第596話 コンサート本番
いよいよ、ルナの所属する芸能事務所のクリスマスコンサートが始まる。
舞台裾では、次の出番を待つルナが、胸に手を当てながら何度も深呼吸をしている。
(ああ、緊張するなぁ……)
今回のコンサートで集まっている人数は、なんと一万人。今までのイベントでは観客の数はせいぜい千人くらいなので、大幅に増加している。
熱気に包まれたコンサート会場とはいえど、肩出しのアイドル衣装はさすがに寒いというものだ。緊張と寒さで、ルナは震えてしまっている。
そんな中、ルナに声がかけられる。
「大丈夫かしら、ルナちゃん」
「い、イリスさん」
現れたのはイリスだった。
芸能事務所のトップアイドルかと思ったら違うらしい。
「ルナちゃん、今までの配信では、いったい何人を相手に配信していたのかしら」
「えっと……、多い時で同接二十万……? いや、レニちゃんとの合同だと二十五万はあったかな」
「ここにいる観客は一万人。それに比べれば大したことないわよね」
(まあ、オンライン視聴の人を入れればあんまり変わらないか、むしろ多いでしょうけど)
イリスはルナに話しかけて、人数は大したことがないと、緊張をほぐそうとしていいるようだ。ただし、心の中ではオンライン配信のことを考えている。あえてこちらは伝えない。
そもそも、ルナは友人にオンライン視聴のチケットを渡しているので、おそらくは分かっているはずだ。でも、緊張している状況でそれを意識しているかどうかは分からない。ひとまず、ここにいる観客の人数だけを伝えて、ルナの思考誘導を行っているというわけである。
「そうですね。ありがとうございます、イリスさん。ちょっと緊張がほぐれました」
「そう、それはよかった。あと二分くらいだから、しっかり準備しなさいね」
「はい」
ルナがにっこりと笑顔を見せると、イリスは満足したように離れていく。
「光月ルナさん、出番です。準備よろしいですか」
「はい」
舞台裾に現れたスタッフの言葉に、ルナはきりっとした表情で答えている。
コンサートのスタートを飾った先輩アイドルの歌唱ももう終わる。それが終わって少し挨拶をしたら、いよいよルナの出番だ。マイクを握る手に、ちょっと力が入ってしまう。
やがて、先輩がルナのことを紹介して、舞台裾へと移動していく。それと同時にデビュー曲のイントロが始まる。マイクを握りしめて、ルナはコンサートのステージに歩み出ていく。
まぶしい。
今までに浴びたことのないようなスポットライト。
冬だというのに、立っている場所がかなり暑く感じる。
ステージ中央に出てきた時、会場中から沸き上がる歓声。経験のしたことないばかりに、ルナは思わず固まりかけてしまう。
だけど、自分一人のためにこの場を台無しにしてはいけない。ただでさえ、自分だけずっと別行動だったのだ。ルナは改めてマイクをぎゅっと握りしめると、にっこりと笑顔を見せている。
イントロが終わり、ルナは歌い始める。
この規模のステージは初めてとはいえど、いつものようにのびのびとした感じで自分の持ち歌をしっかりと歌っている。
デビューシングル、セカンドシングル。二曲を連続で歌いきり、ぺこりと頭を下げて舞台裾へと引っ込んでいった。
「はあはあ……」
自分の出番を終えたルナは、とても呼吸を荒げている。それだけの緊張と精一杯の歌唱だったということがよく分かる状態だ。
「お疲れ様、ルナちゃん。最後の全員歌唱まで、ゆっくり休んでいてちょうだい」
「は、はい……」
「では、ルナさん、こちらへ」
イリスに声をかけられて返事をしたルナは、自分のマネージャーであるキマに連れられて、一度控室へと引き揚げていった。
よく思えば、こんなにかかとの高い靴で動いたのは初めてである。このことも、ルナには相当負担がかかっていたのだろう。
膝上丈の靴下を脱いでもらえば、やはり少し腫れあがっていた。
「吸血鬼の治癒力なら、一時間もあれば治るでしょう。ですが、念のため、人間のように氷で冷やしておきましょうか」
「うん、そうだね」
次に出番があるのは二時間後。どうやら余裕で治るらしい。
改めて自分が人間じゃなくなったことを実感しつつも、治癒の力の高さをありがたく思うルナなのである。
イリスや他のアイドルたちの出番も順番に滞りなく終わっていき、次はいよいよ全員歌唱だ。
しかし、ここでルナは思い切った行動に出た。
「ごめんなさい、みなさん」
イリスたちを目の前にして、ルナは思いっきり頭を下げる。
「全員で歌う前に、四分だけ、四分だけ僕に出番を下さい」
必死のお願いだった。ほとんどのアイドルが、今日初めてルナに出会ったばかりではあるものの、不思議なくらいにルナのお願いを拒否する反応を見せなかった。
「ああ、いいぜ」
「あんたのおかげで、うちの事務所は少し持ち直したんだ。そのくらい、聞いてやるよ」
「どのみち、アンコールで延びるの分かっているし、四分くらい誤差だわ」
どうやら全員一致で、ルナのわがままを聞いてくれたようである。
そのうちの一人が、マネージャーに声をかけて演奏をしてくれるミュージシャンへと声をかけに行く。
「社長からサプライズのことは聞いているから、思い切ってやってきなさい」
「あ、ありがとうございます!」
マネージャーを走らせたアイドルが、ルナに声をかけてウィンクをしている。
全員からの気遣いに、ルナはもう一度頭を下げる。
その場の全員に見送られながら、ルナはもう一度一人でステージへと歩み出ていく。
この日のために用意していたサプライズ。それを披露するために。




