第92話 正しい応援
「あ……今、こっち見た?」
「きゃっ……!」
今日も、女子生徒たちは遠巻きに見ていた。
トラル棟へ向かう一人の少年の背中を。
「——少々、お静かに」
全員が、一斉に振り返る。
クラリス・レイヴァルトが微笑んでいた。
輪が少し崩れる。
「貴族令嬢として、いかがなものかしら」
穏やかな声。
「で、でも……旗戦、すごかったですし……」
「分かりますわ」
クラリスは、ゆっくりうなずく。
「けれど、このままでは風紀が乱れます。
そして何より——
あの方に、ご迷惑がかかりますわ」
数人の女子が、口に手を当てた。
「ですから——」
次の言葉を待つように、視線が集まる。
「正しく応援いたしましょう」
「正しく……?」
「応援?」
崩れた輪が、少しずつ寄り直す。
「ええ。少しだけ——お時間をいただけまして?」
小さな輪に熱気が広がった。
◇
トラル寮へ向かう道。
妙に統一感のある列ができていた。
「本日は視察ですわ」
クラリスが振り返る。
「きゃあ……!」
「歓声は禁止ですわ」
口元に、そっと人差し指を立てる。
ぴたりとざわめきが止まる。
「案内は、わたくしにお任せを」
「さすがクラリス様……」
小袋を開く。
「あの日の記念ですわ」
黒い破片が覗いた。
列がきれいな輪になる。
「えっ、本物!?」
「あの方の壁!?」
女子たちの目がその黒に吸い込まれる。
クラリスは一つずつ手のひらに乗せていく。
太陽に反射し、光が一瞬弾けた。
「これをぎゅっと握ってくださいませ」
「……少し心が落ち着きますわ」
「なんか癒やされます……」
女子の声が弾む。
そこへ、低い声が落ちた。
「——そこで、何をしている?」
一斉に振り向く。
腕を組んだ青年が立っていた。
「ル、ルーク先輩……」
クラリスの背筋が固まる。
「寮の前で列を作るとは、どういう用事だ」
「こ、これは……その……」
「視察です!」
誰かがうっかり口を滑らせる。
ルークの眉がぴくりと動く。
「クラリス嬢」
「……はい」
「迷惑だ」
列が一歩すくむ。
確かに、出入りがしづらいわ。
クラリスが、丁寧に頭を下げる.
「ここまでだ」
ルークの一言で、輪が淀む。
そろりと後ずさる音が聞こえた。
◇
その夜。ルザア寮の一室。
クラリスの周囲に、女子たちが集まっていた。
「……やっぱりダメだったわね」
「ルーク先輩、怖かった……」
「当然ですわ」
クラリスが言い切る。
「列は迷惑ですもの。美しくありません」
机にドサッと紙束が広がる。
「え、なにこれ……」
「授業表?」
「移動経路まである……」
矢印だらけだった。
「アレンさんの一日ですわ」
女子たちが息をのむ。
クラリスの指が一本の線をなぞる。
「ここ、三十秒ですわ」
「三十秒?」
「正面から、堂々と拝見できます」
部屋の空気が止まった。
「本日より——出待ちスポット待機作戦を開始します」
「でまち……」
新しい紙が開く。
『花壇班』
『読書班』
『談笑班』
「合図で自然に接近してくださいませ」
「そんな手が……」
「一枠三名まで」
「はいっ!」
「本日は試験運用としますわ。
わたくしと、二名ほど」
手が一斉に上がった。
◇
次の日。指定時間。
長い廊下の端で、本を抱えた女子が一人。
そっと手を振る。
すると、すぐに緑の制服が姿を見せた。
「……っ」
手が汗ばむ。
タイミングを見て一歩を踏み出す。
何気ないふり。
すれ違う、その瞬間。
「……」
声は出さない。
ただ、一瞬だけ視線がぶつかる。
「——」
廊下を抜けたあと、すぐ横の階段裏に駆け込む。
「ど、どうでした?」
待機していた別の女子が身を乗り出した。
「三十秒……! ちゃんと三十秒」
「正面から? 目は合った?」
「たぶん……合いました……!」
小さく悲鳴が漏れる。
そしてある日、別の階では——
「ここですわ」
クラリスの指先が止まる。
窓から差す光が、床に細く伸びていた。
「この時間。横顔が、一番きれいに見えますの」
女子たちがごくりと息をのむ。
「とっておきの……」
「聖地……」
「騒がないこと」
ぴしゃりと言う。
「あくまでも偶然を、装ってくださいませ」
今日もまた、静かな巡礼が続いていた。
◇
「最近さ、あの廊下、やけに女の子多くない?」
「トラルの一年が通る時間に限って、ね」
その話は、すぐにルザアにも入る。
「クラリス」
サロンの扉が開き、カイ・レイヴァルトが入ってきた。
「……ごきげんよう、兄さま」
「説明を」
短い一言で、空気が引き締まる。
「な、何のことでしょう」
「学園のあちこちで、お散歩する令嬢たちが現れる」
淡々とした声。
「ええ、そうですわ」
クラリスは、平然と言葉を口にする。
「女性同士で親睦を深めていただけですわ。
ご一緒にお散歩しながら」
「……」
カイはしばし妹を見つめ、それから小さくため息をついた。
「貴族令嬢として——と言いたいところだが」
「?」
「いや、もういい」
肩をすくめる。
「せめて、ルザア次期当主の妹として。
あまり、説明の難しい行動は控えてくれ」
「……肝に銘じますわ」
クラリスは丁寧に一礼した。
ただ、その指先は、どこか名残惜しそうに紙束を撫でていた。
◇
放課後の教室。
一人の女子生徒がそっと近づいてきた。
「あの、クラリスさん」
「はい?」
「例の……あの会、入れていただけませんか」
クラリスの目が、わずかに丸くなる。
「あら。あなたも?」
コクリとうなずく。
うかがうような視線。
「もちろん、歓迎いたしますわ」
にっこりと微笑む。
「では——まずはこちらを」
ノートが机の上に置かれる。
続けて、ドン、ドン。
「……」
一歩引く女子生徒。
「そ、それは……?」
「ただの、観測記録ですわ」
クラリスが表紙を撫でる。
「行動、嗜好、傾向——だいたい全部ですわ」
「全部……」
ごくり、と喉が鳴る。
「入会前に、一読をおすすめいたしますわ」
廊下を通りかかったノエルが足を止めた。
「……なにあれ」
顔を少しだけしかめる。
「……なんか流行ってるの?」
そのまま音を立たずに去った。




