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第九十八話:伝説の万能解毒草

一行は、森の奥深くへと逃げ込み、四方を見渡せる少し開けた場所へと出た。

高くそびえる樹木の隙間から、天使国の冷ややかな星影が落ちている。


「ここなら、よさそうね。では、できたら、ここに二、三日、いましょうか」


墨花が周囲を警戒しながら、静かに告げた。その言葉が終わるか終わらないかのうちに、ベアトの腕の中で死んだふりをしていたぬいぐるみが、大きく息を吐き出した。


「ぷふぁぁぁ。ぬいぐるみなのに、死ぬかと思たわ。動けへんって、しんどいなぁ」


ケルちゃんの解放感に満ちた声が響くが、周囲は水を打ったように静まり返っている。


「じぶんらーーー! それ、『まてぇぃ! 人、それを怠慢と呼ぶ』いうて、文句言われる奴やでー。これはな……うぐぅっ」


「黙ってて」


ベアトが容赦なくケルちゃんの口を塞ぎ、そのまま墨花へと視線を向けた。


「……墨花ねぇ様。なぜ、二、三日なの? ずっと、ここにいたら、いいのでは?」


「ベアトさんの疑問もわかります。が、同じ場所にとどまり続けるリスク。これって、すごくあるんですの。密偵としての、経験ですわ♪」


墨花は扇子を軽く口元に当て、艶然と微笑んだ。

その瞳は、暗闇の中でも決して油断することなく、森の揺らぎを捉え続けている。


墨花の言葉を背に聞きながら、アイは一言も発さず、自身の肩から重厚なマントを外した。

夜の森の冷気が彼女の細い肩をなでるが、そんなことは微塵も気にしていない様子だ。


湿った土の上に、丁寧に、シワひとつないようにマントを広げる。

それは、彼女にとっての聖域を作る儀式のようだった。


アイは震える手で「はじめ人形」を抱き上げ、優しく、マントの中央へと横たえた。


「……冷たい思いをさせて、申し訳ありません」


小さな声で呟いた彼女の瞳には、深い自責の念が浮かんでいた。

その隣で、琥珀もまた自身のマントを脱ぎ、はじめの足元にそっと掛け直す。


パチン。やさしく、そして、思慮深く。アイは、指を鳴らした。


「う、うぅ……」と、はじめが目を覚ます。


「はじめ様、腹部以外に、痛いところはございませんか?」


アイは、自分たちの運搬で、何か別の痛みがあるのでは?と、はじめの方をみた。


「……アイ。……寝心地……よかった。……ありがとう……」


「……はい……」


アイは、その言葉を聞き、うっすらと涙を浮かべ、天を仰ぐ。

墨花は、その状況を、ほっこりしながら、話題を切り出した。


「……目的地は。……また後でお伝えしますわ。それまでは、各自、休眠を取ってください。見張りは、私がしますから」


「いえ。それは、できません。私も、お手伝いさせてください」

「わたしも!」


りりと琥珀が、納得いかない様子で、声を上げる。


「ありがとう。でも、ここは、密偵のプロに任せて、みんな、寝てね。体力回復、それが、あなたたちの、お仕事ですわ♪」


墨花は、やさしく、だが、厳しく、突き放した。

一行は、それ以上語らず、各自、就寝についていった。


―― ゼロ撃破から、残り27日 ――


精霊国エルシオンの森は、朝霧に包まれていた。

陽光が樹々の隙間から幾筋もの光の帯となって差し込み、幻想的な美しさを醸し出している。

けれど、それを見つめるレイラの瞳に、安らぎの色は一切なかった。


彼女は、世界樹へと続く入り口で、ただ一点を見つめて立ち尽くしている。

その拳は、白くなるほど強く握り締められていた。


「約束の、。……十時だ」


レイラの呟きが、静謐な空気の中に低く響く。

その瞬間、空気中の水分がキラキラと輝きながら一箇所に収束し、透き通るような水の粒子が、ウィンディーネの姿を形作った。


世界樹ユグドラシルからの、結果報告。

はじめを救うための唯一の鍵、『万能解毒草パナケイア・リーフ』の在り処を知る精霊が、今、ゆっくりと唇を開く。


ウィンディーネは、静かにその青い唇を開いた。


「お待たせしました、レイラ。群生地とその場所への立ち入り……許可をもらってきました。だけど、。……私たちだけでは……」


「どうしたの? ウィンディーネ。場所が、遠いの?」


レイラが身を乗り出すようにして問いかける。

水の精霊は、悲しげに首を横に振った。


「いいえ、遠いわけではないのです。ただ、水の試練と火の試練……両方をクリアしないと、到達できない場所にあるのです。水の試練は私がいれば問題ありませんが、火の試練が……」


その時だった。

どこからともなく、赤く輝く火の粉が集まり、一つの巨大な形を成していく。

周囲の朝霧が一瞬で蒸発し、強烈な熱波が森を支配した。


「なら、私が手を貸そう」


「い、イフリート!? なぜ、あなたが……。上位精霊の中でも、一番気難しいとされているあなたが……」


驚きに目を見開くレイラの前で、炎の巨人は不敵に笑った。


「以前から、お前のことは見ていた。ただそれだけだ」


その言葉は短くとも、レイラの真っ直ぐな意志を認めた、精霊なりの最大の敬意だった。


ウィンディーネが指し示したのは、鏡のように静まり返った深い湖だった。

「まずは、水の試練。この湖底の洞窟へ向かいます。通常の生命体なら、水圧で肺が潰れ、息を吸うことすら叶わぬ暗闇の底。けれど、私の加護があれば道は開かれます」


レイラは躊躇なく、冷たい水の中へと足を踏み入れた。

ウィンディーネが放つ蒼い光の球体に包まれ、深く、どこまでも深く沈んでいく。

耳を圧迫する静寂と、己の心音だけが響く孤独な潜行。


「レイラ、入口がみえる……」


ようやく辿り着いた湖底の洞窟、その奥へと進んだ一行を待っていたのは、絶望的な『熱』だった。


「……ッ、何、。……これ……!」


洞窟の壁面が、生き物のように赤く脈動している。

足元を流れるのは、煮えたぎるマグマ。

空気は一瞬で喉を焼き、数歩歩けば体が発火するほどの灼熱の地獄。

これが、火の試練。


「認めたくないものだな。自分の無能さを。だが、案ずるな、レイラ。私の焔は、お前を焼くためではなく、外敵から守るためのものだ」


イフリートが豪快に笑い、その巨大な掌から紅蓮の障壁を展開する。

吹き荒れる熱風を精霊の加護でねじ伏せ、レイラは汗にまみれ、呼吸を荒げながらも一歩ずつ、一歩ずつ溶岩の淵を歩み続けた。


そして、ついに二つの地獄を抜けた最果て。

そこには、水と火が奇跡的な均衡を保ち、朝露を湛えた美しい緑の群生地が広がっていた。


「……あった。……これが……」


光を反射して輝く『万能解毒草パナケイア・リーフ』を、レイラは震える手で優しく、宝物を扱うように摘み取った。

頬を伝う汗と、安堵の涙が、葉の上に零れ落ちる。


「……これで。……はじめを救える……」


その呟きは、誰にも届かないほど小さかったが、 どんな勝鬨よりも力強く、静謐な空間に響き渡った。


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