第十二話・――ひきかえせ
――伊豫稲荷神社、入り口。
御朱印帳の試練には『――ひきかえせ』の文字が並ぶ。
「春くん、これって帰れって事?」
「分からない……」
『ひきかえせ』普通に解釈すれば、『帰れ』という意味にはなるが、どうも腑に落ちない。ここで帰ると、御朱印集めも終わってしまう。
「帰れ……どこに……? ひきかえせ……うぅん……」
僕が御朱印帳を見て唸っていると、道子が何かに気付いた。
「ねぇねぇ! アリス様! 鳥居の上に何か引っ掛かってる!」
「うむ。鳥がいたずらでもしたのかの」
「何でしょうね、あれ。白い……小さいスパッツみたいな? 洗濯物かなぁ」
「小娘よ。今はスパッツと言うのかえ?」
「えぇ。スパッツとか、レギンスとか言うわ。アリス様は何て言うの?」
「股引じゃ」
「股引っ!? ウケる! あははっ! 股引やって! あはは!」
「やだぁ! ねぇさま! 股引はちょっと! あはは!」
「おい、プリン。おぬしはこっち側の立場であろう」
「うっ……ねぇさま。ごめんなさい、つい……」
「ぷぷぷ……」
「もう! うるさいっ!! ちょっと静かにしてくれ!」
僕が怒鳴ると、三人は石段に並んで座り、怒られた子供の様に下を向き拗ねてしまった。
「アリス様が冗談言うから、春くんに怒られちゃったじゃない」
「なぬ! わしのせいか! それはすまぬ事をした」
「そうよ、ねぇさまがご冗談を言われるからツボってしまいましたわ」
「なぬ! わしのせいか! それはすまぬ事をした」
特に拗ねている訳ではないようだ。
さて、それよりもこの問題をどうしたものか。結局分からないまま時間だけが過ぎていく。
「――ひきかえせ、ひきかえせ……。あぁ! 分からん!」
「春くんもここに座りな」
道子が石段をトントンと叩く。
「はぁ。座ったところで何も変わら……」
そう言いかけて、上を向くとスパッツが風に吹かれて落ちてくる。
「あっ! スパッツ落ちて来たぞ!」
「えっ! 春くん掴まえて! 掴まえて! もっと右!」
「え! え! えっ!」
「千家のこせがれ! 左じゃ!」
「もっと右ですわ! 落としたら刺しますわよ!」
「ちょ! ちょ! っと! ちょ!」
――バサッ。
「春くん……何してるの」
「やれやれ、これだから千家のこせがれは……」
「くそダサいですわ……」
「ごめんって……」
地面に落ちたスパッツを拾い上げ、叩きながら砂を落とす。
「道子、スパッツって穴が五つだっけ?」
「春くん。取り損ねたからってそんな嘘を言っても駄目よ」
「違うって。ほれ、これ穴が五つあるで」
「……あら、ほんと」
「なんじゃ、その股引は?」
「ねぇさまのではないですわ」
「ペット用のスパッツ……?」
「それは股引じゃ。横文字は好かん」
「なんでやねん。股引っていつの時代……」
『――ひきかえせ』
「そうか!! 股引か!!」
今、頭の中でふいに、電車で聞こえた言葉の全文がはっきりと聞こえた。
「春くん? 股引持って喜んでいたら、変態よ? 被らないでね?」
「道子! 違うんだ、分かったんだよ! 問題の意味が!」
「え!?」
僕はスパッツを持ったまま境内に入っていく。本殿の横の案内看板を確認し、思い当たる場所へと向かう。
「春くん! 本当に大丈夫なの!」
「あぁ、ここまで入って何も起きないのはそういう事なんだよ!」
「どういう事よ!」
「はぁはぁはぁ……たぶん、ここに……」
僕達は本殿の裏にある鳥居を抜け、階段を登った先にある稲荷神社へスパッツを奉納する。
「はぁはぁはぁ……これで良いはず」
「えぇ……何でそこにスパッツ置くかなぁ。意味が分からないよ」
するとスパッツが白いモヤに包まれ、消えていく。と同時に御朱印帳が光り、四つ目の御朱印が押された。
「よしっ!!」
「すごっ! 何でや! もう! 春くん、答え早く教えてや!」
「簡単な事や。これは『引き返せ』ではなく、『股引返せ』だったんだよ!」
「……は? 春くん、頭大丈夫? お母ちゃん、心配やわ」
「誰が誰のお母ちゃんやねん」
「御朱印帳にはそんな事書いて無かったよ?」
「よく見てみ? ――ひきかえせ、の前に少し空欄があるやろ?」
「あぁ、そう言われたら……。あるようなないような……って、問題が消えてしまっちゃった……」
「御朱印を押されて消えてしまったか」
本当は電車の中で聞こえた声を思い出し、『ももひきかえせ』と言っていた言葉を知っていた結果だろう。あの声は、ここの神社の神様だったのだろうか? それとも別の何かだったのだろうか……。
「ほんでな。穴が五つあったんは、狐の足と尾っぽに合わせて五つあったんやと思う」
「狐が股引を履いてるの想像すると、かわいいんですけど」
「かわいいかどうかは分からん。あれ? この置物……」
「どうしたの? 春くん」
社の横に並べて置いてある狐の置物になぜか見覚えがあるが、思い出せない。
「いや、この狐の置物を前にどこかで見た事があってな……。どこだったか……」
「ふぅん。中には首が取れてるのもあるわね」
「そうだな……。駄目だ、思い出せない。まぁ、いいか。本殿にお参りして帰ろう」
「そうやね……。ここは風が気持ちの良い場所やねぇ……」
神社の境内から望む瀬戸内海はキラキラと光って見えた。
参拝を終え、神社入口で待っていたアリス様に御朱印を確認してもらい、郡中駅まで戻る為に参道を下りて行くと、駐車場に明らかにサイズのおかしい黒光りの車が停まっており、道子に近付いて小声で話しかける。
「道子、見るなよ。明らかにあっちの世界の人や」
「う、うん……あっちかそっちかは分からんけど、見てはいけない気はするわ……」
「自然に自然に通り過ぎよう」
そう言いながら駐車場の横を少し早歩きで抜けて行く。
「おいっ! そこの兄ちゃんと嬢ちゃん! 素通りはあきまへんで!」
最悪だ。何もしてないのに、いちゃもんつけてくるタイプの人種だ。走って逃げるか?
道子を横目で見ると小さく頷いている。同じ事を考えている様だ。
「三……二……一……走れっ!」
僕の合図で、道子は全速力で走って行く。下り坂も相まってぐんぐん加速して行く道子。ぐんぐん加速して……加速して……追いつけなくなり……最後は見失った。
「はぁはぁはぁ! 道子! どこや!」
参道入り口の鳥居まで下ると、道子の姿が無い。駅から来た道なら真っ直ぐの道沿いに姿が見えるはずなのだが、姿がない。
鳥居を出ると県道が左右に分かれ、見通しは悪くはないが、そこにも道子の姿が見えない。
どうする? さっきの車は車体が長すぎて、駐車場の出口で何度も切り返している様だが、すぐに追いつかれるだろう。
「春くん! 春くん!」
「ん?」
振り返ると、道子が大鳥居にへばりついていた。
「……何しとるん?」
「隠れてるの! いいから春くんも早く!」
「う、うん」
大鳥居の左柱に道子が、右柱に僕が隠れる。県道を行き交う運転手が不思議そうな顔でこちらを見ているのが分かる。
「春くん! あいつらが車で通過する瞬間、柱の外側を回って反対側に隠れるのよ!」
なるほど。良くコントで見るタイプのやつだ。
「分かった!」
「来たわ! 合図したら反対側へ!」
「おう!」
「三……二……一……今よ!」
黒光りする車が大鳥居を抜けると同時に、鳥居を外側から反対側へと回り込む。運転手からは僕らの姿は見えないだろう! 運転手からは!!
「いたぞ!!」
車は大鳥居から県道に出る前に一時停止し、僕らはまんまと後部座席と対面したのだ。驚くことはない。そんな気はしていた。
あっけなく怪しい黒ずくめの男達に捕まり、そのまま後部座席へと押しやられる。誘拐拉致監禁……そんな言葉が頭をよぎる。すると思ってもいない言葉をかけられ、僕は口がぽかんと開いてしまった。
「春臣さん、道子さん。お迎えに上がりましたわよ」
「凛さんっ!」
「あっ! 駅にいためっちゃ美人の人!」
「あぁ。千鶴ねぇの同級生の――」
「兄ちゃん達、俺もおるで!」
「どちら様でしたっけ?」
「あんれまぁ! の、有馬や! あ・り・ま!」
「相変わらずおもしろくないですね」
「やかましいっ! ほっとけ!」
「有馬さんはほっとくとして、凛さんはどうしたんですか?」
「十八時からお通夜ですから、道子さんにはお着替えの準備があろうかと思いまして」
「えっ! 助かります! 一旦、鶴島に戻って準備してたら間に合わないかも? と考えていました! ありがとうございます!」
「葬儀場に喪服を準備させてます。直接行って着替える方が良いでしょ? 松山駅で道子さんの容姿を見てサイズはだいたい把握しております」
「すごい……。一目見ただけでサイズ分かるんですか……?」
「えぇ。これでも貿易商の娘です。色々な目利きを小さい頃から教えられ……。ちなみにバストが――」
「たんま! たんま! 凛さん言っちゃ駄目!」
「あら? 失礼しましたわ。それと春臣さん」
「はい」
「お通夜が終わってからどうするおつもりですの?」
「それは……」
痛い所を突かれた。正直、お通夜が終わってから考える予定だったのだ。
「まさかここまで来て、諦めるつもりじゃないでしょうね?」
「そんなつもりはないですが、今日中に最上稲荷まで行くには正直時間的に……」
「はぁ……。そんな事だとは思いましたわ。千鶴さんが聞いたら、恨んで出てきますわよ?」
「千鶴ねぇなら、ありえる……」
「そこで俺らの出番ちゅうわけや! 通夜が終わり次第、乗せてっちゃる!」
「本当ですか! 凛さん!?」
「えぇ、本当よ。でも有馬さんが先に言うと何だか腹が立ちますわね」
「凛までそないな事言わんといてや! 俺、この子らに身も心もずたぼろにされとんねん!」
「有馬さん、それは自業自得ですよね……」
「そんな殺生な! 君達はだいたい目上の――」
一人盛り上がる有馬をよそに、僕達を乗せた黒光りの妙に長い車は一路、千鶴の待つ葬儀場へと向かった。




