第九十九話:はじめ、死す?
レイラは、泥と汗にまみれた手で『万能解毒草』を胸に抱き寄せた。
その瞳は、焦燥感で激しく揺れている。
「では、これをもって直ぐに、ぴーちゃんの元に戻ろう! 一刻も早く、届けてもらわなければ……!」
ふらつく足取りで一歩を踏み出そうとするレイラ。
けれど、その肩を巨大な紅蓮の手が、押し止めた
「ダメだ、レイラ。ここで、少し休むんだ」
イフリートの低い声が響く。
その横で、ウィンディーネも悲しげに首を振った。
「そうですよ。あなた、。……試練でボロボロなんですよ」
「そんなこと、言ってる暇はない! はじめが、大変なんだ……!」
叫ぶレイラの声は掠れ、全身の筋肉は悲鳴を上げている。
水圧と灼熱に晒された彼女の体は、もはや限界をとうに超えていた。
「はじめという男は、そんなちっぽけなのか?」
イフリートが、射抜くような視線をレイラに向けた。
「私の知ってるはじめさんなら、必ず、『少し休め、無茶をするな。俺は大丈夫だ』……そう仰るはずですわ」
ウィンディーネの優しい声が、レイラの頑なな心を少しずつ溶かしていく。
「わかった。少し、ほんの少しだ。休憩する」
そういうと、倒れこむように、眠りについた。
―― ゼロ撃破から、残り26日 ――
はっと、レイラは意識を浮上させた。
世界樹の麓、精霊たちの柔らかな光に包まれて微睡んでいた彼女は、飛び起きるようにして周囲を見渡した。
「休みすぎた。……急いで、村に戻らないと……!」
胸に抱いた『万能解毒草』を確かめると、レイラは限界まで回復した魔力を足に込め、風のように森を駆け抜けた。
村へ辿り着くや否や、彼女は愛娘の姿を探して叫んだ。
「ルナ、ルナぁ! ここに、大きな鷹……ぴーちゃんは、いなかったか?」
周囲を見渡しても、墨花の使い魔である鷹の姿はどこにもない。
駆け寄ってきたルナは、。……少し寂しげに、けれど確かな口調で答えた。
「その大きな鷹は、しばらく休んだ後、どこかに飛んで行っちゃったよ」
「な……。じゃあ、これ、どうしたら……」
解毒草を握りしめ、レイラは呆然と立ち尽くした。
空路という最短の手段を失い、絶望が彼女の肩を打つ。
そんな母親の震える手を見て、ルナは静かに、本心を見透かすように告げた。
「本当は、行きたいんでしょ? はじめさんの元に」
「ば、バカなことを言うな。ルナを、この村を残して、行けるはずが……」
図星を突かれ、レイラの頬が朱に染まる。
ルナは、かつて男性を拒絶していたとは思えないほど、穏やかな微笑みを浮かべた。
「はじめさんは、ああ見えて、かなりモテると思うよ。だって、私も好きになっちゃったもん」
「そ、そうかもな……」
動揺し、視線を泳がせるレイラ。
ルナはその小さな手で、母親の背中を優しく押した。
「私は大丈夫。おばあちゃんもいるし。だから、お母さん、行ってきなよ」
「ルナ……」
「未来のお父さん、ちゃんと守ってあげてね。油断してると、誰かに取られちゃうよ?」
くすっと笑うルナの瞳には、もう、怯えの色はなかった。
レイラは顔を真っ赤にしながらも、覚悟を決めたように旅支度を整える。
「ば、バカなこと言うな。私はこの薬草を届けるだけだ。……すぐ戻るからな!」
「はいはい。じゃあ、いってらっしゃい!」
娘の元気な声に背中を押され、レイラは一度も振り返ることなく、天使国の集合場所へと足早に駆け出した。
―― ゼロ撃破から、残り24日 ――
舞台は再び、天使国の深い森。
数日の休息を経て、一行の間にはわずかながらも活力が戻りつつあった。
けれど、その静寂を破ったのは墨花の涼やかな声だった。
「そろそろ、ここも移動しましょう。レイラさんが動いているはずですから」
「せわしないやっちゃなぁ。もう少し、大人の余裕っちゅうもんを、な……」
ケルちゃんが呑気にぼやきかけるが、その言葉が最後まで紡がれることはなかった。
「黙って」
ベアトが容赦なくケルちゃんの口を塞ぎ、そのまま墨花へと鋭い視線を向けた。
「……墨花ねぇ様。次はどうするの?」
「本物のレイラさんが、薬草を持ってこちらに向かっているはずですわ。彼女のことですから、休憩もろくに取らず、集合場所を目指してるはずです」
墨花は扇子を閉じ、地図の一点を指し示した。
「集合場所って?」
アイの問いに、墨花は艶然と微笑んで答える。
「天使国最大の『集合墓地』です」
「「「ぼち!?」」」
全員の声が重なった。
りりが信じられないといった様子で、身を乗り出す。
「墨花さん、私の聞き間違いだと思うんですけど、墓地って言いましたか?」
「琥珀にもそう聞こえたよ。墓地って、死んだ人を埋めるところじゃあ……?」
不安げな琥珀に、墨花はやさしく教え諭した。
「ただ埋めるのではなく、『埋葬』って言うのよ。琥珀ちゃん」
そして、墨花の瞳に冷徹なまでの密偵の光が宿る。
「それで、今度は、はじめさんに、『死体』になっていただき、埋葬します」
「……ッ!?」
その場の空気が凍りついた。
はじめを救うための旅路で、彼を自ら「死」の場所へ送り込む。
墨花の真意を測りかね、全員が言葉を失っていた。
墨花は、淡々とした口調で、けれど一切の隙がない作戦を語り始めた。
「まず、はじめさんを人形に。それから顔を変装させ、おじいちゃんになっていただきます。その後、私たちは亡くなったおじいちゃんの『家族』として葬儀を行い、埋葬する。それが手筈ですわ」
その言葉を聞いた瞬間、はじめの背筋に凍りつくような戦慄が走った。
(え!? 葬儀って……焼却炉で焼かれるの!? それ、物理的に死んじゃうよね!?)
瀕死の重傷の為、声が出ないはじめの心中は、パニック一色だ。
察したように、墨花が補足する。
「安心なさいな。ここ天使国は、死体をそのまま棺桶に入れ、土に埋める埋葬文化ですの。おそらく、いつか復活する……といった思想があるのでしょうね」
(よ、よかったぁ。火葬じゃなかった)
心の底から安堵するはじめを余所に、女性陣の空気は一変した。
「なるほど! では『はじめ様』と呼ぶわけにいかないから、名前、みんなで決めましょうか♪」
ベアトが、なぜかノリノリで拳を握った。
「私は『旦那様』がいいわ!」
「ご主人様がいいです!」とアイも譲らない。
「お父さん!」とりりが叫べば、琥珀も嬉しそうに手を挙げる。
「琥珀は、おじいちゃん!」
収拾のつかなくなった状況に、墨花は少し呆れたように肩をすくめた。
「はじめ様と呼ばなければお任せしますが。……それ、名前ではなくてよ……」
「ほなら、『すすむ』とかでええやん。一歩ずつ、前進する感じでな」
ケルちゃんの適当な、けれどどこか含蓄のある提案に、その場の意見がまとまった。
こうして、はじめは、 慈愛に満ちた偽名『すすむ』として、その身を地に委ねることになったのだ。




