始動
七月。
期末が終わった翌週。
勉強会の成果もあってか、
結果は三人とも、上々だった。
教室を出たところで、
葵が後ろから声をかけた。
「サキ」
「ん?」
葵がスマホを片手に、近づいてくる。
「夏休み、空いてる日ある?」
「いつ?」
「八月の二週目あたり」
サキが少し考える。
「……ごめん、そこは厳しい」
「そっか」
葵の声に、責める色はなかった。
「他の週は?」
サキがもう一度考える。
「正直、夏休み中はちょっと、難しいかもしれない」
「あー」
葵が少し笑った。
「了解。じゃあまた今度」
「うん。悪い」
「いや」
葵は、聞かなかった。
聞かなくていい、と思った。
芸能科のクラスだ。
何かしら動いているのだろうとは、
前から、思っていた。
「じゃあ、またタイミング合えば」
「おう」
それだけだった。
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七月の終わり。
家じゅうが、いつもより静かだった。
リビングのテレビは点いていない。
代わりに、コーイチがノートパソコンを開いている。
本当なら、
今日も、三人の予定で埋まっていた。
このところ、
空いている日なんて、ほとんどない。
それでも、
公開の正午だけは、
コーイチが空けてくれた。
家で、三人で。
ただ、それだけのために。
時計の針が、十二時に近づいていく。
サキはソファに腰かけて、
スマホを膝に置いていた。
キキは台所にいた。
何もしていないのに、台所にいた。
公開時刻は、正午。
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「キキ」
コーイチが声をかけた。
「こっち来な」
キキが台所から出てくる。
ソファの、コーイチとサキの間に座った。
サキがキキの肩を軽く叩いた。
「緊張してる?」
「……してる」
「俺もしてる」
「うそ」
「ほんと」
少しだけ、笑った。
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時計の針が、十二時を指した。
コーイチがリロードする。
——公開。
MVのサムネイルが、画面に現れた。
白いタイトル。
黒い背景。
Eaves、と書いてある。
その下に、再生数のカウント。
ゼロから始まっている。
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しばらく、誰も何も言わなかった。
ただ、ノートパソコンの画面を見ていた。
再生数が、一になった。
二になった。
五になった。
「……父さん」
サキが言う。
「これ、誰が見てんの」
「さあな」
「レーベルかな」
「だろうな」
それで少しだけ、空気がほどけた。
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コーイチが、片手をキキの頭に置いた。
ぽん、と。
それだけ。
何も言わない。
キキは目を伏せて、
コーイチの手のあたたかさを、
じっと感じていた。
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それから、数分の間に、
再生数は四桁になった。
五桁になった。
サキの膝の上のスマホが、
震えた。
ひとつ、ふたつ。
それきり、
鳴り止まなくなった。
メッセージアプリ。
SNS。
電話。
ひっきりなしに、
画面が光り続ける。
「……来た」
サキが言う。
「始まったな」
コーイチが、立ち上がった。
「とりあえず、飯食うか」
そう言った。
それで、サキが噴き出した。
キキは、
いつのまにか立ち上がっていた。
台所のほうへ、二歩。
「キキ?」
サキが呼ぶ。
「……作る」
それだけ言って、
キキは台所に消えた。
「いやいや、今日くらいは出前でいいだろ」
サキが笑いながら、ソファに沈み込む。
「止まらないんだよなあ、あいつ」
コーイチは何も言わず、
ただ、キキの背中を、目で追っていた。
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葵は、レッスンの帰りだった。
電車のなかで、
スマホをひらいて、
SNSのタイムラインを下にスクロールしていた。
その中に、
見たことのある髪色があった。
白い、長い髪。
モノクロのサムネイルの中で、
そこだけが浮き上がっていた。
その横に、
ギターを構えた男の横顔。
「……」
葵は指を止めた。
サムネイルの上に、
Eaves、と書いてあった。
知らないバンド名。
でも、知っている顔が、ふたつ。
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葵はそのまま、再生ボタンを押した。
イヤホンから、音が流れてくる。
最初の数秒、
ドラムでもなく、ベースでもなく、
キキの声だった。
低い。
落ち着いている。
聞き慣れた、声だった。
葵は窓の外を見た。
電車は、夕方の街を走っていた。
「……そっか」
ほとんど音のない声で、独りごちた。
そういうことだったのか、と、
葵は腑に落ちた。
夏休み、忙しい、の意味が、
たぶん、これだった。
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サキにメッセージを送るか、
少しだけ、迷った。
結局、送った。
『見たよ、すごいね。』
それだけ。
何分か経って、返信が来た。
『おう、ありがと。落ち着いたらまた。』
葵はそのまま、もう一回、再生を押した。
イヤホンの中では、
まだ、キキの声が続いていた。
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家では、サキがそのやり取りをキキに見せた。
「葵から来てた」
キキがスマホの画面を見る。
短い。
葵らしい。
「……返した?」
「うん。落ち着いたらまた、って」
「うん」
キキはまた台所に戻った。
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数日後。
夏の真ん中。
地上波の、生放送の音楽番組。
控室は、人の出入りが多かった。
マネージャーが、進行表を片手に、時間を確認している。
レーベルのスタッフ、スタイリスト、
知らない顔も、何人か。
家にいたときの静けさとは、
別の場所だった。
そのなかで、
サキは鏡の前に座って、
ピックを指先で回している。
落ち着いて見えて、たぶん、落ち着いていない。
コーイチは壁際で、ベースの弦を確かめていた。
キキは、メイクの人に目元を整えてもらっていた。
鏡のなかで、
白い髪が、ライトを受けて光っていた。
アルビノの特性は、一切、隠さない。
MVが公開されてから、
歌も、曲も、
ちゃんと、届いた。
でも、
それだけじゃ、なかった。
白い髪。
赤い目。
異様に白い肌。
騒がれない方が、難しかった。
でも、それでいい。
——そういうものとして、出ていく。
家族が一緒にいる。
だから、大丈夫。
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ドアがノックされた。
スタッフが、顔をのぞかせる。
「Eavesさん、お願いします」
コーイチがベースを持って、立ち上がった。
サキがピックをポケットに入れて後に続く。
「キキ」
コーイチが言う。
「行こう」
キキは立ち上がった。
三人で、控室を出た。
---
スタジオのライト。
カメラ。
スタンドマイク。
ステージの後ろには、
サポートのドラムと、キーボード。
サキが先に位置についた。
ギターを肩にかけて、
指先で、ピックを握り直す。
コーイチがベースを構えた。
いつもどおり、安定した顔だった。
キキが歩いて、マイクの前に立った。
司会の声が、何かを言っている。
キキはそれを、半分だけ聞いていた。
——カウント、四つ。
サキが、小さく、四つ。
客席には、届かない。
キキにだけ、届く合図。
それから、
キキの声から、始まった。
---
歌っている間のことは、
キキは、あまり覚えていない。
ただ、
自分の声が、ちゃんと出ているか。
ドラムから、遅れていないか。
キーボードと、ずれていないか。
耳は、その全部を、追っていた。
そして、
その音の中に、
コーイチのベースがいた。
サキのギターがいた。
すぐ近くで、鳴っていた。
それだけで、
ひとりじゃない、と思えた。
ライトは、熱かった。
キキの肌には、すこし、強かった。
それでも、
ちゃんと、歌えた。
---
最後の音が、消えた。
スタジオに、少しの間、何の音もなかった。
それから、拍手。
スタッフの、それから観客の。
キキは礼をした。
深くではない。
浅くもない。
サキが横で、軽く手をあげた。
コーイチは静かに頷いた。
初めての出演を終えた。
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帰りの車のなかで、
サキが助手席で寝ていた。
コーイチが運転していた。
キキは後ろの席で、窓の外を見ていた。
「キキ」
「うん」
「よくやった」
キキは、窓ガラスに少しだけ、額をつけた。
冷たくて気持ちよかった。
---
その夜。
深夜零時。
家のリビングで、
コーイチとサキとキキが、
ソファに並んで座っていた。
ノートパソコンを、
今度はサキがリロードする。
——配信、開始。
各サイトに、Eavesの名前が並んだ。
デビュー曲。
「これで、ほんとの始まりだな」
コーイチが言う。
「あれ、MVと番組は?」
サキが言う。
「あれは前哨戦」
「なにそれ」
「本番は、ここから」
サキは笑った。
---
キキは何も言わずに、
画面を見ていた。
それから、
立ち上がって、台所に行った。
「お茶、淹れる」
それだけ。
コーイチが少し笑った。
サキが、わかりやすく、頭を抱えた。
「キキ、お前、分かりやすいよなぁ」
「動いてた方が、落ち着く」
「それは、まぁわかる」
---
紅茶が湯気を上げていた。
外では、蝉が鳴いていた。
夏の、本番だった。




