第122話 番をするやつ
「……やっちまったな」
グレンは、誰に聞かせるでもなく呟いて、土間に腰を下ろした。
板のきしむ音だけが、やけに大きい。
夜の焼き場には、冷えた鉄板と、空になった炭箱と、役所印の紙だけが残っている。
《監査中焼き場》
《炭の優先供給対象外》
《衛生基準に関する書類提出のこと》
三枚の紙が、風もないのに揺れているように見えた。
連れていかれて、嫌疑不十分で戻された。
英雄タレの元締めではない。 少なくとも、そう紙には書かれた。
それで終わり、のはずだった。
終わり、のはずなのに。
炭は高くなった。
「監査中の焼き場には卸せねえ」と言われた。
肉も、今まで通りには使えなくなった。
「ギルドの解体記録がないと店では使えない」と言われた。
紙が増える。
「出さなきゃ火はつけるな」と言われた。
「……札をやめても、今度は紙かよ」
昔、夢の水を売っていた頃を思い出す。
あのときは、嘘でも札をつければ売れた。
奇跡と書けば、ただの甘い水でも誰かが買った。
今度は逆だ。
紙に書かれていないものは、何も通らない。
紙に名前があるだけで、人は疑われる。
「変わったのは、オレのほうか」
あの頃は、怒られても、恨まれても腹さえ膨れればいいと思っていた。
食わせりゃチャラだろ、明日まで生きりゃ勝ちだろってそう思っていた。
今は違う。
テオの顔。
ルカやニナの顔。
ミレーネの顔。
グランツの背中。
初めて焼き場に立った子どもの、震えていた手。
仕込みで指を切って、泣くのをこらえていた顔。
肉の匂いにつられて、空っぽの椀を持って並んでいたガキども。
あいつらに胸張れるのか。
「変なもんは売らねえって言ったのは、オレだ」
それで、自分で書いた。
`責任者:グレン`
ラベルに貼った紙の上のその一行が、今はやけに重い。
連れていかれたのも、店が止まったのも。
「これも、全部責任者の仕事かよ」
笑ってみたが、喉の奥はまったく笑っていなかった。
昔の自分なら、責任を取る方法は一つしか知らなかった。
逃げる。
それで、残ったやつがどうなろうと、見なかったことにする。
でも、それをやれば、またガキどもが残される。
いつだったか、ミレーネに言われた言葉が、耳の奥に残っていた。
「『あんたの火は、子どもたちを温めた。 でも、火は番をしなきゃ家を焼く』」
「番をするやつが、一番最初に逃げたら、話になんねえわな」
グレンは頭をガシガシとかいた。
「……だったらどうする」
文句はいくらでも出る。 文句を言う相手も、いくらでもいる。
けれど、文句で炭は安くならない。
肉は降ってこない。紙も減らない。
「考えろよ、責任者」
自分で自分の頭を小突く。
オレは英雄じゃない。
アレンみたいに、森で魔獣を止めたわけじゃない。
水をきれいにしたわけでもない。
世界樹だの魔導基盤だの、そんなものも分からない。
けれど、責任者だ。
責任者は、火が消えるのを見ているやつじゃない。
火が消えそうになったとき、残す方法を探すやつのことだ。
「炭と肉と紙で詰まってんなら、別の通し方を探す」
まずはギルドだ。
肉が危ないなら、何が危ないのか聞く。
安全にする方法があるなら、グランツに聞く。
火の扱いで文句を言われるなら、学園に行く。
あのノエルとかいう坊ちゃんと、レーンとかいう講師なら、何か考えるかもしれない。
紙が分からないなら、分かるやつに頭を下げる。
衛生局にだって、頭くらい下げてやる。
笑われるかもしれない。断られるかもしれない。
また「夢売り」の札を貼られるかもしれない。
「……クソめんどくせえな」
思わず笑った。
それでも、ここで座っているよりはましだ。
『責任者:グレン』
自分で書いた名前だ。
今さら、知らねえ顔はできない。
「まっとうに生きるって、こういうことかよ」
誰に聞かせるでもなく吐き捨てて、グレンは火の気のない焼き場をあとにした。




