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第十二章 ―― 秋の気配

朝、窓を開けると、空気が変わっていた。


夏の湿った風はどこへやら、ひんやりとした乾いた風が、山の匂いを運んでくる。木々の葉が、少しずつ色づき始めている。赤というよりは、黄褐色に近い、落ち着いた色だった。


「……秋ですね。」


私は、縁側に立ち、小さく息を吐いた。白くはならないけれど、確かに、空気が冷たくなっている。


背後から、彼の足音が聞こえた。振り返ると、彼は何かを手に持っている。それは、厚手の布だった。


「……これを。」


彼は、私の肩にその布をかけた。麻の、少し粗い質感の布だった。私は、驚いてそれを見上げる。


「……護、これは。」


「……夜、冷えるだろうと思って。」


彼は、うつむいたまま言った。その耳の先が、ほんの少しだけ赤い。


私は、肩にかけられた布を、両手で包み込んだ。彼の体温はない。けれど、彼が私のために用意してくれたという事実が、何よりも温かかった。


「……ありがとう、護。」


「……うむ。」


彼は、それだけ言って、囲炉裏の方へ戻っていった。


その日から、私はその布を肩に巻くようになった。朝の水汲みのときも、縁側で休むときも。布は、彼が私を思ってくれた証のように、いつもそこにあった。


数日後、私は家の周りで彼が何かをしているのに気づいた。彼は、裏手の壁に、何やら竹を編んで取り付けている。私は、近づいてその作業を覗き込んだ。


「……護、何をしているのですか。」


「……風よけだ。冬になると、この辺りは冷たい風が吹く。」


彼は、手を止めずに言った。その指先は、竹を編むのに慣れた様子で、まるで長年そうしてきたかのように滑らかだった。


私は、その手つきに見とれながら、尋ねた。


「……あなたは、冬を何度も越えてきたのですね。」


「……ああ。長い間、この山で。」


「その間、ずっと一人でしたか。」


彼は、一瞬手を止めた。そして、小さく頷いた。


「……ああ。一人だった。」


その言葉は、ひどく静かだった。けれど、その静かさに、どれほどの孤独が詰まっているのか、私はもう知っていた。


私は、彼の隣にしゃがみ込み、竹の端を持った。


「……手伝います。」


「……いい。」


「いいえ、手伝います。あなたが私のために風よけを作ってくれるなら、私はあなたの手伝いをします。それが、夫婦というものです。」


彼は、少し困ったように眉をひそめたが、やがて小さく頷いた。


「……好きにしろ。」


その日、私たちは一緒に竹を編んだ。彼が教えるように、私が指を動かす。最初はぎこちなかったけれど、何度か繰り返すうちに、少しずつ慣れていった。


「……上手くなったな。」


彼が、ぽつりと言った。私は、顔を上げて彼を見た。彼は、相変わらずうつむいているけれど、口元がわずかに緩んでいる。


「……護に教えてもらったからです。」


「……俺は、何も教えていない。」


「いいえ、教えています。あなたは、私に、たくさんのことを教えています。山のこと、竹の編み方、そして――」


私は、手を止めて、彼の顔を見た。


「――優しさのことを。」


彼は、一瞬息を呑んだ。そして、何も言わずに、また竹を編み始めた。けれど、その指先が、少しだけ震えているように見えたのは、気のせいだろうか。


秋が深まるにつれて、彼は家のあちこちを整え始めた。戸の隙間を埋め、窓に葦簀よしずを付け、囲炉裏の煙道を掃除する。その一つ一つが、私が寒くないように、私が快適に過ごせるように、という彼の思いやりだった。


私は、その背中を見るたびに、胸が熱くなった。


ある夜のことだった。冷え込みが一段と強くなった日、私は布団の中で小さく震えていた。すると、隣の布団から彼が起き上がる気配がした。


「……護?」


「……少し、待っていろ。」


彼は、囲炉裏に薪をくべ、火を大きくした。そして、布団の端に自分の着物を重ねるようにして敷いた。


「……これで、少しは温かくなる。」


「……護、あなたは寒くないのですか。」


「……鬼は、寒さに強い。」


彼は、そう言ったけれど、私はその言葉を信じなかった。鬼でも、寒さを感じるはずだ。彼は、ただ私のために、自分の着物を差し出しただけだ。


私は、彼の手を引いた。


「……一緒に、寝ましょう。」


「……何を言っている。」


「一緒に布団に入れば、お互いに温かくなれます。」


彼は、しばらく固まっていた。そして、ほとんど聞こえない声で言った。


「……いいのか。」


「いいえ。――いいのです。あなたは、私の夫ですから。」


彼は、しばらく迷ったように立っていた。けれど、やがてゆっくりと、私の布団の端に腰を下ろした。そして、慎重に、私の隣に横たわった。


彼の体は、思っていたより温かかった。鬼は冷たいと思っていたけれど、それは間違いだった。彼の体温は、私の体温と変わらない。いや、それ以上に、温かく感じられた。


「……護。」


「……ん。」


「あなたの体、温かいですね。」


「……鬼なのに、か。」


「鬼でも、温かいものは温かいです。あなたの心が、温かいからです。」


彼は、何も言わなかった。けれど、その手が、そっと私の手を握った。藍色の紐が、彼の手首に触れる。


その夜、私たちは初めて、同じ布団で眠った。彼の寝息が、すぐそばで聞こえる。その音が、私にとって、何よりも安心できる音だった。


秋の夜は長い。けれど、彼の温もりがあれば、その長さも怖くない。


――季節は巡る。春、夏、そして秋。私たちは、この山で、初めての秋を迎えている。そして、これから冬が来る。けれど、大丈夫だ。彼がいる。彼が私を想ってくれている。それだけで、どんな寒さも乗り越えられる。


私は、彼の手を握りながら、目を閉じた。


明日も、また彼の笑顔を見よう。それが、私の一番の楽しみだ。

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