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第十九章 ―― 光を抱く

夏が近づき、山の緑は一層深くなっていた。


私のお腹も、ずいぶんと大きくなった。動くたびに、中で小さな命が反応する。時には蹴ったり、時にはくるりと回ったり。そのたびに、私は思わず手を当てて微笑んでしまう。


彼は、相変わらず無口だった。けれど、その行動は、ますます「父親」らしくなっていた。私が重いものを持とうとすれば、黙って奪い取る。歩くときは、必ず私の手を取る。夜は、私が寒くないようにと、布団を何重にも重ねる。


ある日、彼は裏手の物置から、古い木の板を取り出してきた。それは、長年使われていなかったのか、埃をかぶり、表面はざらついている。


「……護、何をするのですか。」


「……何か、作ろうと思って。」


彼は、言葉少なに言った。けれど、その手つきは、真剣そのものだった。


私は、彼の作業を近くで見守ることにした。彼は、まず板を磨き始めた。粗い紙やすりで表面を削り、少しずつ滑らかにしていく。その指先は、鬼のそれでありながら、驚くほど繊細だった。


「……護、何を作っているのですか。」


「……まだ、秘密だ。」


彼は、うつむいたまま言った。その耳の先が、ほんの少し赤い。


私は、それ以上尋ねるのをやめた。彼が秘密にしているのなら、それを尊重しようと思った。


数日が経った。彼は、毎日少しずつ、その板を削り続けた。時には、夜遅くまで作業していることもあった。私は、その背中を見つめながら、彼が何を作っているのか、想像を膨らませた。


ある日、彼が私の前にその作品を差し出した。それは、小さな揺り籠だった。


「……これを。」


彼は、うつむいたまま、私の前にそれを置いた。揺り籠は、丁寧に磨かれ、表面は滑らかに仕上げられている。角の部分には、小さな花の模様が彫られていた。――白梅草の花だ。


私は、その揺り籠を両手で受け取った。軽く揺らすと、優しく揺れる。


「……護、これ、あなたが作ったのですか。」


「……ああ。」


「この花の模様は、白梅草ですね。」


「……ああ。お前と、この子に、いつも花が咲いているようにと思って。」


私は、涙がこぼれ落ちるのを抑えきれなかった。彼は、この揺り籠を作るために、毎日黙々と板を削っていたのだ。この子のために。そして、私のために。


「……ありがとう、護。この子も、きっと喜びます。」


「……まだ、生まれてもいないのに、喜ぶわけがないだろう。」


「いいえ、喜びます。この揺り籠には、あなたの思いが詰まっています。その思いが、この子に届いています。」


彼は、うつむいたまま、何も言わなかった。けれど、その口元が、わずかに緩んでいる。


その夜、私たちは揺り籠を囲炉裏のそばに置いた。まだ誰も入っていない、空っぽの揺り籠。けれど、そこには確かに、未来の気配が満ちている。


「……護。」


「……ん。」


「あなたは、いい父親になりますよ。」


「……まだ、父親になってもいない。」


「なります。もう、なっています。あなたは、この子のために、揺り籠を作った。それだけで、あなたは立派な父親です。」


彼は、何も言わなかった。けれど、その手が、そっと揺り籠を撫でた。


「……綾乃。」


「……はい。」


「……この子が生まれたら、俺は、この子に何を教えられるだろう。」


その質問は、彼の真剣な思いの表れだった。彼は、鬼として生きてきた自分が、子供に何を伝えられるのか、本気で考えている。


私は、彼の手を握った。


「……あなたは、この子に、優しさを教えられます。あなたが私に教えてくれたように、優しくあることの大切さを。そして、どんなに辛くても、諦めないことの大切さを。」


「……俺は、そんなに立派な人間じゃない。」


「いいえ、あなたは立派です。あなたは、自分を罰してきたけれど、それでも人を傷つけなかった。自分が傷つくことで、誰かを護ってきた。それを、この子に教えてください。」


彼は、しばらく沈黙した。そして、静かに言った。


「……ああ。教える。俺の全てを。」


私は、その言葉に胸が熱くなった。


その夜、私は揺り籠のそばに布団を敷き、その隣に彼が寝た。まだ誰もいない揺り籠。けれど、私たちはその傍らで、これから来る命を待っている。


「……護。」


「……ん。」


「この子が生まれたら、私はこの子に、あなたのことを話します。あなたがどんな人で、どんなふうに私を愛してくれたかを。」


「……馬鹿な。そんなこと、恥ずかしい。」


「恥ずかしがらないでください。この子は、あなたのことを知る権利があります。」


彼は、何も言わなかった。けれど、その手が、私の手を握った。


――夏が来る。新しい命を迎えるために、すべての準備が整った。彼が作った揺り籠。彼が彫った白梅草の花。そして、私たちの間に芽生えた、確かな絆。


この子は、鬼と人の間に生まれる。けれど、この子は、何よりも「愛」の中で育つ。それで、十分だ。


私は、彼の手を握りながら、目を閉じた。


もうすぐ、私たちの光が、この世界にやってくる。

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