第123話 規定外の肉
翌朝、グレンはまず冒険者ギルドへ向かった。
炭は後回しにされた。
紙は読んでもなかなか先に進まない。
なら、先に肉だ。
◇
ギルドには、肉の匂いよりも、ため息の匂いのほうが濃かった。
「まただ。今日もこれだけ」
ギルド職員が、でかい桶を足で軽く押した。
桶の中では、赤黒い水が揺れている。
血の混じった水。
脂のついた端肉。
筋ばった部位。
内臓。
骨まわりに残った肉。
前なら、下町の屋台や安い食堂に回っていたものだ。
今は、まとめて「規定外」の桶に入れられている。
「魔物肉は、解体後二刻以内に処理場へ。
内臓は、一刻以内に血抜きと冷却。
“瘴気戻りの兆候がある部位は廃棄。
処理記録のないものは、飲食店へ出荷不可」
職員は、紙を読み上げる途中で、嫌になったように顔をしかめた。
「急にこんなもん出されてもな」
その職員は、グランツ経由で知っていた。
グレンは桶を覗き込んだ。
鼻につく臭いはある。
血が残っている。ぬめりが出かけている。
魔物肉特有の、嫌な魔力の匂いが少し立っている。
けれど、今までならグランツが見て、洗って、切り分けて、強火で焼いていた肉だ。
「瘴気戻りってやつか」
グレンが言うと、職員がうなずいた。
「魔物肉は、時間が経つと中に残った魔力が濁る。
血や内臓から先に戻るんだとよ。
腹を壊すだけならまだいい。ひどいと熱を出す」
「今まで食ってた連中は?」
「今までは、現場の勘で弾いてた。
グランツみたいなやつが見りゃ、だいたい分かる。
けど、今は分かるやつが見たじゃ通らねえ」
職員は紙を指で弾いた。
「何時に獲って、何時に解体しか。誰が血抜きして、どこで冷やしか。瘴気戻りなしか。
全部、紙にしろってさ」
「めんどくせえな」
「こっちの台詞だ」
職員が、桶を見ながらぼやく。
「捨てるにも金がかかる。埋める場所もいる。
瘴気が戻った肉は、そのへんに捨てりゃ魔物や虫が寄る。
流せばこっちが罰を食う」
グレンは、桶の縁に指をかけた。
「だったら、捨てる前に俺に売れ」
職員が、グレンを見る。
「お前のとこ、《英雄焼き肉》だろ。監査中じゃねえか」
「店は止められてる。
けど、二度と開けるなとは言われてねえ。
炭も肉も紙も、自分で通せって言われただけだ」
グレンは鼻で笑った。
「だから、なんとかしに来た」
職員は呆れた顔をした。
「規定外肉を買って、どうする気だ」
「そのまま客に出すわけねえだろ」
グレンは桶の中を指さした。
「血を落とす。ぬめりを落とす。瘴気戻りを止めるか、せめて遅らせる。
それから火を通す。その手順を紙にする」
「簡単に言うな」
「水下りのとき、スラムの水場に石を沈めたろ。
学園のやつらが作った、浄化の魔導基盤だかなんだか」
職員の目が少し動く。
「ああ。世界樹の枝の噴水とは別の、試作のやつか」
「そうだ。あれで水は前よりましになった。
だったら、肉にも使える形を考えりゃいい」
「肉に浄化魔法をかけるのか?」
「違う」
グレンは即答した。
「肉を、奇跡で安全にするなんて言ったら、また偽タレと同じだ。
そうじゃねえ。洗う水を作る」
職員が眉を上げる。
「洗う水?」
「浄化液だ」
グレンは、今思いついた言葉をそのまま口にした。
「血とぬめりを落として、瘴気戻りを遅らせる水。 肉を漬けっぱなしにするんじゃねえ。
吹きかける。くぐらせる。洗う。んで、何時に洗ったか紙に書く」
「……酒で拭くみたいな話か」
「酒でも灰汁でも塩でもいい。
ただ、魔物肉の瘴気には、それじゃ弱い。
だから浄化の魔導基盤を使う」
職員は黙った。
完全に馬鹿にする顔ではなくなっていた。
グレンは続ける。
「今の規定だと、二刻を過ぎたら捨てるんだろ」
「部位によるが、内臓はもっと早い」
「だったら、浄化液で洗った時点から、処理済みにできるか聞け。
生で置ける時間が少し伸びるだけでもいい。
全部助けようなんて思ってねえ」
グレンは桶を軽く叩いた。
「十のうち三でも戻れば、ギルドは捨てる金が減る。
こっちは肉が手に入る。
客には、処理済みの肉だけ出してるって紙を貼れる」
「その浄化液とやらは、誰が作る」
「オレじゃねえな」
「だろうな」
職員が即答した。
「学園の魔道具研究会だ。
あのノエルとかいう坊ちゃんと、レーンとかいう講師。
あいつらなら、水をどうにかする石くらい作る」
「作れると決まったわけじゃない」
「だから、試す」
グレンは言った。
「試す肉を寄越せ。どうせ捨てる肉だ。
規定外肉、試験処理用って紙をつけりゃいい」
職員が、額を押さえた。
「お前、ほんと口が回るな」
グレンは肩をすくめた。
「通る手順を作る。
通らねえなら、何が足りねえか聞く。
紙がいるなら紙を書く」
職員はしばらく黙っていた。
桶の中で、赤黒い水が小さく揺れる。
「……勝手には流せねえ」
「分かってる」
「衛生局の暫定許可がいる」
「頭下げる」
「ギルドの確認印もいる」
「押せる形にしろ」
「魔導基盤を使うなら、学園側の署名もいるだろう」
「坊ちゃんに頼む。署名は講師にでも書かせる」
「グランツにも処理責任者として名前を書かせることになるぞ」
「書かせる」
職員は、とうとう笑った。
「本人たちには聞いたのか?」
「これからだ」
「最悪だな」
「最初から全部そろってるなら、オレの出番じゃねえだろ」
グレンはそう言って、桶から手を離した。
「で、どうする。 捨てるか。 それとも、試験処理用で少し取っとくか」
職員は、紙の束を見た。
桶を見た。 そして、もう一度グレンを見た。
「……一桶だけだ」
「十分だ」
「まだ売ったわけじゃない。貸し出し扱いだ。
勝手に焼くな。勝手に食わせるな。
学園と衛生局の話がつくまで、試験以外に使うな」
「分かってる」
「本当に分かってる顔じゃねえな」
「分かってる分かってる」
「二回言うやつは分かってねえ」
職員はため息をつきながらも、紙に新しい欄を書き足した。
『規定外魔物肉』
『試験処理用』
『瘴気戻り抑制手順確認待ち』
グレンは、その文字をじっと見た。
紙は嫌いだ。
だが、紙に書かれた瞬間、捨てられるだけだった肉に、別の道ができた。
「……悪くねえな」
「何が」
「紙も、使いようだ」
職員は鼻で笑った。
「今さらかよ」
そのとき、隣の作業場から、ガリ、ガリ、と硬い音が聞こえた。
肉を切る音ではない。石を削る音だ。
「あれは?」
「魔石の規格合わせだ。街灯用や魔道具用に削ってる」
作業台の下には、きらきらした粉が桶に溜まっていた。
「それは?」
「魔石粉。削りカスだ。
細かすぎて魔力の抜け方が読めねえ。湿らせて固めて、廃魔石置き場行き」
「捨てるのか」
「危ねえからな」
グレンは桶を見た。
規定外の肉。 規定外の魔石粉。
どいつもこいつも、紙の外へはみ出したもの。
「……それ、少し取っとけ」
職員が顔をしかめる。
「何に使う気だ」
「まだ知らねえ」
「おい」
「でも、魔道具の坊ちゃんに見せる。
肉を洗う石を作るなら、石の屑も何かの役に立つかもしれねえ」
「爆ぜるかもしれないぞ」
「爆ぜねえ形を考えさせる」
職員は、呆れたように笑った。
「お前、学園を何だと思ってる」
「頭のいいやつが面倒ごとを考える場所」
「ひどいな」
「褒めてる」
グレンは、試験処理用と書かれた紙を一枚受け取った。
「まずは肉だ。次に石。それから紙」
「順番が逆じゃねえか?」
「オレの中では合ってる」
グレンは紙を懐に突っ込んだ。
「じゃあな。
坊ちゃんに頭下げてくる」
「ちゃんとノックしろよ」
「考えとく」
「しろ」
背中に飛んできた声を聞き流して、グレンはギルドを出た。
外の空気は、肉と血の匂いより少しだけ薄かった。
懐の紙が、やけに重い。
けれどそれは、逃げるための重さではなかった。




