第八十七話:五星連弾。完遂
はじめの意識は、……泥のような麻痺毒に沈み込んでいた。
指先一つ動かせず、喉の奥でせり上がる悲鳴すら音にならない。が、意識だけははっきりしてる。
視界の端で、ミラーが冷酷な笑みを深めていくのが分かった。
「もうちょっと頑張れると思ったんだけど。とんだ思い違いだったなぁ。期待外れだ。がっかりだよ。あはは」
彼は倒れ伏す二人をまるで見世物のように眺め、無邪気に、残酷に笑い声を上げる。
だが、その笑い声を切り裂くように、天井の梁から一条の影が舞い降りた。
「なるほど。……睨んだ通りですわね」
音もなく床に着地したのは、墨花だった。
彼女は扇で口元を隠しながらも、その瞳は氷のように冷たく教皇――否、その形をした「何か」を射抜いている。
「あなたがコピーだったのですね、教皇様。じゃなきゃ、これほど簡単に『フリーパス』なんて出せるわけがありませんもの」
「偽物は、あなたです! 教皇!」
その鋭い糾弾に反応するかのように、かつて教皇であったものは、……断末魔の叫びすら上げず、砂の城が崩れるように音もなく崩壊し始めた。
「墨花。……どうしてここへ?」
ミラーの目が、驚愕に細められる。
教皇の偽物が発した「フリーパス」という小さな綻びを、……墨花は見逃してはいなかった。
「決まってますわ。はじめ様をお迎えに来たんですの」
ミラーが、高笑いをしながら、叫んだ。
「あはは!君は、ばかなの?この状況で、逃げられるわけ、ないじゃん♪」
「あら?そうかしら?」
「最終フェーズ、開始!!」
崩れゆく教皇のコピーを背に、墨花の声が魔晶石を通じて響き渡った。
その号令を待っていたかのように、……教皇庁の外壁が激しい爆鳴と共に震え上がる。
「さあ、派手にやりましょう。皆様」
「はーい♪」
「あばれちゃうよぉー!」
隠密の仮面をかなぐり捨てた三人が、……教皇庁の前で暴走を開始した。
ドカァァァァァァァァン……ッッ!!
轟音が真昼の空に突き抜け、衝撃波が教皇庁の窓ガラスをことごとく粉砕する。
「なっ、なんだ!? 正門で爆発だ!」
「侵入者か!? 全員出動せよ!」
教皇庁の奥から、武装した兵士たちがアリの巣を突ついたようにワラワラと湧き出てくる。
だが、先頭の兵士が角を曲がり、アイの視界に入った刹那。
「……あら、……お気の毒に」
アイが冷ややかに指を鳴らす(パチン)。
悲鳴を上げる暇すらない。先頭の兵士は、……走る姿勢のまま精巧な人形へと変貌した。
後続が呆然と立ち止まったその隙に、アイはリズムを刻むように次々と指を鳴らしていく。
パチン、パチン、パチン――!
「うわぁっ、体が……!」
「なんだこれは! 助け……!」
迫りくる兵士の集団が、……先頭から順に無機質な人形の山へと変わっていく。
兵士たちは、アイたちの姿を視認することすら叶わず、自分たちがなぜ人形になっているのかという疑問すら持てぬまま、意識を断たれた。
「りりさん、後始末を」
「了解しました!」
りりは指先から白く細い蜘蛛の糸を放ち、人形と化した兵士たちを一瞬で絡め取った。
それはまるで、熟練の職人が荷物を梱包するかのように手際よく、かつ音もなく行われる。
「私、こっちに運ぶね! よいしょー!」
琥珀は小さな体で信じられない怪力を発揮し、糸で縛られた人形たちを次々と死角へ放り込んでいく。
運び終わった人形からは、りりが蜘蛛の糸を瞬時に回収。
現場には、何一つ「戦闘の痕跡」が残されない。
「墨花さん。脱出経路は、整えましたわ」
アイが満足そうに、完璧なステルス完了の報告を行う。
「了解!アイさん。うふふ。これで脱出しやすくなりましたわ♪」
墨花は不敵に微笑むと、麻痺したはじめの体を軽々と抱え上げた。
はじめの視界の中で、天井と床が高速で入れ替わる。
(え、ちょっと、墨花さん!? なにするの……!)
声にならない叫びを上げるはじめ。だが墨花は躊躇わない。
破壊された窓の外――何十メートルもの高さがある虚空へと、はじめを無慈悲に放り出した!
「ベアトさん、いきましたよぉー!」
空中に放り出されたはじめは、……重力に引かれ、真っ逆さまに落下する。
視界が青空と地面で混ざり合い、死を覚悟したその瞬間。
「まかせて! 墨花ねぇ様。はじめ様は私がお助けしますの♪」
黄金の閃光が空を駆けた。
落下するはじめを、ベアトがその柔らかな腕で、。……空中にて見事にキャッチする。
羽ばたきの衝撃ではじめの首が少し「ガクッ」となったが、彼はベアトの抱擁の中で安堵の溜息(漏れる空気)を吐いた。
墨花は次にめぐみを肩に担ぎ上げ、冷然とミラーを見据えた。
「で、ミラーさん。これで終わりですか?」
「はぁぁ。ここで終わりだって思ったんだけどなぁ……。第二ステージ、クリア。おめでとう。お前がいなきゃ無理ゲーだったのに」
ミラーは肩をすくめ、闇に溶けるようにその気配を消していく。
「まあいいさ。まだまだ仕掛けはあるからねぇ。では、引き続き頑張ってねぇ」
追う必要はない。墨花はめぐみを抱えたまま窓から飛び降り、風を纏って鮮やかに着地した。
一方、正門前の物陰では、アイが満足げに指をパチンと鳴らす。
その瞬間、人形にされていた兵士たちが一斉に元の姿に戻り、……困惑の声を上げた。
「なんだこれは! いつの間に破壊されているんだ!?」
「何の気配も感じなかったぞ!」
状況が全く掴めず、右往左往する兵士たち。
彼らの記憶の中では、数秒前まで「……何事もなく平和に働いていた」はずなのだ。
大きな音を聞いた、断片的な記憶があるだけ。
その喧騒を背に、五つの星は一つに重なり、教皇庁をあとにした。
こうして「五星連弾」は、……完璧な幕切れを迎えたのである。




