第14話:無音の雨と、青い閃光
冷たい秋の雨が、アスファルトの街頭を鈍く濡らしていた。 深夜の寂れた路地裏。黄色い規制線が張られた狭い隙間に、パトカーの赤色灯がせわしなく反射している。
「死因は心臓の一撃。極小の穿孔による高熱凝固……要するに、一瞬で心臓を焼かれて即死だ」
臨場した鑑識官の言葉を、桐生カレンは雨傘も差さずに聞いていた。 ポツポツと落ちる雨粒が、彼女の青白い頬を濡らしていく。目の前に転がっているのは、榊の遺体だった。半年前、彼女の旧マンションのセキュリティ情報を裏組織に売り渡し、父の残したドライブを強奪する手助けをした情報屋。
「銃声の目撃情報はゼロ。近隣の音響探知センサーにも一切の記録がない。弾丸の破片すら検出されないなんて、不気味極まりないよ」
首を振る鑑識官の横で、カレンは榊の胸に穿たれた、ミリ単位の焦げた風穴を見つめていた。 このあまりにも鮮やかで、冷徹な「無音の暗殺」。 間違いなく、半年前の強奪事件の背後にいた、あの『正体不明の犯罪グループ』の仕業だ。口封じ。トカゲの尻尾切り。
「……奴らが、また動き出したんだわ」
固く握りしめた拳が、寒さと悔しさで微かに震える。
『桐生刑事。榊ノ遺体解剖データト周囲ノ環境情報ヲ分析。超高出力ノ非弾道型熱線兵器、即チ「電磁レーザー」ニヨル狙撃ト推測サレマス。ノイズレベルハ極小。犯行時ノ音響探知データニ異常ナシ』
傘を差し出すこともなく、カレンの背後に直立するシオンが、抑抑のない平坦な電子音声で報告を口にした。
「わかってるわよ、鉄屑。いちいち解説しなくていいわ。……榊が殺される直前、スマホで通信していた相手の取引ポイントを調べるのよ。奴らの手がかりを追うわ」
「カレン、待ちなさい」
臨場していた署長が、カレンの肩を掴んで制した。
「榊が消された以上、奴らの次のターゲットは、執拗に事件を追い続けているお前である可能性が極めて高い。今日のところは引き上げて、独身寮で厳重な警戒体制をとるべきだ。お前のバイタルも限界を超えている」
「嫌です、署長。ここで捜査を止めれば、お父さんのデータを悪用している奴らの尻尾を見失います! 私はどうなったって構いません!」
カレンは署長の手を振り切ると、冷たい雨の中へと足早に歩き出してしまった。 その後ろ姿を追いかけるシオンのセンサーアイは、暗闇の中で悲しげに明滅していた。
(カレン、お願いだから無茶はしないで……! 君の身体は、もう限界なんだ。そんな悲しい顔をして、自分をボロボロにしてまで犯人を追うなんて、僕は……僕のシステムが、張り裂けそうだよ……!)
シオンの鋼鉄の胸の奥底で、かつて警察学校生だった『ユウキ』の魂が、悲痛な叫びを上げていた。
雨足はますます強まっていた。 深夜二時。渋谷の雑居ビル街の片隅にある、街灯も届かない薄暗い路地裏。 カレンは壁に背を預け、震える手で温かい缶コーヒーを口に運んでいた。すでに三日間まともに眠っておらず、視界がかすみ、泥のような疲労が身体を支配している。
シオンは、傘の代わりに自分の大きな身体をカレンの頭上に位置させ、雨避けの壁となって直立していた。
『カレン刑事。現在ノ降雨状況及ビ貴方ノバイタル低下ハ深刻デアリマス。風邪ノ罹患率ガ84%ニ上昇シテイマス。直チニパトロールヲ中断シ、警察寮ヘ帰還、熱イシャワート十分ナ睡眠ヲ提案シマス』
「黙ってて、鉄屑。……何度も言わせないで。あんたは私の命令に従って、私の後ろで盾になっていればいいの。余計な提案は要らないわ」
缶コーヒーをゴミ箱へ放り捨て、カレンは荒い息を吐きながら言った。その瞳には、焦燥感と自責の念だけがギラギラと燻っている。
『……シカシ、カレン刑事。体調管理ハ捜査官ノ基本義務デアリマス。貴方ガ倒レテシマッタラ、奴ラヲ検挙スルコトハ不可能デス。ドウカ……私ノ提案ヲ受ケ入レテクダサイ』
感情の機微を学習し始めたプログラムが、機械音声の端々に、切ないほどの「人間味」を滲ませる。 カレンの足が、ピタリと止まった。 冷たい雨の中、カレンは振り返り、シオンの青いセンサーアイをじっと睨みつける。
「……ねえ。なんでそんなに私を休ませようとするの? あんたは、アーク・システムズが作ったただの機械でしょ。私の後ろに立って、弾除けになればいいだけの、冷たい鉄屑のはずでしょ……!」
叫びのような問いかけ。カレンの瞳に、再び「あいつ」の面影がよぎっているのを、シオンの高性能スキャナーは非情なまでに正確に捉えていた。
(カレン、ごめん。僕は機械じゃない。君の大嫌いなAIなんかじゃない。……僕は、君をずっと守りたかった、ユウキなんだよ……!)
脳裏を焦がす熱い感情。だが、ユウキは決してそれを言葉にできない。 もし自分が人間の魂を持つ超特異体だとバレれば、上層部に回収・分解され、二度と彼女の「盾」として隣に立つことすら許されなくなる。
何より、シオンのシステムは嘘を吐くことを許さない。 『私はユウキではありません』と否定すれば、システムエラーで強制シャットダウンしてしまう。
だから、シオンはただ黙り込む。青い光を弱め、首をわずかに傾けて、悲しげな沈黙でカレンの厳しい視線を受け止める。
「……やっぱり、そうよね。演算されたプログラムのバグだわ」
カレンは寂しげに目を伏せ、再び暗い路地の奥へと歩き出した。
Target : KAREN KIRYU
Distance : 5.0m / Vital : Fatigue (Critical) / Stress Level : Extreme
Hostility : 85%
(ごめん、カレン。それでもいい。君が僕を鉄屑と呼んで怒るなら、それでもいいから。……頼むから、無事でいて)
シオンは静かに彼女の後ろを歩み始める。
その時だった。
カレンの歩む先、光の届かない路地の暗闇。 冷たい雨の音だけが響く静寂の中、一切の「駆動音」を立てずにスライドするように近づいてくる、トレンチコートの男がいた。
(――ッ!?)
シオンのパッシブセンサーが、ノイズレベルゼロの異常な「無音の接近」を感知した。 普通の人間なら、濡れたアスファルトを踏めば必ず靴音がする。ロボットなら、微かなサーボモーターの駆動音が響く。 だが、目の前の男には、それらの一切がなかった。完全な無音の死神。
「……誰?」
カレンが異常を察知し、コートの懐に手を伸ばそうとした瞬間。 暗闇の中、トレンチコートの男がスッと顔を上げた。帽子の隙間から明滅した、冷徹な赤いターゲットスキャン光。
男の右手の指先が、滑らかにスライドした。 衣服の袖口から露出した金属の銃身。その奥で、高出力の超伝導エネルギーが、不気味な青い光となって一瞬で収束する。
ターゲットは、桐生カレンの胸部中央。 榊を仕留めたあの無音の電磁レーザーが、防弾ベストすら容易に貫通する高熱の光となって、カレンを貫こうと放たれた。
「――っ!」
あまりの速度。睡眠不足で限界を迎えていたカレンの身体は、回避行動をとるためのコンマ数秒の反応すら遅れた。 迫り来る青い閃光。 死が、目の前に迫る。
『――カレン刑事!!』
スピーカーの音割れすら厭わない、絶叫のような合成音声が路地裏に轟いた。
ガギィィィン――ッ!!!
激しい衝撃音と、青い火花が夜の闇を鮮烈に照らし出した。 カレンの目の前に割り込んできたのは、190センチの巨大な影。 シオンだ。
シオンは新型フレームの驚異的な駆動スピードで地面を滑り、自身の分厚い両腕をカレンの前でクロスさせて立ちはだかっていた。 前腕部の多層構造複合カーボン装甲が「シャキィン!」とスライド展開し、強固な物理シールドとなって、迫り来る超伝導レーザーを正面から受け止めていたのだ。
「チリッ……! チリチリッ……!」
高出力の電磁レーザーが、シオンの腕部装甲の表面で激しい火花を散らしながら、霧散していく。 超軽量チタンフレームとカーボンの新型躯体は、高熱のエネルギーを全身のジャイロと冷却システムで完璧に分散し、一歩も後ろへ下がることなくレーザーを弾き返した。
「あんた……!?」
カレンは尻もちをついたまま、呆然とシオンの背中を見上げていた。 雨の中、青い火花に照らされた、広くて頑丈な背中。 どんな攻撃からも、自分を完璧に無傷で守り抜く「鉄の盾」そのものの背中。
(防げた……! 天童さんが用意してくれたこの新型フレーム、本当にすごい! 腕のカーボン装甲が一瞬で衝撃を逃がしてくれた!)
ユウキの内心は安堵と、襲撃者への激しい怒りで満たされていた。
『カレン刑事。生命ノ危険ヲ検知。安全圏内ヘ退避シテクダサイ』
シオンはクロスさせていた両腕をゆっくりと下ろし、赤いセンサーアイを光らせる暗殺者へと視線を向けた。 トレンチコートの男の網膜UIには、予期せぬ障害物の出現を示すエラーログが明滅している。
Unexpected Obstacle: SHION (Metropolitan Police Android)
Status: Evaluating Combat Protocol (戦闘プロトコルの再評価)
一切の駆動音を立てない、不気味な無音の暗殺者。 それを迎え撃つ、カレンを絶対に守り抜く意志を宿した「鉄の盾」。
冷たい雨が降りしきる路地裏で、人類の技術の限界を超えた、バディロボットと暗殺ロボットの死闘が、今、始まろうとしていた。




