第124話 肉を洗う石
「頭下げに来た」
ノエルの研究室の扉が開くなり、グレンはそう言った。
ノックはなかった。
机に広げていた図面が、扉の風でふわっと浮く。
ノエルは慌てて紙を押さえた。
「……頭下げに来た人の入り方じゃないよね、それ」
「急ぎなんだよ」
グレンはずかずかと部屋に入ってきた。
手には、ギルドの印が押された紙。
それから、小さな革袋が一つ。
部屋の奥では、レーンが試験用の陶片を並べていた。
その手が止まる。
「グレンくん。ここは研究室だ。市場の交渉台ではない」
「分かってる。だから来た」
グレンは机の上に、ギルドの紙を叩きつけるように置いた。
『規定外魔物肉』
『試験処理用』
『瘴気戻り抑制手順確認待ち』
ノエルはその文字を見て、眉をひそめる。
「肉をどうにかしたい」
「……何の話?」
「魔物肉は時間が経つと瘴気が戻る。
血と内臓から先に臭くなる。
今度の基準じゃ、処理時間を過ぎた肉は飲食店に出せねえ」
グレンは指で紙を叩いた。
「今まで下町に回ってた端肉も内臓も、まとめて規定外だ。
捨てるにも金がかかる。 だから、ギルドは困ってる。
こっちは肉が足りねえ。 つまり、両方困ってる」
ノエルは紙から顔を上げた。
「それで?」
「肉を洗う石を作れ」
部屋が静かになった。
ノエルが、ゆっくり瞬きをする。
「……今、何て?」
「肉を洗う石」
グレンは気にせず続けた。
「水下りのとき、スラムの水場に石を沈めただろ。
浄化の魔導基盤だか何だか。
あれで水は前よりましになった」
「うん」
「なら、今度は肉を洗う水を作れ」
ノエルの顔が少し険しくなる。
「肉そのものを魔法で安全にする、って話なら無理だよ。
それは危ない。
浄化したから食べられますなんて言い出したら、偽の奇跡の水と同じになる」
「そこまで馬鹿じゃねえよ」
グレンは即答した。
「肉を奇跡で安全にしろって言ってんじゃねえ。
洗う水だ。
血を落とす。ぬめりを落とす。
瘴気戻りを止めるか、せめて遅らせる。
その処理をした時間を紙に書く。
それで処理済みって形にできねえか、試す」
レーンが、少しだけ目を細めた。
「……浄化液、ということか」
「名前は何でもいい」
「いや、名前は大事だ」
レーンは紙を手に取り、内容を確認する。
「肉に魔法を直接かけるのではなく、洗浄水の状態を保つ。
血液由来の濁り、表面の瘴気残り、ぬめりを落とす。
処理時間と処理者を記録する。
そういう手順にすれば、衛生局へ説明はできるかもしれない」
「だろ?」
グレンが勝ち誇ったような顔をした。
ノエルは少しむっとする。
「“だろ?”じゃないよ。
できるかもしれないであって、できるとは言ってない」
「できるようにしろ」
「偉そう」
「頭下げに来たって言っただろ」
「一回も下がってない」
グレンは鼻で笑った。
「それは最後に取っとく。先に話を通す」
ノエルはため息をついた。
「問題は、世界樹なしでどう安定させるかだよ。
水場の基盤だって、世界樹の枝やアレンくんの線にかなり頼ってる。
それを肉桶に入れるなんて、簡単にはできない」
「だから来たんだろ。
簡単ならスラムの元締め様が魔道具研究会に来るかよ」
グレンは机に片手をついた。
「いいか。
ギルドは肉を捨てたくねえ。
オレは肉が欲しい。
お前らは、世界樹の枝なしでも動く石を作りてえんだろ。
全部同じ場所で詰まってる」
ノエルは言い返そうとして、止まった。
グレンはそれを見逃さない。
「詰まりを抜け。肉のついでにな」
「ついでで言うことじゃない……」
レーンが、静かに口を開く。
「ノエル。考え方としては悪くない」
「先生まで」
「ただし、統合基盤では無理だ」
レーンは、陶片を一枚手に取る。
「水場で使ったような、《浄化+ウィンド》の統合陣は、アレンくんの線に近すぎる。
例え作れても、修理できない。
扱う場所が肉処理場なら、なおさら故障時の説明が必要になる」
「じゃあ、分けろ」
ノエルが小さく息を呑む。
「……浄化と、攪拌を?」
「悪くない」
レーンは一枚目の陶片を指さした。
「一枚目は、浄化液を作るための基盤。
水そのものを薄く浄化し続ける。
肉に魔法をかけるのではなく、洗浄水を整える」
次に、二枚目。
「二枚目は、水を動かす基盤。
風ではなく、水流として扱ってもいい。
血やぬめりを一箇所に溜めず、洗い落としたものを沈殿槽へ送る」
グレンは満足そうに頷いた。
「ほらな。別々に作りゃいい」
ノエルがじろっと見る。
「今、先生が理屈をつけたから形になったんだよ」
「オレは最初からできると思ってる。
だから、お前が通る形に直せ」
ノエルは一瞬黙った。
その言葉は乱暴だった。
けれど、間違ってはいなかった。
アレンが描く線を、誰でも読める図面に直す。
それが自分の役目だと、決めたばかりだった。
今度は、グレンの雑な現場感覚を、紙と陣に直す番なのかもしれない。
「……浄化単体基盤と水流単体基盤。
それを同じ処理桶に入れて、手順で制御する」
ノエルは呟きながら、紙を引き寄せた。
「魔石は挿しっぱなしにしない。
水を替える回数、肉をくぐらせる時間、沈殿した汚れの捨て方を決める」
レーンが頷く。
「最初は自動化しないほうがいい。
人間の手順で止められる形にする。
それなら暴走時の責任も切り分けやすい」
「面倒くせえか」
グレンが言う。
「だが、安全だ」
レーンが返す。
ノエルは筆を走らせる。
『浄化液生成基盤』
『水流攪拌基盤』
『処理桶』
『沈殿槽』
『処理時間記録』
文字が並ぶにつれて、グレンの顔から少しだけ険しさが消えた。
「で、いつできる」
「試作なら一週間」
「遅い。三日だ。スラムが待てない」
そう言われると、ノエルは言い返せなかった。
「でも、ギルドと衛生局の立ち会いが必要。
こっちだけで使えますとは言わない」
「分かった分かった」
「二回言う人は分かってないって、誰かに言われなかった?」
グレンは少しだけ目をそらした。
レーンが苦笑する。
そのとき、グレンは思い出したように革袋を机へ置いた。
じゃり、と小さな音がした。
ノエルが嫌な予感のする顔で見る。
「……何、それ」
「魔石粉」
ノエルの手が止まった。
「研究室の机に、いきなり廃魔石粉を置かないで!」
レーンもさすがに眉を上げた。
「グレンくん。次にそれを無断で持ち込んだら、研究室への出入りを禁じる」
「じゃあ次は先に言う」
「そういう意味ではない。
魔石粉は、扱いを誤ると危険だ。細かいぶん魔力が散りやすい」
「知ってる。だから持ってきた」
「危ないと知っていて持ってきたの?」
ノエルの声がひっくり返る。
「ギルドじゃ捨てるしかねえって言ってた。
普通に捨てたら、ただのゴミだろ」
グレンは革袋を指で叩いた。
「でも、お前らなら何か考えるかもしれねえ。
爆ぜねえ形。 少しずつ魔力を吐く形。
火起こしでも、保温でも、何でもいい」
ノエルは頭を抱えた。
「また増やした……」
「肉だけじゃ足りねえからな」
「足りてるよ! 問題はもう十分足りてる!」
「足りてねえから店が止まってんだよ」
グレンの声が、少しだけ低くなった。
「焼き場は止まったまま、腹減らしたガキどもがいる。
紙の上で止まってるなら、紙の中に通る道をいくつも作るしかねえ」
乱暴で、図々しかった。
でも、逃げるための言葉ではなかった。
ノエルは、革袋を見た。
「……これは、今すぐ触らない」
ノエルは言った。
「まずは、肉の浄化液から」
「順番は大事だな」
グレンは笑った。
「じゃあ、任せた。どうか頼む」
グレンは急に真顔になり、きっちりと頭を下げた。
ノエルは目を丸くした。
レーンも少し驚いた顔をする。
「これでいいだろ。長く下げると首が痛え」
ノエルは呆れたように息を吐いた。
でも、断る気はもうなかった。
グレンは踵を返す。
扉に手をかけたところで、ノエルが声をかけた。
「アレンくんには?」
グレンは振り返らなかった。
「最後でいい」
「でも、アレンくんなら、線を見ればすぐ――」
「だから最後だ」
グレンの声が、少し低くなった。
「最初からあいつに見せたら、あいつはまた全部背負う。
足が動かねえくせに、頭だけ先に走り出す」
ノエルは言い返せなかった。
「お前ら、魔道具研究会なんだろ」
グレンは扉に手をかけたまま続けた。
「危ねえところも、面倒なところも、紙に通らねえところも、
まずお前らで洗い出せ。
それでも詰まった最後の一本だけ、あいつに聞け」
「……最後の一本」
「そうだ」
グレンは少しだけ振り返った。
「頼るってのは、丸投げすることじゃねえだろ」
扉が閉まる。
研究室に、ギルドの紙と、革袋と、二枚の陶片が残された。
ノエルはしばらく黙っていた。
やがて、深く息を吸う。
「先生、浄化単体基盤から始めます」
「良い順番だ」
ノエルは新しい陶片を一枚、机の真ん中に置いた。
世界樹の枝はない。
アレンの線も、まだない。
それでも、火を戻すための最初の石が、そこに置かれた。




