第九十四話:ゼロの裏切り(前編)
長く、……深く。
冷たい空気の立ち込める地下階段を、一行は重い足取りで進んでいく。
暗がりの中、先頭を行く墨花の足が止まった。
「あ。薄明かりが前方奥から見えますわね。あれがおそらく、出口。では、皆様、ここで休憩いたしましょう」
墨花の提案に、ベアトが不安げに眉を寄せた。
「墨花ねぇ様。こう言っては何ですが、ここはすぐに街に出るべきなのでは?」
はじめを背負うアイの肩も、僅かに震えている。
だが、墨花は冷静に首を振った。
「落ち着いて、ベアトさん。状況と、今後を説明いたしますわね。おそらく、現在。教皇の行方不明が発覚。なので、はじめ様が指名手配されているはずです」
その言葉に、りりが弾かれたように声を上げた。
「なんでですか!? 私たち、そんな失敗してません!!」
「来るもの全て、間違いなく人形にしたので、誰にも見られてないですわ!!」
アイが必死に訴え、琥珀とベアトもそれに同調する。
自分たちの完璧な仕事が、なぜ否定されるのか。
だが、墨花は諭すように言葉を継いだ。
「皆さん、落ち着いて。私たちの作戦は完璧でした。全員、予想通りの動きでした」
「なら、なぜ!?」
アイの問いに、墨花は静かに問い返した。
「よーく、思い出してくださいね。私たちは完璧でも、正面から堂々と入った方が……」
その瞬間、全員の思考が一つに繋がった。
「あっ……!!」
「では分かりましたわね。そうなんです。はじめ様は、謁見を予約した。で? 教皇は消えた。となれば……?」
「……はじめ様が攫った。と、いうことですわね……」
ベアトの呟きが、地下通路に重く響く。
透明人間になろうとも、「はじめがそこにいた」という事実だけは消せない。
「なので、ここで時間稼ぎのためと、はじめ様の回復を待つ。という意味でも、ここで過ごす、ということです。ご納得いただけました?」
「はい……」
全員が項垂れ、自分たちの置かれた「指名手配犯」というログを、受け入れざるを得なかった。
こうして、バレるまでは地下の暗闇で過ごすことになった一行。
地下通路の闇の中、はじめの意識が深く、深く沈み込んでいく。
その暗転が、やがて数多の記憶の断片を飛び越え、半年という時間を遡っていく。
ーーーーー 半年前:しゅうの拠点
そこは、まだ誰もいない静寂に包まれた広間だった。
傍らに控えるゼロの視界には、主であるしゅうが、ミラーと向き合っている姿が映っていた。
「はじめくん。ハバチから見ていたけれど、昔と変わらず、飄々としているね。けれど、あの論理は化け物だ。やはり、警戒すべきだね」
しゅうの声には、親愛と、懐かしさと、それを上回るほどの冷徹な計算が混ざり合っていた。
彼は椅子の背にもたれ、ミラーを見据える。
「で、ミラー。僕の記憶を元に、はじめくんの元妻。めぐみのコピーを作ることは可能かい?」
ミラーが、下卑た笑みを浮かべて頷いた。
「しゅう様の記憶なら、ほぼ完璧に作れるよ。だって、僕と精神をリンク(接続)してくれるんだろう? なら、僕が見る情報は、しゅう様が体験したのと変わらないからね」
「なら、始めておくれ、ミラー。では、まず、記憶のリンクをしようか……」
ゼロは、その光景を、ただただ。無機質な記録装置として。見つめ続けていた……。
「しゅう様。これで、めぐみのイメージは完璧です。これなら、コピーを出せます。では」
ミラーが指を鳴らすと、空ろな光の中から「めぐみのコピー」が音もなく這い出してきた。
それは、しゅうの記憶から引きずり出された、残酷なほど精巧な虚像。
「で、ペインター。このめぐみを使って、姿形。あと、はじめと付き合いだした時以降の記憶を、コピーから聞き出し、覚えてもらいたい」
しゅうの冷徹なオーダーに、。……ペインターが、。……。……退屈そうに肩をすくめた。
「なんで、そんな面倒なことすんのー? 殺しちゃえば、いいだけじゃん?」
その不躾な問いに、しゅうの瞳から温度が消える。
「これはね。僕の美学なんだよ。それとも、ペインター。僕に逆らうの?」
「と、とんでもない!! 学習しまーす!!」
しゅうの静かな圧に、ペインターが、慌てて首を縦に振る。
逃げ場のない「美学」という名の命令。
「で、ここから、はじめたちが天使国に来るまでの間。施設のボランティアをしてくれ。めぐみとしてね?」
「……わかりました。やります。……やらせていただきます」
渋々と、ペインターがめぐみの輪郭をなぞり始める。
その光景を、ゼロは離れた場所から、冷めた目で見つめていた。
(こいつら、……また、……ろくなこと考えてねぇ……めんどくせ)
ゼロの思考ログには、主たちへの底冷えするような厭世観だけが刻まれていた……。
「ゼロ。君には、まず、教皇の一人を消去してもらう。いいかな?」
しゅうの問いに、ゼロは感情の死んだ瞳で応える。
「……拒否できないんだろ。……するよ」
「物分かりが良くて助かる」
しゅうは満足げに頷き、ミラーへと視線を移した。
「しゅう様。教皇の始末。これはいいんですが、どうするつもりなの?」
ミラーの問いに、しゅうは不敵な笑みを深める。
「もし、はじめくんが天使国周辺まで来た時の、ゲームの仕込みさ。ミラーも大好きだろ?」
「あはは!! 相変わらず面白いことを考えるね。だから好きだよ。で、具体的にどんなゲーム?」
しゅうは、チェスの駒を動かすかのように、計画の全貌を語り始める。
「ミラー、君は、本物そっくりの記憶を持ったコピーを5体作れるよね。で、こんな感じだ。第一ステージでは、君の作ったコピー3体を見破ればクリア。第二ステージでは、教皇のコピーと、残り1体を見破ればクリア。そして第三ステージでは、ゼロと直接対決をして、撃破すればクリアだ」
しゅうは楽しげに指を組む。
「まあ、ここまで来れるとは思わないけれど。僕は、念には念を入れるんだ。そして第四ステージでは、コピーを見破ったはじめくんたちに『指名手配犯』になってもらい、冤罪を晴らせれば、クリアだ」
「ミラー。第五以降は、君に任せるよ。好きだろ?」
「お任せを。しゅう様、相変わらずですよねぇ」
ミラーの下卑た笑い声が、広間を汚していく。
その傍らで、ゼロは静かに目を伏せた。
(……嫌なもん聞いた。……はじめ、……勝ってくれないかな。……こいつらとつるむの、……吐き気がする)
「ゼロ。ということで、行ってきてくれ」
「……わかった」
ゼロは、主の命令を背負い、冷たい廊下へと足を進めた。
その背中には、主への忠誠ではなく、かつて親友だった男の「勝利」を願う、静かな反逆の意志が宿り始めていた。




