第115話 森の目 【エリュナ視点】閑話
噴水の水は、森の泉とは違う匂いがした。
石と鉄と人の汗と、焼いたパンの匂い。
でも、真ん中のそれからは、よく知っているざわめきがした。
「……へんな感じ」
エリュナは、広場の少し離れたところから、 噴水を見ていた。
石柱の中ほど。 鉄の輪で固定された一本の枝。
世界樹の枝。
森の奥で感じる根っこと同じ気配が、王都のお腹の真ん中で動いている。
そんなふうに思えた。
◇
「エリュナ」
呼ばれて振り向くと、ノエルが立っていた。
袖をまくり、髪も少し乱れている。
「どう?」
ノエルは朝からずっと、板を見ていたのだろう。
「ちゃんと動いてる。水も変わってる。
でも、枝が無理してないかは、僕には分からない」
エリュナは、枝のざわめきに耳を澄ませた。
「世界樹は、いつもどおり」
「いつもどおり?」
「うん」
エリュナは、噴水の水面を見つめる。
人々が並び、桶を差し出し、透き通った水を受け取っていく。
噴水のそばでは、誰かが叫んでいた。
「世界樹の奇跡だ」
「学園様の水だ」
いくつもの名前が、水しぶきと一緒に飛び交っている。
「世界樹は、奇跡って顔してない」
エリュナは、少しだけ首を傾げた。
「いつものことを、いつもどおりしてるだけなのに、って」
「……そっか」
ノエルは、息を吐く。
「アレンのところ、行ってくる」
ノエルは頷いた。
「伝えてあげて。
噴水は、ちゃんと動いてるって」
「うん」
エリュナは、学園へ向かった。
◇
医務室は、いつもの消毒の匂いがした。
ベッドの上で、アレンは横になっている。
目は閉じていたが、顔色は前よりずっといい。
ラグナが腕を組んで、ベッドのそばに立っていた。
「ちょうど今起きたとこよ」
「うん」
エリュナは小さく答えて、ベッドのそばに椅子を引いた。
少し迷ってから、 そっとアレンの手を取る。
指先に、薄いぬくもりがあった。
「……エリュナ?」
アレンが、ゆっくりまぶたを開けた。
「噴水、どうでした?」
「森の泉とは、違う匂い」
エリュナは真面目に答えた。
「でも、世界樹は嫌がってない。
枝は、ちゃんと水を見てる」
アレンは、ほっとしたように息を吐いた。
「よかった」
少し間を置いて、申し訳なさそうに言う。
「ごめん。
エリュナの枝、勝手に——」
「私のじゃない」
アレンが瞬きをする。
「……え?」
「世界樹は、めったに枝を落とさない」
エリュナは、アレンの手をぎゅっと握る。
「だから、たぶん、意味があると思う」
アレンは、少しだけ困った顔をした。
「……気前がよすぎるとは思ってました」
「うん。世界樹だからね」
エリュナは、くすっと笑った。
「森の中なら、世界樹の気配はいつも近かった」
それから、窓のほうを見る。
学園の向こう。 王都の真ん中。
あそこに、世界樹の枝がある。
「でも、今は王都にもある。
変な森だけど」
エリュナは正直に言う。
「森の祝福だけじゃ、足りなかった」
エリュナは言った。
「水を運ぶ人も、列を守る人も、札を描く人もいる。
そういうの、知らなかった」
アレンは黙って聞いていた。
「だから、学ぶ。
私、ここの学園の生徒になる」
エリュナは、にこっと笑った。
◇
ラグナが、ベッド脇の布を直しながら言った。
「そろそろ、この芋虫眠らせるわよ」
「は〜い」
エリュナは椅子から立ち上がり、扉の前で、一度だけ振り返った。
「世界樹も言ってた」
「何て?」
アレンが、小さく聞く。
「外に根を伸ばしたなら、ちゃんと見てろって」
「……俺にですか?」
「ううん」
エリュナは、少しだけ笑った。
「たぶん、私に」
アレンは、少しだけ目を細めた。
「じゃあ、お願いします」
「うん」
アレンはもう目を閉じていた。
「おやすみ」
エリュナは静かにその横顔を見ながら、
森の外に伸びた根の、その先を見届けようと決めた。




