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初級魔法しか取り柄がない!!  作者: なるっち
7章 王立ヴィクリィール学園編 ― 水の巡り

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第106話 陶片

「……少しだけ、考えるの手伝ってほしい」


ノエルは、紙束を胸に抱えたまま、少しだけ眉を寄せた。


「内容によります」


そう返したつもりだったけれど、

ラグナさんに額を指で小突かれた。


「考えるだけよ。

 魔力は一滴も動かさない」


「はい」


ノエルが、申し訳なさそうに笑った。


「ごめん。……でも、アレンくんなら、と思って」


その後ろから、裾がのぞく。

若手講師、レーン先生だ。


「ベッドの上の患者を、引っ張り出すつもりはないよ」


レーン先生は、そう前置きしてから、軽く手を上げた。


「水下り病、聞いてるよね」


「医師の先生が、さっき」


アレンは、上体を少しだけ起こして答えた。


「下町の井戸で同じ症状が出てて、

 スラムにも広がってるって」


「そう」


レーン先生は頷く。


「で、学園側でも、できる範囲で手伝いを出している」


ノエルが、紙束を抱え直した。


「治癒魔法ができる人は、医務室の先生や施療師と一緒に、

 下町とスラムを回ってます。

 浄化が使える人は、王都の魔法師と組んで井戸を見てる」


エリュナが、小さく息を呑んだ。


「クラリスさんとレイクさんも?」


「うん。ふたりとも治癒ができるから。

 今日はずっと外に出てるはず」


ノエルは指を折っていく。


「身体強化の得意な人たちは、水くみ、薪運び、運搬役。

 ロウガくんやライラさん、カイ先輩、ルーク先輩、

 みんな学園の外で走ってます」


アレンは、シーツの上で握った手に少しだけ力を込めた。


「……そうですか」


「今の自分にできることをやってる」


レーン先生が、横から補足した。


「ノエルは、治癒も浄化も使えない。

 だから、魔道具で水をきれいにできないか、と考えた」


ノエルは頷く。


「オルフェン先生に相談したら、一瞬で却下されましたけど」


「だろうね」


アレンが小さくつぶやく。


レーン先生も肩をすくめた。


「でも、やってみようって言ったんだ。

 水回りの魔道具は、ずっと誰かがやるべきだと思っていたしね」


ノエルがうなずく。


「それでレーン先生と魔道具研究会で試作品を作ってみたんだけど」


アレンは、机の上の石板と魔石の欠片を見る。


「それが、その……結果」


ノエルは、自分でも情けなさそうに笑った。


「理屈の上では、浄化に似た作用をさせられると思った。

 でも——」


ひびの入った魔石を指先で示す。


「とにかく、魔力を食う。

 魔石ひとつ、数回で空っぽです。

 なのに、出てくるのは、そこにじっと光ってるだけの浄化で。

 井戸みたいな大きな水には、全然届かない」


レーン先生が言葉を継ぐ。


「水の流れを扱えていない。

 魔力の流し方も、効率が悪い」


ノエルは、小さく息をついた。


「だから、今のままじゃ使いものにならないんです」


そこで、レーン先生がアレンを見る。


「で、そこで君の名前が出たわけだ」


「俺の?」


「ノエルがね」


ノエルが、少しだけ耳を赤くした。


「アレンくん、地形のときに、

 魔石と土の通りをうまく使ってたでしょ。

 ああいう流し方ができる人に、見てほしいなって」


「今の俺、扉まで三歩も行けないよ」


アレンは、笑って返す。


ノエルの表情が、わずかに強張る。


「……そうやって笑ってるだけでいいの?」


空気が、少しだけ張りつめた。


「ノエル」


レーン先生が制しかける。


ノエルは、それでも言葉を続けた。


「アレンくんは、スラムに知り合いもいる。

 でも今は動けないし、前みたいに魔法も使えない。

 ……それでも、何とかしたいって」


「おいおい、それはちょっと言い過ぎ——」


レーン先生が眉をひそめる。


ノエルは、はっとして俯いた。


「……ごめん。

 今の言い方は、さすがにないね」


アレンは、自分の指を見た。


笑ったのは、

ごまかしたかったからだ。

自分がここで手をこまねいているだけなのを。


「違わないよ」


アレンは、ゆっくりと言葉を選んだ。


「ノエルの言う通り」


指先に、シーツの感触。


「でも、それでも、スラムが心配だし、

 テオたちが、あの水を飲んでると思うと、

 ……なんとかしたいって思う」


笑いは、もうどこにも残っていなかった。


ノエルは、唇を噛んでから、

小さく頭を下げた。


「ごめん。

 アレンくんの気持ちを、

 分かってるつもりで、分かってなかった」


「俺も、ごまかしましたから」


アレンは、少しだけ苦笑する。


「笑ってる場合じゃないのに、

 笑ったのは俺のほうです」


そこで、ぱん、と手の叩く音がした。


「はい、感動的なところ悪いけど、一回終わり」


「ラグナさん」


「この子、医師からの処方は“息して寝るだけ”なんだから、

 重い話は三分までね」


「……三分は過ぎてたかも」


レーン先生が苦笑する。


ノエルも、少しだけ笑った。


「ごめん。熱くなった。

 アレンくんは安静、ってちゃんと分かってたのに」


「いや、話してくれてありがとう」


アレンは、紙束のほうを見る。


「線くらいなら、引けるかもしれない」


ノエルの目が、少しだけ明るくなった。


「じゃあ、ここに置いていくね。

 今すぐじゃなくていい。

 ……三歩の範囲で、できるだけで」


「はい」


胸の奥の線が、かすかにざわめく。


ノエルとレーン先生が、医務室を出ていく。

扉が閉まる音がして、部屋がまた静かになった。



 ◇



夕方。

医務室の廊下が、少しだけ騒がしくなった。


「面会は一人だけよ」


扉の向こうで、ラグナの声がした。


「長話禁止。泣くの禁止。病人を起こすのも禁止」


「泣きませんわ」


凛とした声が返る。


ラグナが扉を開けた。


「見舞いの代表だそうよ。品物を置いたら帰るって」


「失礼しますわ」


クラリスが、一歩だけ中へ入ってくる。


「お見舞いに参りましたの」


ラグナが壁にもたれたまま、面白そうに眺めている。

エリュナは気を利かせて、少し離れた椅子へ移った。


クラリスは、制服の裾をそっと整えてから、小さな布包みを取り出す。


「本当は、皆さまも直接お見舞いを申し上げたかったのですけれど。

 医師の先生に止められましたので、わたくしが代表で」


「……ありがとうございます」


「それと、もう一つ」


クラリスは、少しだけ声を落とした。


「御前試合は、ちゃんと見ておりましたわ」


前置きは、それだけだった。


「今日は、これをお返ししようかと思って」


ベッド脇の台に、そっと布包みを置く。


中には、黒く焼けた陶板の破片がいくつかあった。

陶板柵の一部だ。


「御前試合のあと、回収される前に、お願いして分けていただきました」


クラリスは、指先で一つを撫でる。


「アレンさんの――最後の一歩の」


言いかけて、自分で口を押さえた。


「最後というのは、その、言葉のあやでして……」


「いえ」


アレンは、少しだけ笑った。


「もう、ああいう一歩は置けないので。合ってます」


クラリスの顔から血の気が引いた。


「そ、その……それでも、あの土の柵と最後の一歩に、わたくしたちは感動しました」


言葉を慎重に選ぶようにしてから、布越しに破片を押し出す。


「ですから、これはアレンさんのものですわ。

 持ち主の手元にあるべきです、きっと」


アレンは破片を受け取る。


手の中で、ただのよく焼けた土の感触がした。


砦の泥。

焼いた土。

陶板柵。

御前試合の足裏。


ぜんぶ、少しずつ混じった感触。


「……ありがとうございます」


そんなに大事なら、と一瞬だけ思う。


「クラリスさんこそ、持っていていいんじゃないですか」


そう言いかけたとき、クラリスはもうひとつ布包みを取り出した。


「でしたら――こういたしましょう」


少しだけ、いたずらっぽく微笑む。


「半分こにいたしましょう」


アレンは、思わず瞬きをした。


「……陶板を?」


「ええ、

 以前、わたくしたちで分け合った、あれですわ」


クラリスは、包みの中から破片を二つ取り出した。


「御前試合は、残念ですが負けました」


その声だけは、少し静かだった。


「でも、

 あの土の柵は、王都軍の足を止めました。

 あの一歩は、わたくしたちの目を変えました」


一つを自分の手のひらに。

もう一つを、アレンのほうへ差し出す。


「負けた試合の中にも、勝ちはありましたわ。

 ですから、その勝ちの欠片を、半分こにいたしましょう」


「……ただ二つに分けてるだけでは?」


「いいえ」


きっぱりと言い切る。


「アレンさんのところにある一片と、

 わたくしのところにある一片が、同じ柵の一部だということが大事なのですわ」


相変わらず、すごい理屈だ。


アレンは、差し出された破片を受け取った。


「……じゃあ、半分こにします」


「ええ。半分こですわ」


クラリスは、少しだけ安心したように笑った。


「次にお返ししていただくときに、

 どんな形になっているのか、楽しみにしておきます」


「え、これ返さないといけないんですか?」


「ええ。儀式ですもの。

 半分こにした勝ちは、ときどき二人で見せ合わなくてはなりませんわ」


クラリスは、軽く一礼して退室した。


アレンは、手の中の陶片をしばらく見ていた。


走るために作った土。

誰かの足を止めるために焼いた柵。

最後の一歩へ続いていた欠片。


もう、今の自分の足じゃ必要ない。


けれど。


ざらついた表面を指でなぞると、

そこには、ただの土とは違うなにかが残っている気がした。



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