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初級魔法しか取り柄がない!!  作者: なるっち
7章 王立ヴィクリィール学園編 ― 水の巡り

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第110話 学園の課題

「一か所だけ、様子が違う場所がある」


学園長室に入ってすぐ、ゼフィラムはそう言った。


机の上には、何通もの報告書が並んでいる。


《王都下町施療院》

《王都中央施療院》

《冒険者ギルド王都支部》

《王都衛生局》


どれも、水下り病についての報告だった。


「スラム地区だ」


ゼフィラムは、書状の一枚をノエルたちのほうへ少し滑らせる。


「重症者が出ているのは確かだが、

 底なしに悪化し続ける、という報告が減っている」


目を細める。


「なぜだと思う?」


誰も、すぐには答えなかった。


ノエルは胸に抱えた包みを握り直す。

レーンは、いつもの軽い笑みを消している。

オルフェンだけが、変わらない顔で立っていた。


ゼフィラムは、静かに待っている。


「責めているわけではない」


やがて、学園長は穏やかに続けた。


「むしろ、学園として支援したいと思っている」


ノエルが、少しだけ顔を上げる。


「ただし、その前に君たちの口から聞きたい」


ゼフィラムの視線が、ノエルへ向いた。


「何をした?」


ノエルは、一度だけ息を吸った。


「スラムの水場に、魔道具を置きました」


声が少し震れた。


「数はまだ少ないです。

 でも、置いた場所では……確かに変わりました」


「どう変わった」


「水の匂いが軽くなりました。

 濁りも、前より沈みやすくなっています」


ノエルは、言葉を探す。


「腹を下していた子たちも、少しずつ落ち着いています。

 水を飲むのを怖がっていた子が、これなら飲めると」


そこで、一度だけ唇を噛んだ。


「ただ、治したわけではありません。

 水を、前より悪くないものにしただけです」


「それでも、十分に意味がある」


学園長は、今度は隣の教師へ目を向けた。


「オルフェン、君の評価は?」


「効果はある」


オルフェンは即答した。


だが、次の言葉で、ノエルの背筋がまた伸びた。


「だが、続かん」


オルフェンは淡々と言う。


「アレン・ハルトシュタイン専用の、使い捨て魔道具だ」


ノエルは、包みを抱える手に力を込めた。


「誰もいじれない。魔石も取り外せない。

 どこが傷んだのかも、次に作る者には分からん」


オルフェンは、ノエルの包みへ視線を落とす。


「一度置いて終わり、では道具とは呼べない」


「……はい」


ノエルは、小さく頷いた。


痛い。


でも、その痛みは、必要なところにまっすぐ刺さっていた。


「ふむ」


ゼフィラムは、机の上で指を組んだ。

驚いた様子は見せない。


むしろ、最初から分かっていたことを、

あらためて確かめたようだった。


「ならば、そこまで含めて、学園の課題にしよう」


ゼフィラムは、静かに言った。


「魔道具研究会を、王立魔法学園の正式な研究機関として承認する」


ノエルは、思わず顔を上げた。


「君たちの試みを正当に評価した結果だ」


ゼフィラムの声は穏やかだが、軽くはなかった。


「場所を用意する。予算もつける。

 必要な素材や人員も、学園として手配する」


ノエルは、陶板を抱えたまま固まっている。


遊びではなくなる。

思いつきでもなくなる。


アレンが引いた線を、

自分たちが、学園の名の下で扱うことになる。


「責任者は、君に任せたい」


ゼフィラムの視線が、自然とオルフェンへ向かった。


「見るだけだ」


オルフェンは、短く息を吐いた。


「それでいい。君が適任だ」


「褒めているつもりか」


レーンが小さく笑いかけて、すぐに咳払いでごまかした。


「オルフェン先生」


ゼフィラムは、少し声の調子を変える。


「魔石の件についても、礼を言わねばならない」


オルフェンの眉が、ほんのわずかに動いた。


「不要だ」


「現場へ回した魔石は、学園備品ではなかっただろう」


ノエルが、ぱっと顔を上げた。


「え?」


「君が私費で集めた研究石だ」


ゼフィラムは言った。


「現場に回してくれたこと、学園長として感謝する」


オルフェンは、不機嫌そうに言った。


「検証だ」


「水瓶の底という劣悪な環境で、規格外魔石がどの程度働くか。

 得られるデータはある」


「そういうことにしておこう」


オルフェンは、そのまま黙った。


ゼフィラムは、封筒を一つ取り上げる。


「今後は、素材と魔石の供給を学園側で手配する」


それから、ノエルたちを見た。


「君たちは、どう使うかに集中してくれたまえ」


黙って、皆がうなずく。





「王都は、今、危機にある」


ゼフィラムは、あらためて言葉を置いた。


「水下り病がこのまま広がれば、

 兵も、職人も、商人も、学生も、みな削られていく」


机の上の報告書に、静かに手を置く。


「騎士団や施療院だけでは、追いつかない。

 王宮が命じ、衛生局が走り、施療院が受けても、穴は残る」


ゼフィラムは、三人を順に見た。


「その穴は、学園が埋める。

 王立魔法学園としての価値が試されている」


ノエルは、息を呑んだ。


「魔道具で、ですか」


「そうだ」


ゼフィラムは頷いた。


「やることは山ほどある。

 だが、君たちなら、やれると信じている」


ノエルは、ごくりと唾を飲んだ。


「一人で抱え込むなよ」


その言葉は、ノエルに向けられていた。

けれど同時に、ここにいない誰かに向いている気がした。


「これは、アレン・ハルトシュタイン一人の課題ではない。

 ノエル、君一人の課題でもない。

 魔道具研究会だけの課題ですらない」


ゼフィラムは、ゆっくりと言葉を刻む。


「王立魔法学園の課題だ」


「はい」


ノエルは、はっきりと答えた。


「やります」


「よろしい」


ゼフィラムは、少しだけ表情を緩めた。


「まずは、現場で使った板の記録を整理しなさい」


「どの水瓶で、どの程度変わったか。

 魔石がどのくらい減ったか。

 板に傷みは出たか。 誰が扱って、どこで詰まったか」


ノエルは頷く。


「はい」


「人が使うものは、人が間違える」


ゼフィラムは言った。


「それを前提に作りなさい」


「はい」


ノエルは、もう一度頷いた。


今までの魔道具は、机の上で美しく動けば嬉しかった。

授業で褒められれば、それで胸が弾んだ。


でも、今は違う。


水瓶の前に子どもがいる。

桶を抱えた老人がいる。

薪の足りない家がある。


そこへ届くものを作る。


その重さが、ようやく腕の中の陶板から伝わってきた気がした。





学園長室には、再び静けさが戻っていた。


ノエルたちが退出したあと、

ゼフィラムは、椅子の背にもたれ、天井を見上げる。


やがて、机の引き出しを開けた。

中から、一通の手紙を取り出す。


宛名は、王立魔法学園長ではない。


《アレン・ハルトシュタイン殿》


王都からの期待。 好奇心。 圧力。

そして、利用価値を測る冷たい目。


それらが、きれいな文面の中に隠れている。


ゼフィラムは、手紙を静かに伏せた。


「まだ、君に背負わせる話ではない」


独り言のように呟く。


アレン・ハルトシュタインは、すでに一度、世界樹の下から戻ってきた。

そして今また、扉までの三歩に苦しんでいる。


王都の便利な英雄にするのは簡単だ。

スラムの水を救った少年、として掲げればいい。

水瓶の前に立たせ、感謝を浴びせ、次の問題も差し出せばいい。


簡単で、残酷だ。


「君は今、水瓶の底まで線を伸ばすだけでいい」


だから今は——


アレン個人ではなく、学園として受け止める。


それが、彼に向かい始めている過剰な光を、

少しでも薄めることになるのなら。


「……綺麗事だな」


ゼフィラムは、自嘲気味に笑った。


窓の外の学び舎を見下ろす。


木剣の打ち合う音。

誰かが笑う声。

廊下を走って叱られる声。


いつも通りの学園。


そのいつも通りを守るために、

水瓶の底の小さな板は、今日から学園の課題になった。

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