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初級魔法しか取り柄がない!!  作者: なるっち
7章 王立ヴィクリィール学園編 ― 水の巡り

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第105話 奇跡じゃない

医務室棟へ続く廊下の窓の外が、薄い茜色になっている。

一歩進むごとに、ざわめきが扉の隙間から漏れてきた。


「エルフの子が——」

「スラムで——」

「世界樹の祝福が——」


耳が勝手に拾ってしまう。


「エリュナ嬢」


一緒に戻ってきた若い施療師が、少し心配そうに声をかけた。


「少し休んだほうが」


「大丈夫です」


手のひらが熱い。

祝福を何度も使ったせいで、指先が細かく震えている。


ずっと、遠くから細い糸を手繰るみたいだった。

続ければ続けるほど、その糸が指に食い込んでくる。


足を止めたくなる。


今は話さないほうが、アレンは楽かもしれない——

そんな考えが、一瞬、頭をかすめた。


それでも、エリュナは医務室へ向かった。

扉の前でだけ、深く息を吸う。


中から声がする。

ラグナの声。それから、学園医師の低い声。


「まだ起こさないほうがいい」


「起きてるわよ。半分くらい」


「半分では困る」


「この子、だいたい半分で動くから」


「動かすな」


ラグナが小さく笑う。いつもの調子。

それに少しだけ救われる。


エリュナは、扉を開けた。





「おかえり」


ベッドの上で、アレンがこちらを見ていた。


顔色はまだ悪い。

でも、目は開いている。


起きている。

本当に、半分くらい。


「ただいま」


ベッド脇の石皿には、淡く光る石がいくつか並んでいる。

朝より、少し数が増えていた。


アレンの中で行き場をなくした魔力。

外へ逃がされたもの。

それが、石の中で静かに光っている。


「スラムは」


アレンが聞いた。

声は静かだったが、布の上で握られた手に力が入る。


エリュナは、ベッドのそばの椅子に座った。


「悪い」


短く答える。


「水下り病。子どもと、お年寄りが多い。

 孤児院のルカって子は熱で寝てた。眠れるくらいにはした。

 ニナって子も吐いてた。ほかにも何人か」


「……ルカ」


「ミレーネさんはずっと動いてた。

 グレンさんとグランツさんは、水と薪をどうにかしようとしてた。

 テオが案内してくれた」


アレンの表情が、少しだけゆがむ。


「テオ、何か言ってましたか」


「お兄ちゃんなら、って」


アレンは、目を閉じてから、ゆっくり開いた。


「エリュナは?」


その言葉に、喉がつまる。


「途中で、思ったの」


エリュナは、膝の上の枝を見る。


「アレンなら、なんか考えるって」


アレンのまなざしが、少しだけ強くなる。


「でも、それは違うって思い直した」


エリュナは言葉を探しながら続ける。


「森の祝福は、少しなら届く。

 でも、ここでは弱い。世界樹が遠い。

 枝はあるけど、それだけじゃ足りない」


胸が苦しくなる。


「奇跡って言われた」


声が震えた。


「でも、違う。

 奇跡じゃない。治してない。

 少し眠れるようにしただけ」


アレンは、静かに聞いていた。


「わたし、一人ずつしか触れない。

 一人ずつでも、足りない」


医務室が静かになる。

アレンは、少しだけ息を吸った。


「……まず、水か」


「うん。グレンも、そう言ってた。

 水は、毎日飲むって」


アレンは、少し悔しそうに目を伏せた。


「私、どうすればいいのか、分からない」


エリュナの声が小さくなる。


「ごめん。

 報告しに来たのに、分からないことばかり言ってる」


アレンは、少しだけ首を横に動かした。


「分からないことでも持って帰ってくれるほうが、助かります」


アレンは、天井を見たまま言う。

リュシュアが、窓際で目を開けた。

ラグナも黙る。


「アレン?」


エリュナが呼ぶ。


「……」


アレンは、少しぼんやりしている。

医務室の空気が、ほんの少しだけ変わる。


誰も触っていない。

窓は閉まっていて、風もない。

それでも、花瓶の水面に、小さな輪がひとつ、浮かぶ。


どこか、遠くの根が水を見つけて、

そこから静かに揺れが広がっていくみたいに。


「今の、分かった?」


エリュナが、小さく息を呑んだまま言う。


「世界樹が、よくやる揺れ方」


アレンは、そのまま花瓶を見つめる。


水面が、ふ、ともう一度、沈んだ。

真ん中を指で軽く押したみたいに。


「森ではね」


エリュナは、枝をそっと撫でた。


「根のまわりの水とか、地下の流れとか、

 汚れがたまってきたとき」


空中に、小さな丸を描く。


「真ん中を、ちょっとだけ、こう——」


指先で、空気を突く。


「そしたら、輪っかが広がって、

 端っこに、いらないものが弾き出されるの」


世界樹は、森の真ん中で、

これをずっと続けているのだろう。


一度きれいにするのではなく、

ためこみすぎないように、少しずつ。


アレンは、その揺れを、

頭の中で何度か繰り返したところで——


「……アレンくん」


扉のほうから、控えめな声がした。


「入っても、いい?」


アレンも、花瓶から視線を戻した。

エリュナが振り向く。


「ノエルさん」


目の下に、うっすらと疲れ。

手には、何度も折り直した跡のある図面。

ノエルは、紙束を胸に抱えたまま、そっと中へ入ってくる。


「アレンくん、起きてる?」


「半分くらいは」


「半分でも、ちょっとだけでもいいから」


ノエルは、紙束を持ち上げた。


「魔道具研究会の水回り、

 このままだと全部止められそうで……」


言葉を選ぶように、息を一度飲む。


「少しだけ、考えるの、手伝ってほしい」





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