第523話 鈍すぎて強敵
それはまるで時間が止まったようなものだった。
満はしっかりと目を見開き、すべての音を失っていた。
しばらくすると、小麦は満から顔を離す。
「満くん、何度でも言うからね。私は満くんのことが好き。不思議と目が離せなくなっちゃう。最初の出会いこそ最悪だったと思うけれど、交流を重ねるたびに惹きつけられる自分がいたんだよ」
「こ、小麦さん……」
目をそらさずにはっきりという小麦の姿に、満はなんて反応したらいいのだろうかと完全に戸惑っているようだった。
「舞お姉ちゃんから聞いたわよ。また、満くんに魅せられた人が現れたってね。そしたら私、ものすごく焦ってた。やっぱり、満くんのことは諦めきれないんだよ、私……」
満の肩に手を置いたまま、小麦の瞳からは次第に涙がこぼれ始めている。その表情から、小麦がいかに満に対して本気かということが見て取れる。
この小麦が見せた涙には、さすがに鈍い満も困惑をせざるを得なかった。
なんといっても、満からすれば小麦は憧れのアバター配信者である『真家レニ』の中の人だ。普段からも頼れるお姉さんなところを何度も見てきたので、今、自分の目の前にいる小麦の姿はそれだけ衝撃なのである。
満はなんと反応していいのかまったく分からないで立ち尽くしている。
「満くん、私は本気だからね。満くんが男でも女でも構わない。私は満くんが好きなの」
涙をあふれさせた小麦は、そのまま満に勢いよく抱きついていた。
しばらく時が止まったかのように動けなかった満だったが、次第に周囲が騒がしくなっていくことに気が付いた。
今いる場所は橋の下とはいっても、時間的に散歩をしている人が多い。なので、どうしても人の目に留まってしまうのである。
「こ、小麦さん。ひ、人が集まってきてますよ。とりあえず、移動しましょう」
なんとも恥ずかしくなってきてしまった満は、自分に抱きついたまま離れようとしない小麦に声をかけている。
さすがに騒がしくなってきた声が耳に届くと、小麦も仕方ないかなという感じで満から離れる。ただし、背中に回していた手はしっかりと満の手を握りしめている。
「うん。それじゃ車まで移動しようか。続きは私の部屋で」
「えっ。つ、続きって?」
小麦の言葉に慌てふためく満だったが、小麦に手を引かれて強引に移動させられてしまう。
なんだかんだで車に乗り込んだ二人は、芝山家へと戻っていった。
家まで戻った小麦は、そのまま満を強引に家に連れ込んでしまう。
「おや、満くんじゃないか。いらっしゃい」
「あっ、おじさん、こんにちは。お邪魔します」
家に入るとばったりと小麦の父親に出くわすものの、小麦に腕をつかまれている満はそのまま引っ張られていってしまう。なんとか挨拶をしたものの、小麦の父親はその様子を不思議そうに見つめているのが精一杯だった。
「うん、どうしたんだろうな」
気にはなったものの、娘のことにあんまり過干渉もよろしくないと、父親は取りに来た飲み物を探しに台所へと向かっていった。
小麦の部屋に連れ込まれた満は、小麦の様子に思わず戸惑ってしまう。いつものにこやかで楽しそうな小麦の姿ではないからだ。
ところが、部屋に連れ込んだはいいものの、小麦は何もしない。そうかと思えば、突然その場に座り込んでしまった。
「あああ、私ってば勢いに任せて何をしてるのよ……」
頭を抱え込んで、満の目の前でいきなり反省をし始めたのだ。これには満も困ってしまう。
「えっと、小麦さん?」
戸惑いながらも、満は小麦に声をかける。
すると、小麦はぴたりと動きを止めて、顔を上げている。
「あ、満くん……」
顔を上げてつぶやいた小麦は、すくっと立ち上がる。
「ご、ごめんなさい。勢い余っていろいろやっちゃって。で、でも、私が満くんを好きなのは本当だからね。ああ、もう、私ってば。ううう……」
小麦は混乱しているようで、満の目の前でまったくもって落ち着く様子はなかった。
あまりにもおかしいものだから、満は耐えきれなくなってついには笑い出してしまった。
「まったく、小麦さんって面白いですね。急に告白してきてキスしてきたかと思ったら」
「も、もう。わ、私は本気なんだからね。幼馴染みにも知らない誰かにも、満くんは渡さないから」
口に拳を当てて笑う満に対して、小麦は怒った様子で話をしている。
あまりにも可愛らしい様子に、満もにっこりしてしまう。
「僕も、小麦さんは好きですよ。ただ、小麦さんの言っている好きとは違う気もしますけど」
「ず、ずるいなぁ、満くんは。一瞬本気にしちゃったじゃないのよ。ええい、そんなにからかうんだったら、本当に私しか見れないようにしてやるーっ!」
「いいですよ。レニちゃんと一緒に配信している時は楽しいですしね」
「むむむ……。レニちゃんに負けるのか、私は……」
満はフォローをしているようだが、小麦からすると悔しくてたまらないようだ。ガワをかぶっているとはいっても当人からすれば、別という扱いなのはよくある話である。これは当然の反応だろう。
「レニちゃんだけじゃなくて、私のとりこにもしてやるーっ! 覚悟してよね、満くん」
「ええ、いいですよ。楽しみにしています」
あまりにも満の天然ともいえる反応に、小麦は意地になっている。思いっきり指を差して満に宣戦布告をしていた。
この微妙にすれ違った関係は、まだまだ続きそうだ。
いい加減に鈍いのはやめてほしいと思う小麦なのであった。




