第592話 最後の日曜日
最後の日曜日が終わる。
この日も、満は市内の体育館でずっとコンサートのための練習を続けていた。歌う楽曲は持ち歌二曲と全体曲一曲だけである。ここまで連日のように練習するあたり、満はコンサートに向けて本気で打ち込んでいた。
「うむ、今日もお疲れ様だぞ、満」
水とタオルを持って、マネージャーであるキマが近付いてくる。
「あっ、ありがとう、キマさん」
両手を膝について前かがみの状態で呼吸を整えようとしている満は、声に反応してくるりと振り返っている。
ダンスレッスン用に購入したアクティブな格好に加え、銀髪のポニーテールがなんとも色っぽい。この姿が本来は男だというのだからなんとも恐ろしいものだ。
汗をぬぐってから水を飲む仕草は、キマでなければ一撃で落とされそうな雰囲気だった。
「満、移動は私の能力で済ませるが、大丈夫かな」
「あっ、はい。着替えて荷物を持ってきますね」
「うむ。それでは私は待っているぞ」
言葉を交わし、満は部屋の隅っこに用意されたパーテーションの中で服を着替える。
満は吸血鬼とはいえ、十七歳の美少女である。夜道は危険だということで、キマに送り迎えをしてもらっている。
着替え終わった満はキマと合流し、ダンスレッスンの先生と挨拶をして別れる。
体育館を出た満は、キマと一緒に人目につかない場所へと移動する。辺りをよく確認して、キマが能力を発動させる。
「ぬうんっ!」
その瞬間、目の前に空間の亀裂が発生する。
そう、キマの能力はこの空間の亀裂を発生させるものだ。
最初こそ、物と物のわずかな空間、隙間に綻びを発生させる程度の能力だったが、今では何もないところにもこのような亀裂を発生させられる。
二点の間に綻びを発生させて距離を消滅させて移動できるというもので、ナントカドアとか、どこぞの妖怪の能力のようなものだ。最近は認知度が上がったということでこの通りの能力を発揮できるのである。
「さぁ、家まで送るぞ」
「ありがとうございます」
亀裂にひょっこりと入り込むと、二人は満の家の前に出ていた。
「相変わらずすごいなぁ、キマさんの能力」
「ふふっ、褒められると嬉しいものだな」
素直な満の感想に、キマは嬉しそうである。
友人であるルナ・フォルモントの後継となった満に褒められるのは、そのルナ・フォルモントに間接的に褒められている気分になるかららしい。
無事に家に到着したこともあって、満はすぐに家に入ろうとするが、キマに呼び止められる。
「なあに、キマさん」
当然ながら、びっくりして立ち止まる。
「いや、あれは本気なのかなと思ってな」
「あれって?」
キマからぶつけられた質問に、満はこてんと首を傾げている。
「十二月に入ってから、満が申し出てきたことだよ。まったく、ミュージシャンたちに負担をかけることになるし、事務所だって説得するのが大変だというのにな」
「ああ、それは本気だよ。負担になるのは分かってる。でも、事務所からはしょっちゅう無茶振りされているから、ちょっと意趣返しだよ。ミュージシャンの人たちは本当にごめんって思うけど」
「そうかそうか。そういうところはちょっとあやつに似ているな」
ルナ・フォルモントのことを思い出して、キマはくすりと笑っている。
しかし、二人の話の内容からすると、満は何かコンサートで一つやらかそうとしているようだ。まったく何を考えているというのだろうか。
「それと、会場までの移動、私の力を使って移動しないか?」
「キマさんの能力で?」
「ああ、一瞬で到着できるから、体力の節約になるし、練習の時間も確保できるというものだ」
キマの隙間の能力を使って移動しないかと、話のついでに満に提案している。ところが、満はちょっと考え込んでいるみたいだ。
「いや、それはやめておこうかなと思う」
「まぁそうだろうな。でも、時間的な問題を気にしているのなら、それだけ待ってから移動すればいいだろう」
「うーん、それもそうだなぁ。ここからだと最寄りの新幹線の駅まで移動して、そこから一気にだからね。その他の移動時間を含めて四時間くらい?」
「ならば、終業式の日の夜に移動するようにすればいいな。それまではこちらでいろいろ準備ができる」
キマの能力は使わずに移動しようと満は考えていたが、練習時間が少し確保できるとなると、ついつい考え込んでしまうようだ。
ただ、往復の移動代金は交通費として請求できるし、芸能事務所からすれば経費で落とせるものだ。
結局、いろいろ考えてキマの能力は使わないことにした。キマが小さく舌打ちしたことは、満は聞かなかったことにしたようである。
「まったく、人の世もなかなかに面倒なものだな」
「うん、本当に面倒だよ」
両腕を組んで渋い顔をするキマに対して、満は苦笑いを浮かべている。
「それじゃ、僕は明日の学校があるからこれで。キマさん、送り迎え、ありがとう」
「ああ、このくらいはお安い御用だ。今週のコンサート、無事に成功できることを祈っているよ」
「本当にありがとう。おやすみなさい」
満は玄関を開けて、家の中へと入っていく。
その様子を見届けたキマは、もう一度亀裂を作り出して、芝山家へと戻っていった。
満やイリスたちの所属する芸能事務所のコンサートは、この週の金曜日、クリスマスの夜だ。
近づくコンサートの日。満にもちょっとずつ緊張が見え始めているのだった。




