが、また本を開き直す。
クラリスは、しばらくその横顔を見ていた。
決め手がない……
「兄さま」
「なんだ」
「——でしたら、わたくしも、できることをいたしますわ」
カイは少しだけ目を細める。
「そうか」
窓には、カイと立ち上がる自分の姿が映っていた。
◇
「会長、本日はどちらに?」
ルザア棟の玄関ホール。
いつもの顔ぶれが、目を輝かせる。
「今日は——重大な任務がありますの」
空気が、一瞬張る。
「まさか、あの方の……?」
一斉に、手が上がる。
「ご一緒させてください!」
クラリスは、満足げにうなずく。
「いいですわ。参りましょう」
◇
「副団長」
槍を磨く兵士が、小声になる。
「さっきから、お嬢さん方がうろうろと……」
「御前試合前だ」
「ですが——」
「仕事に戻れ」
冷たく返す。
だが、副団長の口元だけが笑っていた。
◇
「お嬢さん方」
何人かの肩が、跳ねる。
柔らかな声の先には、副団長が立っていた。
「ここは、見学自由ですよ」
クラリスが一歩前へ出る。
「わたくしたちは、その……」
視線が演習場へ流れる。
副団長は、すぐ言い直す。
「下見ですね、観覧席の」
まつ毛がぴくりと揺れる。
「……そ、そうですわ」
「でしたら、あちらを」
石造りの高台を指す。
「日陰で、風も通ります」
「……ご厚意、感謝いたしますわ」
◇
高台から見下ろす演習場。
整列。号令。走り込み。
誰も遅れない。誰も乱れない。
思わず全員が見とれていた。
「……怖いですわ」
小さな声が漏れる。
クラリスは黙ったまま見つめる。
正面からぶつかれば、飲み込まれる。
それでも。
「会長?」
隣の少女が顔を向ける。
浮かぶのは、まだここにいない人。
「——ちゃんと見えていますわ」
夕風の中、軍靴の音が地を鳴らす。
クラリスだけは、ずっと目を離さなかった。




