第91話 ざわめき
6章8話分を投稿します。
視線が合う。そらされる。
また見る。顔をそむけられる。
学園の朝。普段通る道。
小さく首を傾げる少年がいた。
……どこ見て歩けばいいんだ、これ。
ふと、演習場が目につく。
土壁が一枚、ぽつんと立っていた。
周りには、砕けた陶板のかけらが山になっている。
その中で、そこだけが、いまだにりんと黒く光っていた。
……まだ割れずに残ってたのか。
アレンはすぐに、また別の視線に気づく。
校舎の入口へ足早に向かった。
◇
——なんか、見られている。
間違いない。
廊下に入る。正面に女子二人。
慌ててノートを持ち上げる……ふり。
やっぱり、すぐに顔をそらす。
背中がむずがゆい。
俺……嫌われているのかな。
教室の前まで来たときだった。
「お、おはようございます、アレンさん!」
見覚えがある。
でも名前は、出てこない。
「……おはようございます」
とりあえず返す。
女子生徒は胸の前で、教科書をぎゅっと抱きしめた。
「そ、それだけです!」
顔を真っ赤にして、ぺこりと頭を下げる。
そのまま駆けていく。
……なんで、挨拶?
答えが出ないまま、教室の扉を開けた。
一瞬。
いくつかの視線。こちらをすっとなでていく。
すぐに黒板へ戻る。
「おはよう、アレンくん」
ノエルの声は、いつも通りだった。
◇
いつも座る場所。
小さな布包みが目に入る。
「ノエル、これ……」
「僕じゃないよ。さっきまで机の上になかったし」
淡い布。きれいなリボン結び。
周りを見渡した。
誰もこちらを見ていない。
そっとほどく。
折りたたまれた紙片が一枚。
『旗戦おつかれさまでした。 あの一歩、忘れません』
ノエルが覗き込む。
「……クッキー?」
「うん」
アレンは一つつまんで口に入れた。
甘さがじんわり広がる。
ジド目で見るノエル。
「よかったじゃん」
「え?」
「だって、前は豆粒とか……」
ノエルはハッとする。
「ごめん。
でも、笑われるより、こうやって何かもらえるほうがいいでしょ」
アレンは少し考えて、クッキーをもう一つかじる。
「……甘い、かも」
「学園生活が?」
アレンはノエルの脇腹を小突いて、笑った。
◇
「おはよう、クラリスさん」
「ご、ごきげんよう、アレンさん」
学校の廊下。
アレンが軽く会釈して通り過ぎていく。
「え、なに?
クラリスだけ特別?」
周囲の女子からの声。
視線が、クラリスに集まる。
「な、なにも、今はありませんわ」
クラリスは、ぴしりと背筋を伸ばした。
「今は?」
「……ただの、ご挨拶ですわ」
「ふ〜ん。でもいいの?
お菓子とか渡す子いたらしいわよ?」
「え、もう?」
指先が、わずかに止まる。
わたくしは、とっくに——
喉元まで出かかった言葉を、押し戻す。
「クラリスはいいわよね。と・く・べ・つ、なんだもの」
「ただの……クラスメートですわ」
声が、かすかに揺れた。
◇
午後、騎士科の実技場。
「ほんと納得いかねえんだよ」
「何がだよ」
木陰で水を飲んでいた、別の男子が声が上がる。
「あのトラル一年だろ?」
「そうそう。飛んだり避けたりしてただけじゃねえか」
「ロウガなら、まあ、分かる」
「なんで、あいつ騒がれてんだよ」
渋い顔がいくつも並ぶ。
そこに割って入る声。
「お前らそんなに悔しいなら、
その自慢の足で、自分で女子を追っかけな」
ニヤついた顔のローガン。
「女子とか、関係ねえし」
「抜け道を通す足。あれほしいな〜」
ローガンが空を見上げていた。
やがて鐘が鳴る。
生徒たちは校舎へ戻っていく。
廊下の向こう。
緑の制服がひとり歩いてくる。
近くにいた女子生徒が、小さく声を漏らした。
「きゃっ……今の、旗戦の——!」
「近くで見ると、ほんと小さいのにね」
騎士科男子が、顔をしかめる。
「は? またあいつかよ」
「逃げてただけじゃねえか。あんなの」
「身体強化ってより、なんか変な魔法使ってただけだし」
そこに、たまたま通りかかった魔法科の男子が加わる。
「変な魔法って?」
「お前、同じ魔法科だろ。あれ、なんなんだよ」
魔法科の男子は少し考えてから言う。
「……魔法っていうには、光が出てなかった。
でも、ゼロじゃない。足とか腰に、一瞬だけ光ってた」
「ほら見ろよ。やっぱ魔法じゃん」
「でもさ、教科書のどの系統にも当てはまらないんだよね。
誰も再現できないし」
「それ、魔法って言わねえだろ。ペテンだよ、ペテン」
「偽物の魔法で勝って、女子にキャーキャー?ふざけんなって話」
魔法科も騎士科も、次々に声が重なった。
◇
「ん? どうしたの、そんな騒いで」
魔法科の若手講師が通りかかる。
数人の男子生徒が、わっと近づいた。
「先生、旗戦見てましたよね」
講師は「ああ」と苦笑する。
「面白かったじゃないか」
「それじゃ困るんです」
一人が一歩踏み出す。
「魔法科の先生として、はっきり言ってください。
あれは、魔法なんですか? それとも、魔法じゃないんですか?」
空気が、わずかに重くなる。
若手講師は頭をかきながら、肩をすくめた。
「……細かい理屈は、僕より詳しい人がいるんだよね」
「オルフェン先生ですか?」
「そう。聞いてみたら?」
一瞬固まる男子たち。
「それは……」
「まあ、分かるけどさ。
タイミング悪いと三十分くらい説教されるし」
ため息まじりに笑う。
「分かったよ。今度会ったら、聞いてみる」
「お願いしますよ、先生」
「はいはい」
苦笑いで生徒たちを散らした。
講師が廊下を曲がる。
前から、緑の制服が歩いてくる。
……噂の子、か。
少しだけ、歩く速度を落とす。
アレンの少し後ろに、距離をとって歩く女子生徒たち。
若手講師は、口を開きかける。
「——やめとこ」
そのまま通り過ぎる。
窓の外からは遠く演習場が見える。
壁の周りに、人だかりができていた。
さて。あの人になんて聞こうかな。
壊される音。
胸の奥に、いつまでも響いていた。




