第121話 戻らない火
その日は思ってたより静かだった。
「ただいま」
孤児院の扉がきしんで開いて、聞き慣れた声がした。
テオは、台所の床に座り込んで、木の端切れで意味もなく線を削っていたところだった。
顔を上げると、入り口にグレン兄ちゃんが立っていた。
腕はちゃんとついてる。
足もついてる。
顔は、ちょっと痩せた気がする。
「グレン兄ちゃん!」
テオは飛びつきかけて、ミレーネに首根っこをつかまれた。
「走るなって言ってるでしょ」
「でも!」
「でも、じゃなくて。 走るなは走るな。
その代わり――」
ミレーネは、手を離してから笑う。
「おかえりってちゃんと言ってあげな」
「……おかえり」
「おう」
グレン兄ちゃんが、いつもの調子で頷く。
それだけで、胸の奥の固まってたものが、ちょっとだけゆるんだ。
「これでお店、またできるね!」
グレンの顔が少しだけ動いたのに気づいた。
眉が、ほんの少しだけ下がる。
「……そう簡単にもいかねえらしい」
「どういうこと?」
テオは、すぐには飲み込めなかった。
◇
翌朝になっても焼き場は冷たいままだった。
「よし、仕込みするか!」
「テオ、肉運べ!」
そう怒鳴られると思っていた。
炭箱は空。肉箱も空。
焼き場の柱には、役所印の紙だけが貼られている。
グレン兄ちゃんは焼き場の隅で、紙の束をにらんでいた。
肉を見る顔じゃない。
火を見る顔でもない。
テオには、それが一番いやだった。
「ミレーネ、なにか手伝うことある?」
テオは、台所の隅で棒きれをくるくる回していた。
「ない。だから、ウロウロするのやめてくれる?」
「してない」
「そこに座り直したの、今日三回目」
テオは、棒きれを床に突き立てる。
「だって、店しないんだろ」
ミレーネは、洗った皿を布で拭きながら言った。
「炭も肉も水も、全部上の顔色うかがわなきゃいけない。
あんたには退屈だろうけど、今は紙との戦い中なんだよ」
「なんだよ、紙との戦いって」
ミレーネは、そこで手を止めてテオを見た。
「今のあんた、グレンの気を散らしてる」
「え?」
テオは、焼き場のほうを見た。
グレン兄ちゃんは、紙を一枚めくって、また戻していた。
読んでいるというより、噛みつく相手を探しているみたいだった。
「あんたが棒持ってウロウロしてみな。
グレンは絶対、あんたに何か言う。
言ったあとで、余計に自分に腹を立てる」
「……俺、そんなに邪魔?」
テオは本当に、何かしたかった。
炭を運ぶでもいい。
肉を洗うでもいい。
皿を並べるでもいい。
小さい子を並ばせるでもいい。
いつもなら、どれか一つくらいは仕事があった。
でも今日は、何もなかった。
火がないと、テオの仕事もなくなる。
店が止まると、自分まで止まったみたいだった。
「暇なら、アレンに顔でも見せてきな」
お兄ちゃんの顔が浮かぶ。
森で魔獣を倒した英雄。水をきれいにした英雄。
だったら、火だって戻せるんじゃないか。
「……行ってくる」
「走るなよ」
「分かってるって!」
言い返して、テオは孤児院を飛び出した。
やっぱり、半分くらいは走った。
◇
学園の門をくぐると、いつものようにエリュナに見つかった。
「医務室?」
テオがうなずくと、エリュナは何も聞かずに歩き出した。
扉の前で、テオは一度だけ息を吸った。
「どうぞ」
中から声がして、扉を開ける。
「お兄ちゃん、火が戻らない」
ベッドの上のお兄ちゃんが、こちらを見た。
横にはノエルもいた。
「店がまだ開けない」
ノエルが唇を噛んだ。
「やっぱり……」
その言い方が、余計に腹に立つ。
喉の奥が熱くなる。
「グレン兄ちゃんは帰ってきたのに……」
部屋の中が、静かになる。
お兄ちゃんは黙ったままだった。
「ねえ、お兄ちゃんは英雄なんだろ」
お兄ちゃんの肩が、小さく動いた。
「だから、《英雄焼き肉》なんだろ」
止まらなかった。
「英雄のタレだって、みんな勝手に名前使うけどさ。
お兄ちゃんがすごいことしたからだろ」
拳を握る。
「なのにグレン兄ちゃんが捕まって、店が止まって……」
喉の奥が熱くなった。
「なんで、お兄ちゃんは、ここにいるだけなんだよ」




