表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/28

始動

七月。

期末が終わった翌週。


勉強会の成果もあってか、

結果は三人とも、上々だった。





教室を出たところで、

葵が後ろから声をかけた。


「サキ」

「ん?」


葵がスマホを片手に、近づいてくる。


「夏休み、空いてる日ある?」

「いつ?」

「八月の二週目あたり」


サキが少し考える。


「……ごめん、そこは厳しい」

「そっか」


葵の声に、責める色はなかった。


「他の週は?」


サキがもう一度考える。


「正直、夏休み中はちょっと、難しいかもしれない」

「あー」


葵が少し笑った。


「了解。じゃあまた今度」

「うん。悪い」

「いや」





葵は、聞かなかった。

聞かなくていい、と思った。


芸能科のクラスだ。

何かしら動いているのだろうとは、

前から、思っていた。


「じゃあ、またタイミング合えば」

「おう」


それだけだった。





---





七月の終わり。


家じゅうが、いつもより静かだった。


リビングのテレビは点いていない。

代わりに、コーイチがノートパソコンを開いている。





本当なら、

今日も、三人の予定で埋まっていた。


このところ、

空いている日なんて、ほとんどない。


それでも、

公開の正午だけは、

コーイチが空けてくれた。


家で、三人で。


ただ、それだけのために。





時計の針が、十二時に近づいていく。


サキはソファに腰かけて、

スマホを膝に置いていた。


キキは台所にいた。

何もしていないのに、台所にいた。


公開時刻は、正午。





---





「キキ」


コーイチが声をかけた。


「こっち来な」


キキが台所から出てくる。

ソファの、コーイチとサキの間に座った。


サキがキキの肩を軽く叩いた。


「緊張してる?」

「……してる」

「俺もしてる」

「うそ」

「ほんと」


少しだけ、笑った。





---





時計の針が、十二時を指した。


コーイチがリロードする。





——公開。





MVのサムネイルが、画面に現れた。


白いタイトル。

黒い背景。

Eaves、と書いてある。


その下に、再生数のカウント。

ゼロから始まっている。





---





しばらく、誰も何も言わなかった。


ただ、ノートパソコンの画面を見ていた。





再生数が、一になった。

二になった。

五になった。





「……父さん」

サキが言う。

「これ、誰が見てんの」

「さあな」

「レーベルかな」

「だろうな」


それで少しだけ、空気がほどけた。





---





コーイチが、片手をキキの頭に置いた。


ぽん、と。


それだけ。

何も言わない。


キキは目を伏せて、

コーイチの手のあたたかさを、

じっと感じていた。





---





それから、数分の間に、

再生数は四桁になった。


五桁になった。





サキの膝の上のスマホが、

震えた。


ひとつ、ふたつ。


それきり、

鳴り止まなくなった。


メッセージアプリ。

SNS。

電話。


ひっきりなしに、

画面が光り続ける。





「……来た」

サキが言う。

「始まったな」





コーイチが、立ち上がった。


「とりあえず、飯食うか」


そう言った。

それで、サキが噴き出した。





キキは、

いつのまにか立ち上がっていた。


台所のほうへ、二歩。


「キキ?」

サキが呼ぶ。


「……作る」


それだけ言って、

キキは台所に消えた。


「いやいや、今日くらいは出前でいいだろ」


サキが笑いながら、ソファに沈み込む。


「止まらないんだよなあ、あいつ」


コーイチは何も言わず、

ただ、キキの背中を、目で追っていた。





---





葵は、レッスンの帰りだった。


電車のなかで、

スマホをひらいて、

SNSのタイムラインを下にスクロールしていた。





その中に、

見たことのある髪色があった。





白い、長い髪。

モノクロのサムネイルの中で、

そこだけが浮き上がっていた。


その横に、

ギターを構えた男の横顔。





「……」





葵は指を止めた。





サムネイルの上に、

Eaves、と書いてあった。


知らないバンド名。


でも、知っている顔が、ふたつ。





---





葵はそのまま、再生ボタンを押した。


イヤホンから、音が流れてくる。





最初の数秒、

ドラムでもなく、ベースでもなく、

キキの声だった。


低い。

落ち着いている。

聞き慣れた、声だった。





葵は窓の外を見た。


電車は、夕方の街を走っていた。





「……そっか」





ほとんど音のない声で、独りごちた。





そういうことだったのか、と、

葵は腑に落ちた。





夏休み、忙しい、の意味が、

たぶん、これだった。





---





サキにメッセージを送るか、

少しだけ、迷った。





結局、送った。





『見たよ、すごいね。』





それだけ。


何分か経って、返信が来た。





『おう、ありがと。落ち着いたらまた。』





葵はそのまま、もう一回、再生を押した。


イヤホンの中では、

まだ、キキの声が続いていた。





---





家では、サキがそのやり取りをキキに見せた。


「葵から来てた」


キキがスマホの画面を見る。


短い。

葵らしい。





「……返した?」

「うん。落ち着いたらまた、って」

「うん」





キキはまた台所に戻った。





---





数日後。

夏の真ん中。


地上波の、生放送の音楽番組。





控室は、人の出入りが多かった。


マネージャーが、進行表を片手に、時間を確認している。

レーベルのスタッフ、スタイリスト、

知らない顔も、何人か。


家にいたときの静けさとは、

別の場所だった。





そのなかで、

サキは鏡の前に座って、

ピックを指先で回している。

落ち着いて見えて、たぶん、落ち着いていない。


コーイチは壁際で、ベースの弦を確かめていた。


キキは、メイクの人に目元を整えてもらっていた。





鏡のなかで、

白い髪が、ライトを受けて光っていた。


アルビノの特性は、一切、隠さない。


MVが公開されてから、


歌も、曲も、

ちゃんと、届いた。


でも、

それだけじゃ、なかった。


白い髪。

赤い目。

異様に白い肌。


騒がれない方が、難しかった。


でも、それでいい。


——そういうものとして、出ていく。


家族が一緒にいる。

だから、大丈夫。





---





ドアがノックされた。


スタッフが、顔をのぞかせる。


「Eavesさん、お願いします」





コーイチがベースを持って、立ち上がった。

サキがピックをポケットに入れて後に続く。


「キキ」

コーイチが言う。

「行こう」





キキは立ち上がった。


三人で、控室を出た。





---





スタジオのライト。

カメラ。

スタンドマイク。





ステージの後ろには、

サポートのドラムと、キーボード。





サキが先に位置についた。

ギターを肩にかけて、

指先で、ピックを握り直す。


コーイチがベースを構えた。

いつもどおり、安定した顔だった。


キキが歩いて、マイクの前に立った。





司会の声が、何かを言っている。

キキはそれを、半分だけ聞いていた。





——カウント、四つ。





サキが、小さく、四つ。


客席には、届かない。

キキにだけ、届く合図。





それから、

キキの声から、始まった。





---





歌っている間のことは、

キキは、あまり覚えていない。


ただ、


自分の声が、ちゃんと出ているか。

ドラムから、遅れていないか。

キーボードと、ずれていないか。


耳は、その全部を、追っていた。





そして、


その音の中に、

コーイチのベースがいた。

サキのギターがいた。


すぐ近くで、鳴っていた。


それだけで、

ひとりじゃない、と思えた。


ライトは、熱かった。

キキの肌には、すこし、強かった。


それでも、

ちゃんと、歌えた。





---





最後の音が、消えた。


スタジオに、少しの間、何の音もなかった。





それから、拍手。


スタッフの、それから観客の。





キキは礼をした。

深くではない。

浅くもない。


サキが横で、軽く手をあげた。

コーイチは静かに頷いた。


初めての出演を終えた。





---





帰りの車のなかで、


サキが助手席で寝ていた。

コーイチが運転していた。

キキは後ろの席で、窓の外を見ていた。





「キキ」

「うん」

「よくやった」





キキは、窓ガラスに少しだけ、額をつけた。


冷たくて気持ちよかった。





---





その夜。

深夜零時。





家のリビングで、

コーイチとサキとキキが、

ソファに並んで座っていた。


ノートパソコンを、

今度はサキがリロードする。





——配信、開始。





各サイトに、Eavesの名前が並んだ。


デビュー曲。





「これで、ほんとの始まりだな」

コーイチが言う。





「あれ、MVと番組は?」

サキが言う。

「あれは前哨戦」

「なにそれ」

「本番は、ここから」





サキは笑った。





---





キキは何も言わずに、

画面を見ていた。


それから、

立ち上がって、台所に行った。





「お茶、淹れる」





それだけ。





コーイチが少し笑った。


サキが、わかりやすく、頭を抱えた。


「キキ、お前、分かりやすいよなぁ」

「動いてた方が、落ち着く」

「それは、まぁわかる」





---





紅茶が湯気を上げていた。


外では、蝉が鳴いていた。





夏の、本番だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ