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第七十七話:天使国です。狂信です

「……あらあら。……。……ごめんなさいね。……少し、慎重になりすぎたかしら」


 墨花はそれ以上追及せず、肩をすくめて引き下がった。だが、その瞳の奥には「あーあ、完全に信じちゃったわね」と言いたげな、諦めと警戒が混ざった色が浮かんでいた。


「……はじめ。……信じてくれて、ありがとう」


めぐみがはじめの腕にそっと手を添える。

 はじめはその温もりに安堵し、心の中の「本物フラグ」をさらに上書きしていった。背後でアイとりりが、言葉にならないほど冷え切った視線をめぐみの背中に突き刺していることにも、今の彼は気づかない。


朝食を終え、食器を片付ける音が広場に響く中、墨花が優雅に立ち上がり、パンパンと服の塵を払った。


「あらあら……。楽しい時間はあっという間ね。私は、そろそろお暇させていただきますねぇ」


はじめが驚いて顔を上げる。


「えっ?……墨花さん、ここで別れるんですか?」


「ええ。スライム国で仕入れた希少な食材、早くお店に持って帰らないとダメになっちゃうでしょう? だって、このために、この国に来たんですもの。うふふっ♪」


 彼女はいつも通りの不敵な笑みを浮かべ、はじめの隣にいる「めぐみ」をちらりと見た。その瞳には、憐れみとも警告とも取れる冷たい光が一瞬だけ宿ったが、それを口にすることはない。


「はじめさん、あとのことはお若い方々で頑張りなさいな。目だけは、曇らせないようにねぇ♪」


 それだけ言い残すと、墨花は大量の食材が入っているであろう鞄を軽々と担ぎ、優雅な足取りでスライム国の方向へと去っていった。


「あ……行っちゃった……」


 唯一、客観的な視点を持っていた墨花の離脱。はじめの心に、言いようのない不安が小さなバグのように広がる。しかし、その不安を打ち消すように、めぐみがそっとはじめの手を握った。


「はじめ。……行きましょう? 私の大切な場所へ」


「……ああ。……分かった。天使国へ行こう」


はじめが決意を口にした瞬間、背後でアイとりりが同時に溜息を吐く。


「……仕方ありませんわね。はじめ様がそこまでおっしゃるなら、わたくしも同行しますわ。あの女がはじめ様に変な事をしないよう監視しなくてはなりませんから!」


「私も行きます、はじめ様。……聖女見習いとして、あなたの魂が曇らないよう、ずっとおそばにいますからね」


 琥珀は、野生の本能か。不安そうな顔で叫んだ。


「はじめ様!私もいきますぅ!でも、なんだか……怖いです」


 嫉妬と警戒、そして狂信的な忠誠。

歪な熱量を孕んだ一行は、天使国の国境へと歩みを進める。


 その頃、鼻歌を歌いながら歩いていた墨花の足が、ピタリと止まる。

彼女はゆっくりと振り返り、はじめ達が消えた方向を、感情の読み取れない鋭い瞳で見つめた。


「……ふぅ。……ここなら、もういいかしらね?」


 先ほどまでの「呑気な女将」の空気は、霧が晴れるように霧散していた。

墨花は懐から鋭い笛を取り出し、空へ向けて短く吹き鳴らした。


 ――ピュゥゥィィィィィッ!!


 上空の雲を切り裂き、巨大な猛禽類「ぴーちゃん」が、砂埃を上げて広場に舞い降りる。


「あらあら、いい子ねぇ♪ ……ぴーちゃん。食材は魚人国の『翠玉楼』へ。そしてこの親書は……獣国の陛下へ。一刻を争う大事な内容ですからね。急いでねぇ♪」


墨花は手際よく荷物をぴーちゃんの背に固定し、その鋭い瞳で一瞬だけはじめを射抜いた。


「……はじめさん。……信じるのは自由だけれど……違和感だけは、見逃さないようにね?」


 墨花の姿が、陽炎のように街道の奥へと消えていく。

はじめが温もりに溺れる中、隠密として、静かに、そして確実に動き始めていた。


 光の階段を登りきると、そこには白銀に輝く巨大な門がそびえ立っていた。

めぐみが門の前に立ち、優雅な所作で一礼する。


「ここが天使国の第一ゲート。……はじめ、ここを通るには『入国審査』が必要なの」


門の奥から、数人の人影が音もなく現れた。

 純白の法衣を纏い、仮面で顔を隠した者たち。その一人一人が、背筋が凍るほど同じ歩幅、同じ角度で首を傾げる。


「……入国審査、……ですか。……入国カードの記入とか、手荷物検査くらいなら、いいんですけどぉ……」


はじめが腰を引きながらボヤくと、仮面の者たちの一人が、感情を排した澄んだ声で告げた。


「我らは天使国、第七教皇が管理する門番。……汝に問う。……。汝は、大教皇様がもたらす『救い』を、真実と信じるか?」


 その問いが響いた瞬間、はじめは違和感を感じた。

めぐみが隣で、はじめの腕を優しく、けれど逃がさない強さで握りしめる。


「はじめ、信じると答えて。……そうすれば、ここを通れるから」


めぐみの瞳に宿る、狂気を含んだほどの切実な願い。

 信じれば救われる。彼女はそう言っている。だが、はじめのデバッガーとしての直感は、「信じるな」と告げていた。


「……信じるか、……か」


背後で、琥珀はおびえ、アイとりりが武器の柄に手をかける音が聞こえる。

 はじめは、白銀の門の奥に広がる、不自然なまでに「美しい」天使国の街並みを見つめながら、最悪の二択を突きつけられていた。


「めぐみ。もし、信じない。と答えたら、どうなるんだ?」


「当然だけど、追い返されるわ。ここは、天使国。大教皇様を信じるもの達だけの楽園だから」


「楽園……ねぇ……」


(ここは、うそでも、「信じる」と答えるべき。それはわかっているんだが……)


「アイ、りり、琥珀。こっちに……」

「ここは、俺を信じて、『信じる』と答えるんだ。責任は、俺がもつ」


 アイ、りり、琥珀は、何も言わず、小さくうなずいた。


「「「「信じます」」」」


「では、通るがよい。天使国へ、ようこそ」


こうして、無事、天使国への入国を果たした。


「あはは♪はじめ君、虫国以来だね。僕の広大なゲーム会場にようこそ。ここでは、様々な仕掛けを用意してるから、楽しんでね?」


第一の門の裏。【歪んだ鏡】ミラーの、楽し気な声が、囁かれていた。はじめ達は、しるよしもない。


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