第二話・古文書
――三月三十日。
家で見つけた古文書を鞄に詰め、僕は千鶴と白石島へと向かっていた。
「はぁはぁはぁ……フェリー行ってしもうたやん……」
「千鶴ねぇ……はぁはぁはぁ……何で走ったんよ……はぁはぁはぁ」
「あほか! 春臣見てみ! フェリー行ってしもうたやん! 一時間は待たなあかんので!」
「何でや……はぁはぁはぁ、ふぅ。次の白石島行きは十三時やけん、まだ出てないって」
「なぬ?」
「千鶴ねぇ、時刻表見とったんちゃうの」
「……さて、喉が渇いたな。若者よ、ジュースでも飲むか」
「二つしか、歳変わらんやろ……」
「春臣くぅん、顔がこわぁい!」
「うるせぇよ!」
「あっははは!」
伏越のフェリー乗り場に着き、切符売り場を探して待合室に入る。
「ほれ、春臣。ジュース」
「あんがと。千鶴ねぇ、フェリーの切符は船内で販売やって」
「そうなん? なら、ちょっと休憩!」
待合室にある木製の長椅子に腰掛けると、朝からのバタバタでようやく一息つけたという感じがした。
そこへ一組の男女が入ってくる。歳は少し下くらいだろうか。
「紅葉。じゃけぇゆうたじゃろ。この古文書の写しは――」
「しっ! 桃太! 声が大きい! ちいとは静かにしんさいや!」
「お、おう……すまなんだ……」
「まったく……。桃太、白石島へ行く切符は船内で買うんと」
「ほうか、分かった」
桃太と呼ばれる男の子と目が合い、軽く会釈をする。
「君らも白石島に行くん?」
「あっ、はい」
「うちらもや」
「そうなんですね」
千鶴が紅葉と呼ばれた女の子に話しかける。そう、他愛もない挨拶程度の――と思ったのだが! だがしかし! だがしかしだ!
「あっ、うちは千鶴。こっちが春臣」
「どうも」
「はじめまして、紅葉言います。こっちが桃太です」
「どうも」
「ほんでな、うちら古文書を偶然見つけて、白石島に何かあるんやないかと思ってな。ほんで今日は来たねん」
「ちょ! 千鶴ねぇ! 初対面の人に急に何言うん!」
「ええやんか春臣、別に減るもんやないし」
「減るわ!」
「そうなん? 減るんは、困るな。紅葉ちゃん達、今のは無かった事にしてくれへん?」
「無理です」
「おい! 紅葉!そこは『はい』でええじゃろ! すんまへん」
「面白いお姉ちゃんじゃねぇ……私、何かぶち燃えてきたわ……」
「ほぅ、うちに勝負を挑もうと言うんかいな。えぇ、度胸や。泣いた夜の数なら負けへんで!」
「何の勝負や!!」
僕と桃太のツッコミが待合室に響くと同時に、フェリーの汽笛が聞こえてくる。
『ボォォォォ――』
「ふ……お嬢ちゃん、命拾いした様やな。勝負はお預けや」
「そっちこそ! 次に会うた時には、タダでは帰さんけぇね! 桃太! 行くよ!」
「あ、あぁ……何かすんません」
「いえ、こっちこそ。ごめんな」
なぜに口喧嘩に発展したのかは分からない。ただ言えるのは、紅葉と桃太の二人ももしかしたら古文書の内容を知っているのかもしれない……。
フェリーに乗り込むと、後は白石島まで三十分程だ。そしてフェリーの中で千鶴がようやく古文書の内容を教えてくれる。
「春臣、これが古文書を訳したノートや。見るか?」
「もちろん。その為に今日はここまで来たんやけん」
先程の二人は船外のベンチで海を眺めている。ここでドンパチされるのも困るので気にしておこう。
僕は周りから見えない様にノートを開く。
「な? 春臣、すごいやろ?」
「千鶴ねぇ……まだ一ページも読んでないんだけど? 昔っからそういう所あるよね」
「可愛いって事か?」
「ちげぇし! せっかちって事!」
船内では船員が切符を販売しながら、席を順繰り回っていた。千鶴が往復の切符を二枚買い、嬉しそうにスマホで写真を撮っている。
僕は翻訳されたノートに目を通す。
【狐メ二嫁入リ】
――瀬戸内海のある神社には古くからの言い伝えがある。
瀬戸の伏見狐。それは何でも願いを聞いてくれる神様だそうだ。しかし簡単にはお会い出来ない。決められた順路を辿る事で、その神様は現れるという。
それは何とも奇妙な狐の神様で、いつも伏し目がちなその狐の名は『伏見狐』と言うそうだ。
「まんまじゃねぇか……あっ」
ノートを読んでいると思わず声に出てしまい、千鶴が隣でニヤリと笑う。同じ所で同じツッコミをしたのだろう。気を取り直し、僕は続きを読む。
――『そのまんまの意味』じゃないか。と思われがちだが、伏見狐を見た者がそう言うので仕方がない。
「仕方ないんかい……あっ」
次の段落でさらにツッコミを入れると、千鶴が隣でさらにニヤける。同じ所で――(省略)。
――私としてはもう一捻りして欲しいところだが、これを見たという与一の話は毎回同じなのでこれ以上は記載しないでおこう。
そもそも与一がこの話をする時は大抵酒が入っており、その話自体が本当かどうかも疑わしいところだ。しかも順路については与一も覚えていない、そして他の書物にも順路については見当たらない。ただ言えるのは正しい順路を巡る先には伏見狐が現れ、何でも願いを聞いてくれるという。これは嘘か真か。
異国の行商人に聞いた話では、世界には七つの石を集めるとどんな願いでも叶える龍が現れるという。やれやれ、世界はまだまだ広い。おっと、少し話が逸れてしまった様だ。
瀬戸内海に浮かぶ島々の中には、始まりの鐘を鳴らす場所があるという。これは五十年に一度、伏見狐が現れる周期に鳴らされる。その島をようやく探し出した。それは岡山県小田郡白石島だと思われる。
(中略)
――まさか与一が結婚すると言い出すとは夢にも思わなかった。友人としては素直に喜ぶべきだろう。しかし話を聞いていると、違和感を覚える。毎度の事ながら、酒を飲んだ上でのホラ話なのか?
相手の親に会いに行ったそうだが、簡単には許してもらえず、五つの試練を与えられたとか何とか……結婚をするのに試練があるとは驚いた。これも時代の流れなのだろうか。そして願望成就、願望成就とまた言い出した。この台詞を言い出したら既に酔っている。今日はこの辺までにしておこう。
――白石島へ行けば、何か分かるかもしれない。私もまた狐との出会いをきっかけにこれを探してみようと思う。願望成就……与一は確かにそう言っていた。
明治十一年四月二日、黒木文雄
一通り読み終え、隣の席を見ると千鶴の姿がない。
「千鶴ねぇ? あれ? トイレにでも行ったんか?」
辺りを見渡すとデッキで誰かと話をする千鶴の姿が見える。まさかさっきの紅葉と言い合いをしてるのではないかと心配になり、デッキへと向かう。
デッキに出ると、海風が体にまとわりつき、潮の匂いが鼻を抜ける。少し肌寒く、時折、水しぶきが肌にかかる。風も出てきたのだろうか?白波が立ち、海も穏やかな感じではなさそうだ。
「千鶴ねぇ! 風邪ひくといけないから船内に入っとき!」
「ん? 春臣。読み終えたんか。どうやった? かなり独特な翻訳やったけど、面白かったやろ?」
「面白いかどうかは別として、何となく意味は分かったよ。で、そちらの方は?」
「あぁ、聞いて驚け。この人は――」
『乗船中のお客様にご案内致します。風が出てきましたので船が揺れる恐れがあります。大変危険ですので船内でご着席の上、お待ち下さい。繰り返します――』
「ほら、千鶴ねぇ! 一旦中へ入ろう!」
「せやな」
船内に戻り、元の席へと座る。
「はじめまして。香川凛と申します。千鶴さんと同じ専門学校ですのよ」
「香川凛さん……て! 翻訳をしてくれたっていう! はじめまして、千家春臣です。よろしくお願いします!」
「あらあらまぁまぁ、ご丁寧にどうも。千鶴さんにはいつも良くして頂いてまして」
「そないな事はないんよ! 凛がおっちょこちょいで、いつも教科書忘れるから見せてあげて――」
「千鶴さん……それ以上言われますと、フェリーから突き落としますわよ。おほほ」
「あっ……ごめんなさい」
一瞬、凛から殺気を感じた。千鶴でも怖いものがあるらしい。
「有馬さんも誘ったのですけど、『今回はパスや! スルーパスやで!』とか言われまして……面白くないので、彼の持つ全部の参考書の裏に私の名前を書いておきましたわ。うふふ」
最悪だ。この人、最悪だ。
「あ、あいつは鬱陶しいからな……ははは……」
千鶴の顔が引きつっている。
「そうそう。それで今回翻訳をしていて面白そうな文献でしたので、こうして白石島をお訪ねしてみようかと思いましてね。爺にお願いして、連れて来てもらったの。偶然、千鶴さんと同じフェリーで良かったわ」
偶然なのか? もしや黒の組織でもバックにいるのだろうか。そんな雰囲気を醸し出している。
千鶴と背丈は変わらず、百七十近くはあるだろうか? 長い黒髪を後ろで束ね、白い帽子を被り、いかにもお嬢様的な女性だ。
「ほんなら、凛も手伝ってくれるん?」
「いいえ、私はこの物語の結末が見たいだけですわ。古文書の内容にはこれっぽっちも興味がありません。ご安心ください」
「そうなんや、強敵が現れたと思ったけど大丈夫なんですね。良かった」
「あら、春臣さん。私なんか全然大した事ありませんわよ。先日も、人気アイドルグループSTUT48を自宅に招いたのですが、人数が多すぎて二人くらい門の外で踊っていただきましたの。不憫でしたわ。ですので、段取りをした元ピザ屋の西尾さんにはすぐに辞めていただきましたのよ。どう思われます?」
「どうって言われても、話の次元が違い過ぎて……」
「はいはい! 凛の自慢話はそこまで! 春臣、凛は毎回これなんやで! 翻訳を頼んだ意味分かったやろ?」
「全然分からんわ……」
「せやろ?」
「千鶴ねぇ、人の話聞いてる?」
「そうねぇ。次は岡山から稲葉様をお呼びして、タッ――」
こうしてフェリーは、雲行きの怪しい中、白石島へと到着した。




