第111話 王都全員の仕事
「陛下。原因は、水です」
執務室に入るなり、宰相ヴァルドはそう言った。
王城の高窓から見える王都は、いつも通りに見える。
屋根が並び、煙が上がり、人が動いている。
だが、机の上に積まれた報告書は、
その下で王都が少しずつ削られていることを示していた。
水下り病、拡大。
下町だけではない。
職人街、商人区、兵舎の一部にまで軽症者が出始めている。
ヴァルドは、少しだけ声を低くした。
「事態は深刻です。ただ……」
そこで、ヴァルドは言葉を区切った。
言いにくそう、というより、
その情報をどう扱うべきか測っている顔だった。
「一つだけ、妙な報告がございます」
「何だ」
「スラムの一部地域で、重症者が大幅に減っています」
王の指が止まった。
ヴァルドは書状を一枚抜き出す。
「最初に崩れ始めたはずの場所です。
にもかかわらず、ここ数日、悪化し続ける患者が減りました」
「……どういうことだ」
「魔道具です」
ヴァルドは答えた。
「王立魔法学園の学生たちが、スラムの水瓶や井戸に、板を沈めた。
そういう報告が上がっています」
王は、しばらく黙った。
それから、低く言う。
「誰が関わっている」
「若手講師レーンと生徒ノエル。
魔道具研究会顧問のオルフェン。
それから、エルフの娘」
ヴァルドは一拍置いた。
「そして、アレン・ハルトシュタイン」
やはりか、と王は思った。
辺境。
世界樹。
孤児院。
御前試合。
あの少年の名は、火種のある場所にばかり現れる。
「各所も、その名にたどり着き始めております」
ヴァルドは、机の端に置いていた別の束を示した。
「衛生局、施療院、貴族区の水場管理者、いくつかの商会。
皆、スラムで何が起きたかを探っています」
「そして?」
「すでに、学園宛に照会状が出ています」
ヴァルドは、一通を王へ差し出した。
どれも、命令ではない。
しかし、断りづらい圧がある。
アルディオンは、二通目、三通目も確認した。
「陛下」
ヴァルドは声を落とした。
「申し上げにくいことですが」
「言ってみろ」
「民は、分かりやすい英雄を作ります」
王は、宰相を見た。
「世界樹と縁があり、御前試合で王都軍を相手に走った。
その少年が、スラムの水を救う。
そういう物語は、王命より早く広がります」
アルディオンは、少しだけ苦笑した。
「王の威厳より英雄か」
ヴァルドは言葉を選んだ。
「何かあれば、アレン・ハルトシュタインに頼めばいい」
「その空気は、危険です」
「御前試合の後、気絶して倒れたが、その後どうなった?」
「まだ安静です。
医務室の扉までの数歩で、止められているとか」
アルディオンは、少し考えた。
それから静かに言う。
「私は、覚えておきたい。
アレン・ハルトシュタイン個人のことを」
王の声は、静かだった。
「辺境で、森で、王都で——
あの子が、どれだけ火の中に足を突っ込んできたか」
「陛下は、お優しい」
ヴァルドは、少しだけ首を傾げた。
「ですが、火に足を突っ込む者が、
いつも正しく燃えてくれるとは限りません。
燃え広がるかもしれない」
「それで、いつも目を離せない、というわけか」
ヴァルドは黙ったままだ。
「アレン・ハルトシュタインという少年を。だが——
見る先を間違えるな」
アルディオンがはっきり言う。
「王立魔法学園長ゼフィラム宛に、正式要請を出せ。
水下り病対策に関する、魔道具研究への協力を求める、と」
ヴァルドは、恭しく一礼した。
「衛生局、施療院、冒険者ギルドには、学園と連携するよう通達します」
「それでよい」
王は、窓の外へ目を向けた。
「水は、王都全員のものだ。
ならば、対策も王都全員の仕事にする」




