第13話:バディの再始動と、消えた影
警視庁の地下にあるアーク・システムズの出張整備ドックには、微かな電子臭とオイルの匂いが漂っていた。 青白いLEDの光に照らされてそびえ立つのは、鋭角的な装甲と強固な複合カーボンで再構築された、最新治安維持ロボット『シオン』の躯体だ。
「よし、同期テストは完了だ。これでお前のシステムは完全に新生したよ、シオン」
作業用タブレットをポンと叩いた天童湊が、満足げに眼鏡のブリッジを押し上げた。 シオン――その鋼鉄の胸の奥底で、かつて警察学校生だった『ユウキ』の魂が、静かに光センサーの焦点を合わせた。
『テスト、完了。機体各部、稼働状況オールグリーン。感謝シマス、天童エンジニア』
スピーカーから響くのは、相変わらず抑揚のない平坦な機械音声だ。しかし、ユウキの内心は、まるで再起動したてのCPUがオーバーヒートしそうなほどの熱気に包まれていた。
(またカレンをサポートできる。半年前のあの決戦で僕が大破した時、上層部から別のバディロボットを支給されそうになったカレンが、それを頑なに拒否してくれたんだ。僕の頭脳バックアップはクラウドにあるから、署長が天童さんに頼んで、密かに開発を進めていた新型フレームに僕のシステムをダウンロードして、すぐに復旧させてくれたんだ。……そして今回は、中身の大事な進化だ!)
警視庁の特殊犯罪捜査係では、捜査官1人につき1台のバディロボット配備が義務付けられている。前回の決戦でシオンが大破した際、当然カレンにも別の機体が代替支給されようとしたが、彼女はそれを「余計な機能が多くて使いにくい」と頑なに拒絶した。シオンの頭脳データはアーク・システムズのクラウドサーバーにバックアップされている。バディ不在のまま捜査を強行する彼女を放置するわけにいかない署長は天童に頼み、アーク・システムズで密かに準備を進めていた次期新型フレームにシオンのシステムをダウンロードし、完全に同期・復元させた。そうしてシオンは、カレンの相棒として迅速に戦線へ復帰したのだった。 しかし、ハードウェアはすぐに復旧したものの、これまでのシステムは、カレンの命令に従うことしかできない「受動型」。 もっと早く、彼女の無茶を止める言葉を投げかけられたなら――。 そのユウキの強い意志に応えるように、天童が開発した最新のAIプログラムが、今、適用された。
「よし。これでお前のシステムは『提案』が可能になった。ただ指示を待つだけじゃなく、能動的にカレンちゃんの体調を気遣って、最適な行動を提案するための進化さ。まあ、お前のシステムは『提案』はできても、カレンちゃんの『指示』がなければ人命の危機以外では勝手に動けない不自由さはそのままだから、相変わらず不自由だけどね」
天童が苦笑したその時、ドックの重厚な金属扉がスライドして開いた。 カツ、カツ、と固いヒールの音が静かな室内に響く。 現れたのは、黒い特捜制服に身を包み、長い髪を凛とポニーテールに結んだ美女――警視庁特殊犯罪捜査係、桐生カレン刑事だった。
Target : KAREN KIRYU
Distance : 3.5m / Vital : Fatigue (High) / Stress Level : High
Hostility : 80%
視界の隅に投影された網膜UIが、瞬時にカレンのステータスを弾き出す。 前回の決戦を経て、彼女の『Hostility(敵対心)』は初期の100%から80%へと軟化していた。しかし、そのバイタルデータは明らかに異常だった。呼吸は浅く、目の下にはうっすらと隈が浮き出ている。
シオンが大破から復旧して以降も、カレンは「盾」があることに甘えるのを拒むように、たった一人で無茶な単独捜査を不眠不休で続けていたのだ。
カレンは整備台の前に立つシオンを冷ややかな一瞥で捉えると、吐き捨てるように言った。
「行くわよ、鉄屑。パトロールの準備をしなさい。さっさとついてくることね」
『了解シマシタ、桐生刑事。……タダシ、出発前ニ一点、提案ガアリマス』
「……は?」
カレンの足がピタリと止まる。彼女は怪訝そうに眉をひそめ、振り返ってシオンの青いセンサーアイを睨みつけた。
『桐生刑事ノバイタルヲ検知。心拍数102。自律神経スキャンニヨリ、極度ノ睡眠不足ヲ感知シテイマス。パトロール出発前ニ、署内カフェテリアニテ15分間ノ休息及ビ温カイ緑茶ノ摂取ヲ提案シマス』
「……何言ってるの、あんた」
カレンの整った顔立ちが、瞬時に驚愕と不快感に歪んだ。
「ただの機械の分際で、私に指図(提案)しようなんて百年早いわ。あんたは私の命令に従って、盾になっていればいいの。余計な提案なんていらない、行くわよ!」
「おいおい、カレンちゃん。そう邪険にしないでやってくれよ。最新のバディ・プログラムは、能動的に君の体調を気遣って提案してくれるのさ」
「余計なお世話よ、天童さん。機械に体調管理される筋合いはないわ」
カレンはふいと背を向けると、足早にドックを去っていった。 その後ろ姿を追いかけながら、ユウキは内心で激しく頭を抱えていた。
(ひ、ひぃぃ……! さっそく地雷を踏んじゃったよぉ! カレン、目がすっごく怖かった……!)
Hostility : 80% → 82% [Warning: Temporary increase due to emotional stress]
(やっぱりHostilityが上がっちゃった。でも、本当に心配なんだ。カレン、あの日からずっと、ろくに眠ってない。それもこれも――あの事件のせいだ)
--------------------------------------------------------------------------------
警視庁本部の特別作戦室。 部屋の中央にあるホログラフィックテーブルには、カレンが半年前まで暮らしていた旧マンションの玄関ドアの3Dデータが投影されていた。
不自然にひしゃげ、歪んだ金属のドアフレーム。それは、かつて自律型ロボット「ファントム」が力任せにドアを蹴り破って侵入し、アタッシュケースごと「桐生博士のドライブ」を強奪していった時の生々しい痕跡だった。
「……私の失態です」
作戦室に足を踏み入れたカレンは、デスクを強く握り締め、悔しげに唇を噛み締めていた。
「あのとき……私が自宅でファントムの強襲を許し、お父さんのドライブを奪われてしまったから……!」
その声は怒りと、それ以上の激しい自責の念で激しく震えていた。 亡き父の研究データ。 コピー可能な電子データである以上、すでに敵のネットワークに渡ってしまったものを今さら「回収」しても意味はない。データは無限に複製されてしまうのだから。
だからこそ、カレンの目的は一つ。 父の遺産を盗み出し、それを悪用しようとしている、姿なき「犯人組織」を絶対に引きずり出し、この手で検挙すること。 いや――気持ちの上では、この手で抹消してやりたいほどの執念を抱えていた。
「カレン、自分を責めるな」
腕を組んだ署長が、苦渋に満ちた低い声で言った。
「あの強襲を実行したのがあのファントムである以上、裏にいるのは、奴を操っていた『正体不明の犯罪グループ』だ。彼らは奪った博士のデータを悪用し、我々の追跡を遮断するため、極秘裏に『新たな自律型兵器』をすでに完成させ、稼働し始めている可能性がある。だが、彼らに近づくための手がかりはゼロではない。まずは半年前の強奪事件で、カレンの旧マンションのセキュリティロック解除コードや、ドライブの具体的な保管場所の情報を裏で組織に売り渡したハッカーブローカーの男――『榊』を突き止めるのが先決だ」
「絶対に榊を捕まえ、背後の組織を検挙します!」
カレンは署長の言葉を遮るように言い放った。その肩は固く強張っている。 これ以上、父の遺したものが誰かの命を奪う兵器として使われるのは耐えられなかった。
--------------------------------------------------------------------------------
その深夜、警視庁の近くにある、無機質な警察の独身寮。
旧マンションの襲撃を受け、警察関係者のプライベートな住所が特定・襲撃されたセキュリティ上の重大な危機から、カレンは安全確保と警察の厳重なガード下にある、この手狭な寮の一室へ強制的に引っ越させられていた。
シングルベッドと、スチールデスク。必要最低限の生活用品だけが置かれた狭い部屋は、外を流れる冷たい雨の音と、キーボードを叩く乾いた音だけが支配していた。
シオンの190センチ、約100キロの体躯は、ベッドの脇のわずかな隙間に直立している。 かつてのマンションに比べて物理的な距離があまりにも近すぎるせいで、カレンの吐く微かな熱い息や、お風呂上がりのシャンプーの香りまでが、シオンの高性能スキャナーを通じて嫌でも伝わってきてしまう。
Target : KAREN KIRYU
Distance : 1.2m / Vital : Sleeping (Fatigue: Critical) / Stress Level : Extreme
Internal CPU Temp : 58℃
(ひ、ひぃぃ……! 部屋が狭くてカレンとの物理距離が近すぎるよぉ! それに、カレン、もう三日間まともに寝てない! この狭い部屋で彼女が倒れちゃったら、僕、パニックでシステムショートしちゃうよぉ……!)
ユウキの内心はパニックの極みに達していた。 今すぐ彼女のノートPCを閉じて、無理矢理にでもベッドへ押し込みたい。だが、シオンの行動制限ルールがそれを阻む。 ロボットであるシオンは、カレンが「生命の危機に晒される」か、あるいは「カレン自身からの明確な命令」がない限り、カレンの肉体に強制的に干渉することはできないのだ。
だから、今のユウキにできるのは、新機能である「提案」を、彼の「想い」を込めて伝えることだけだった。
『カレン刑事。貴方ノバイタルデータハ極度ノ疲労状態ヲ示シテイル。作業ヲ中断シ、ベッドデノ速ヤカナ睡眠ヲ提案スル。……コレ以上ノ捜査ハ、判断力ヲ低下サセ、犯人特定ニ繋ガル手ガカリノ見落トシ率ヲ12.8%上昇サセル』
「黙ってて、鉄屑」
カレンはディスプレイから目を離すことなく、冷たく言い放った。
「言ったはずよ。余計な提案はするな、と。私は奴らを見つけ出すまで、一歩も引く気はないわ」
『……シカシ、桐生刑事。人間ハ睡眠ヲトラナケレバ肉体的、精神的ナ破綻ヲキタシマス。貴方ガ壊レテシマッタラ、誰ガ奴ラヲ捕マエルノデスカ。ドウカ……休ンデクダサイ。私ノ後ろデ、少シデイイカラ下ガッテ、休ンデ……』
カレンのキーボードを叩く指先が、ピタリと止まった。
ゆっくりとカレンが顔を上げ、シオンのセンサーアイをまっすぐ見据える。 狭い部屋の中、至近距離で見つめ合う二人の視線が交錯する。彼女の瞳には、怒りと、それ以上の激しい動揺が混ざり合っていた。
「……ねえ」
カレンの声が、微かに震える。
「あんた……なんでそんな、生身の人間みたいな言い方をするの? なんで、あいつみたいな顔をして、私を見るのよ」
電子回路が跳ね上がる感覚がした。 もちろん、ロボットの身体に心臓などない。だが、ユウキの魂は激しく動揺し、視界のUIに「System Alert : Internal Processor Overload」という赤い警告が明滅した。
(気づかれそう……! カレンは僕を、ユウキだと疑ってる。……言いたい。本当は「カレン、僕だよ、ユウキだよ。君が心配なんだ」って、今すぐ抱きしめて伝えたい……!)
だが、言えなかった。 彼が自分の正体を決して明かせないのには、重い**「一つの理由」**があるのだ。
もし自分が「人間の魂が定着した超特異体」であると周囲にバレてしまえば、警察上層部や開発企業に即座に「実験体」として強制回収され、分解調査(最悪の場合、初期化)されてしまうこと。そうなれば、二度とカレンの隣に立って、彼女を守る「盾」でいることができなくなる。
だから、ユウキはどれほど想いが溢れようとも、決して正体を明かすわけにはいかなかった。
何より、シオンはシステム上「嘘」を吐くことができない。 「いいえ、私はユウキではありません」と言葉で否定しようとすれば、嘘を拒絶するシステムエラーによって強制シャットダウンしてしまう。
シオンの青いセンサーアイが、悲しげに光を弱める。 首の駆動部をわずかに傾け、シオンは完全に沈黙した。
何も語らず、否定も肯定もせず、ただ静かにカレンの視線を受け止めるだけの沈黙。
「……答えないのね」
カレンは自嘲気味にフッと息を漏らし、ノートPCへ視線を戻した。
「そうよね。ただのAIの演算結果だものね。……あいつが、こんな冷たい鉄屑の中にいるはずがないわ」
カレンの指先が再びキーボードを叩き始める。 だが、その速度は先ほどよりも明らかに乱れており、時折、エンターキーを叩く音が狭い部屋に激しく響いた。
Target : KAREN KIRYU
Hostility : 82% → 85% [Warning: Emotional volatility high]
(ごめんね、カレン。嘘もつけないから、黙り込むことしかできなくて……。でも、君が僕を鉄屑と呼んで怒るなら、それでもいい。僕は最後まで、君のバディとして、君を守り抜くから)
シオンは部屋の隅に直立したまま、不器用にキーボードを叩き続ける彼女の背中を、ただ静かに、その光スキャナーで見守り続けた。
--------------------------------------------------------------------------------
その深夜、警視庁の独身寮から遠く離れた、東京の雑踏。 降り始めた冷たい雨が、アスファルトの街頭を鈍く濡らしていた。
「おい、話が違うだろ! 早く俺を日本から逃がしてくれ!」
薄暗い路地裏で、怯えた声でスマートフォンに怒鳴っている男がいた。 男の名は榊。半年前、カレンの旧マンションの情報を組織に売り渡し、ドライブを奪う手助けをしたハッカーブローカーだった。 警察の捜査の手が急激に自分に迫っていることを知り、背後の組織に海外への逃亡支援を必死に求めていたのだ。
「俺が引き渡したあのデータで、また何かヤバいことを企んでるんだろ!? 用が済んだからって、俺を切り捨てる気か!」
だが、通話の向こうからは冷たい電子ノイズが返ってくるのみだった。 イライラと恐怖から榊が通話を切った、その時。
カツ……と、冷たいアスファルトを踏む微かな足音が響いた。
「おい、迎えか!?」
榊が顔を上げて、雨の暗闇を凝視する。 そこに立っていたのは、トレンチコートを着た一人の男だった。 その体格はごくありふれた一般的な成人男性のもの。帽子を深く被り、襟を立てたその姿は、あまりにも日常の雑踏に自然に溶け込んでいた。
男は榊の問いかけに対し、一切の声を発しない。 不気味なほどの「完全な無音」のまま、ゆっくりと榊に近づいていく。
「おい……喋れよ……!」
榊が後ずさりした瞬間。 スッと男が顔を上げた。帽子の隙間から冷徹な赤いターゲットスキャン光が明滅する。
「ひっ、お前、まさかあの時の組織の……!」
男の右手の指先がスライドした。 衣服の袖口から露出した金属の指先。その銃身の奥で、高出力の超伝導エネルギーが、青く不気味な熱量を帯びて収束していく。
ドッ――。
静寂な路地裏に、一瞬だけ青い閃光が走った。 無音の放電。榊の胸の中央に、寸分の狂いもなく極小の風穴が穿たれた。 高熱によって一瞬で心臓を焼かれた榊は、悲鳴を上げることすら許されず、その場に崩れ落ちて動かなくなった。
トレンチコートの男――極秘裏にロールアウトされた新型暗殺ロボットの網膜UIに、即座にログが流れる。
Target: SAKAKI (Larceny Broker) - ELIMINATED (排除完了)
Next Priority: KAREN KIRYU (Tokyo Metropolitan Police Department)
Status: Eliminating Obstacle (捜査阻害ターゲットの排除)
組織にとって、執拗に自分たちを追い続けるカレンは最大の障害だった。 用済みの榊を処分した今、次のターゲットは彼女に決定された。
一切の声を発しない無音の暗殺者が、冷たい雨が降る闇の中へ、再び溶けるように姿を消した。
新たな悪夢が、すぐそこまで迫っていた。




