第85話 仕込み
トラル寮の談話室は、いつになくざわついていた。
壁に貼られた戦績表。
その末尾に、雑に書き足された二行がある。
── 去年 一回戦敗退
── 一昨年 一回戦敗退(惜敗)
「静まれ!」
乾いた音が、室内を裂いた。
前に立っていたのは、トラル三年のエース、ルーク・ハルトシュタインだ。
ざわめきが、ぴたりと止まる。
「組み合わせは見ただろう。初戦はバルケ寮」
一瞬だけ、空気が重くなる。
「また鉄壁に潰されるだけじゃ──」
言いかけた下級生の脇腹を、隣がすぐ小突いた。
ルークは苦笑して、黒板へ向き直った。
白いチョークが、短く走る。
『フィールド十名。交代二名。地形班三名』
『勝利条件は相手旗への接触』
『試合中の攻撃魔法、地形変化は禁止』
そこまで書いて、ルークは振り返った。
「正面からぶつかって勝てる相手じゃない」
誰も反論しない。
「だが──今年は、ひっくり返す」
その一言で、ざわつきが消えた。
ルークは名簿を開く。
「フィールド十名、読み上げる」
前衛から後衛まで、名が呼ばれていく。
短い返事が続く。
「――そして、地形班」
ルークの声が、わずかに低くなった。
「ノエル。初めての旗戦だ。今年は補助に回れ」
「は、はい!」
「ロート、シェラ。実作業は任せる」
二人が前に出る。
「最後に──」
そこで、ルークの視線が談話室の隅に止まった。
「アレン。フィールド補欠一番」
ざわ、と空気が揺れる。
「加えて――地形設計を一任する」
今度は、息を呑む音がはっきり重なった。
「は?」
「あいつが?」
「補欠だけじゃなくて、設計まで……?」
ルークが言葉を継ぐ。
「砦前でやった土と罠、覚えてるな」
視線が一斉に集まる。
「相手の足を狂わせろ。正面で潰せないなら、形を崩す」
胸の奥が、どくりと鳴った。
「できるか?」
アレンは唾を呑む。チョークを強く握る
「……やってみます」
「よし。
補欠二番はリサ。後衛交代要員だ」
拍手。小さな歓声。椅子を引く音。
そのまま皆が黒板へ寄っていく。
「――おい、来い」
ルークの声で、はっと顔を上げる。
気づけば、周りの人影はまばらになっていた。
◇
残ったのはルーク、ノエル、ロート、シェラ、そしてアレン。
さっきまでの熱気が嘘みたいに、部屋が静かだ。
黒板の前だけに、白い粉の匂いが残っている。
「バルケの特徴は鉄壁だ」
ルークが簡単な俯瞰図を描く。
太い線で、一直線の防衛陣。
「正面からこじ開けられない」
言い切ってから、チョークを放る。
短い弧を描いて、アレンの手元に落ちた。
「お前ならどうする?」
一瞬、指先が止まる。ひとつ息を吸う。
「えっと……」
壁をなぞるように線を引く。
「まず、ここを普通の土壁にしません」
「……は?」
ロートが眉を寄せる。
「一回では割れない形にします」
ノエルが、ぐっと前に出た。
「別の魔法を組み合わせるってこと?」
「うん。アースとスコーチで……」
「面白い」
ロートが即座に食いつく。
「でも、それだけじゃ崩されるだろ?」
「それなら……こういうのは?」
アレンは壁の手前にくぼみを描いた。
「踏み込みを鈍らせる仕掛け」
「……なるほどな」
ロートが身を乗り出す。
「二段階で勢いを殺す気か」
ルークは数秒、図を見つめたまま動かない。
「いい」
短く頷いた。
「ここから細部を詰めるぞ」
チョークの音が、続けて走る。
アレンは拳を強く握った。
◇
王立学園の中央演習場。
今日だけは、少しだけ顔つきが違う。
中央に王アルディオンと王妃。
その隣に宰相ヴァルド。
少し離れて、学園長と騎士団長。
観客席に四つの旗。
トラル、バルケ、サンラ、ルザア。
それぞれ風に揺れる。
アルディオンが、長杖を掲げる。
「今年も、若き者たちの活躍を楽しみにしている」
「——それでは」
学園長が一歩前に出る。
「四寮対抗旗戦を、開会する」
歓声と拍手が、土のフィールドを包んだ。
◇
「おーし、今年も一発目はうちか!」
拳と拳をぶつけ合いながら、バルケ寮生たちが笑う。
一方、トラル寮生。
足元だけは、妙に落ち着いていた。
「今年こそ一回戦突破だかんな!」
軽口の裏に、かすかな期待がにじむ。
「トラル寮、バルケ寮。フィールドへ」
審判の声に、選手たちが陣地へ散っていく。
「……あら」
すぐ近くに、見慣れた顔があった。
「リッツさん?」
「や」
軽く手を上げる。
「トラル席じゃなくていいの?」
「向こう、騒がしいからさ」
少しだけ口元が上がる。
「ちゃんと見たいだろ」
トラル寮側フィールド前方。
胸の高さの土壁が、いくつも並ぶ。
「……あら」
クラリスが、わずかに首を傾けた。
「なんか光ってませんか?」
リッツは目を細める。
「表面を、焼いて固めてる」
「……そんなこと、できますの?」
「さあね」
肩をすくめる。
「でも——ただの土じゃないのは確かだ」
一方。
バルケ寮の前衛たちは、足を止めていた。
「なんだ、あれ」
「土の色、おかしくないか?」
だが、すぐに鼻で笑う。
「子供だましだろ」
「どうせ、去年と同じだ」
踏みしめる。
自陣左右に土壁が二本。
その前に、二列横隊を組んだ前衛たち。
一糸乱れぬ、鉄の壁。
「壁ごと押し切る——行くぞ」




